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08.結歌-2

 宇宙から降ろされたはずのモーツァルトの“才能”。
 その最後の曲である「レクイエム」はモーツァルトが死んだ二百年前までに宇宙に還らなかった。
 地球上の史実では未完成のまま。
 そうでないところでは予想外の事件。
 前例が無かったことだが、未だ「彼」のこころの中に残存し、次の肉体に受け継がれている。つまり。
「私たちが今こうしてここにいるのも全てお前がミスしたおかげなわけだ」
 都内某市上空。ゆきのはかけらの気遣いも無い言葉を、いつもの口調で呟いた。皮肉でないぶん、その言葉は直接胸に突きささる。
「どーして・・・あんたはそう人を落ち込ませることを言うわけ」
 黒い服と帽子とマントを身に着けている、中村結歌の言うところの「使い」は、たはははと肩の力を落した。一方、気持ち良い晴天とよく似合う白一色の衣服をまとっている小柄で表情のキツいゆきのは「同情の余地無し」と言わんばかりの表情で使いを見下ろしている。
 どうでもいいことだがこの場合「見下ろす」ことが可能なのは、ゆきのの方が高度をとっている為だ。
 青い空の中で、白黒の二人があまり(というか全く)仲の良くない会話をしている風景は、ある意味滑稽とも言えた。
 二人とも錫杖を持っていて、輪を象ったそれはゆきのが、そして三日月を象ったようなそれは使いがそれぞれ所有している。
「落ち込ませているわけじゃない。責めてるんだ」
「ゆきのぉ・・・」
 あまりに容赦の無い台詞には涙がでる。
「だいたい、二百年前にレクイエムを書かせておけばこんなことにはならなかっただろう」
「“時間”の計算を間違えたミスは認める。けど、あの時はこんな風に彼の曲が必要になるなんて夢にも思わなかったのよっ」
「まさかとは思うがそれは言い訳か?」
 厳しい目付きで睨まれて、さすがに使いは口を閉じた。が、付き合いが長いのにいつまでたっても懲りない使いは少しの反抗を試みる。
「───この際だから言わせてもらうけど・・・あと2年しかないのよ。もっと早
く生まれさせてくれればこんなに急ぐ必要もなかったのに。そのへんはゆきのの管轄でしょ」
「馬鹿言うな。十七年前に中村結歌は生まれているだろうが。それを見付けられなかったのはお前の手落ちだ」
「・・・」
 これで本当に返す言葉は無い。おとなしく引き下がった。
 ゆきのはふてくされている使いの横顔を見やると、静かに口を開く。
「この仕事、あまり乗り気ではないんだな」
 厳しさは変わらず、けれど先程とは違う深刻さのゆきのの言葉に使いは低い声で答える。
 雰囲気が一変した、刺々しい口調だった。
「・・・あたりまえよ。私は、『聖』の思い通りになるのが嫌なの」
 本来ならばこのセリフはかなり無礼な問題発言にあたるのだが、ゆきのