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《祥子ちゃんてさ・・・ちょっとおかしいよね》
 ゴン。
 と、窓ガラスに拳をぶつける。鈍い痛みが走るがそんなことはどうでもよかった。
「・・・おかしくて悪かったわね」
 低くかすれた声を吐き出す。
 恐いのは、親しい人が現われることだ。
 もし自分のことを打ち明けて、それを受け入れてくれなかったら?
 ・・・・それが恐い。
 今更嘆く気にもならないが、このちからのせいで中学の時転校することになったのだ。恨みたくなるも当然だろう。
(・・・しかし)
 馬鹿か私は・・・、と溜め息混じりに呟いた。
 中学の時にこりたはずだった。だから誰とも付き合わないようにしていたのに。
 中村結歌はどうでるだろうか。如何によってはここにも居られなくなる。しかしそうなっても別に慌てることはない。どうせ去る者は追わないだろうから。出て行きさえすれば、すぐに忘れてくれる。
 自分の居場所に執着など無い。ただどこに居ても残るものは疑問だけだ。
 ・・・私って何なんだろう。
 そんなこと何万回も考えた。答えが出たことなど一度もない。そしてこれからも。
 祥子は自分が感傷的になっていることに気付いていたが、別にそれを抑える理由も無かった。人間誰でも落ち込みたい時があるのだ。それを理由に授業をサボっていることには否定しないけれど。
 突然。
 ガラッ、とドアが開く。その音に驚いて祥子は振り返った。
「・・・!!」
 さらに驚くことにそこには意外な人物、中村結歌が立っていた。結歌は祥子の姿を見ても別に動じもせず、後ろ手でドアを閉めてずかずかと自分の席に向かう。
 逆に、動揺していたのは祥子のほうだった。結歌の顔を見るのが正直恐ろしい。窓のほうに向き直ったのも、表情を読まれたくなかったからである。
 何故、中村結歌は何も言わないのか。
 恐がって接触を避けるか、もしくは周りの人間に言いふらすかのどちらかが、今までの例。
先週、屋上で結歌は確かに畏怖の念を以て祥子を見つめていた。それなのに。
 中村結歌は過去出会った人間のどれとも違う。
 祥子はとにかくこの気まずい雰囲気が早く終わることを祈った。
 ばんっ!
 ビクッと祥子の肩が揺れた。教室に響いたその音は、結歌が自分のカバンを机に乱暴に置いた音だった。そして。
「珍しいじゃない、三高がサボりなんて」
 どこかで聞いた台詞。
 わざとはっきりと、思いのほか結歌のいつも通りの声が背後から聞こえた。
 祥子は目を見開く。窓枠にかかる両手が震えている。
(・・・・・・・)
 信じていいのだろうか。
 結歌の心情はいつも以上に穏やかだった。それは祥子自身が、結歌の次によくわかっている。
 予想外の展開。
 過去、一度でも祥子に不審を抱いた人間がこんな風に話し掛けてくることなどなかった。
 この3日で、一体何が結歌の心を動かしたのだろう。
「・・・・・たっ」
 胸が熱くなる。不覚にも泣きそうになった。
「・・・体育が受験にないから、かな」
 震える声をどうにか押さえ付けて言う。
 その言葉で二人の間の空気が和み、目があって笑みを交わす。
 黙契が成り立った。



「どこまで知ってるわけ?」
 祥子に並んで結歌は手近な机に腰を下ろした。
「この間言った通りよ。本当に何も知らない。・・・ただ漠然と、その人の心情の変化を感じ
るの。嘘をつく人はよくわかるわ。感情の起伏がないとだめなの。平静な人からは何も読み取れない」
 他人に説明するのは初めてのことである。祥子はたどたどしく、言葉を選びながら語った。
「へぇ、便利じゃん。誰か他に知ってる人いるの?」
「母親・・・はね。昔はうるさいほど注意されたけど、今は歳とってそんな気力もないみたい」
 肩をすくませて苦笑した。そんな祥子を見て結歌も笑った。
「・・・三高は前向きなんだ」
「どこが?」
 祥子はその発言に心底驚いたが、結歌にはそう思えるのだ。笑みを消し、顔を上げて祥子を見据える。
「三高には夢がある?」
 突然、結歌は真剣な顔で言う。
「え?」
「私は小さい頃、音楽家になりたかった」
「──────」
 そこで間をもつように結歌は笑った。それは嘲笑に近いものだった。
「って言ってもね、ただあの頃は、自分のちからを自慢したいだけだったの。自己顕示欲が人並み以上にあったっていうか。・・・けど、自分を特別だと思ったことはなかった。ただピアノを弾くと母さん・・・・・・・・お父さんも喜んでくれた。それが才能の意味なんだと思ってた」
「・・・・・」
 窓の外を眺め懐かしそうに語られる過去は、今の結歌からは想像できないものだった。
 嘘でないことはわかる。祥子はおとなしく聞いていたが、先程から感じていた矛盾を口にした。
「それならどうして・・・」
 音楽が嫌いだなんて。
 何故、幼い頃夢に見た音楽を放棄することになったのか。どうして無理にピアノから離れなければならないのか。
「中村さん・・・」
 そこで、祥子は口を閉ざした。意外なほど真摯な表情の結歌と目が合う。


「死神に追われてるって言ったら、あんたは笑うかな」


 風が通り抜けるくらいの、一瞬の沈黙。後、祥子は、
「そうでもない。・・・借金取りに追われてるって言うなら、笑ってあげてもいいけど」
 と言った。
 冗談ととったわけでもない。しかし頭から本気ととることもできなかった。
 結歌は予想外の祥子の反応に目を丸くして吹き出す。
「冗談よ・・・・やっぱ変だわ、三高って」
「そ?」
 そう。使いの事を死神と思ったのは「彼」の思い込みだから。
「フツーなら笑うよ。みんな」
「・・・・」
 簡単には信じないだろう。しかし祥子には結歌が嘘をついていないことはわかっている。
 結歌の言葉を信じるだけの理由があるのだ。
 しかし、祥子自身の考え方はそうではなかった。
(それが一人で隠してきた理由?)
 祥子は眉をひそめ語調を強めた。
「それはあんたが茶化すからよ! ・・・本気で、真面目に相談すれば周りの人達は・・・・信じてくれるはずだわ」
「・・・・・」
 この言葉に結歌は少なからずショックをうけたようだった
 実を言うと、音楽をやめることと死神に追われていることがどう結びつくのか、祥子にはわからないのだが。今はそれを追求する時ではないだろう。
「・・・そうね」
 自分の手のひらを見つめて力弱く呟く。
「本当にそう・・・」
 その手を愛しそうに眺め、指先に唇に触れさせた。
「ピアノをやめて、それを振り切るように努力したのが勉強だったの。結構頑張ってきたつもりだけど、それもこれが限界ってわけ。推薦枠に入れるだけのちからもないわ」
「・・・・・」
 推薦を狙っているのに、それほどまでに音楽の授業だけは出たくなかったということか。
「聞いてほしいの。三高に。・・・テスト最終日の放課後、屋上に来て」
 結歌の真摯な瞳が祥子を捕らえる。
「・・・・・」
 祥子はというと少々責任を感じていた。確かに結歌の心理を見抜き忠告にも近い口出しをしたのは自分だが、それを聞く役を買って出ていいものか・・・。
「・・・いいの? 私で」
「あんたじゃなきゃ言えないわよっ!!」
 反射的に力強い声が返ってくる。
 叫んでから、結歌ははっと我に返り思わず大声を出してしまったことを取り繕うとした。
「あっ・・いや、そーいうワケじゃなくてぇ・・・ほら、三高って妙な力あるしぃ・・」
 どーいうワケだか定かではないが、それを聞いて祥子は。
 がんっ。
 と、こぶしで机を叩く。
「妙で悪かったわねぇ・・・」
 芝居がかった低い声で祥子は呟いた。
「わ、ちがう、ごめん。そうじゃなくてっ」
 泥沼にはまりつつある結歌を解放すべく、祥子はくすっと笑う。
「いいわよ。聞いてあげる。4日の放課後、ね」
 祥子の笑顔に一瞬気をとられた後、結歌もはにかんだ笑みを返した。

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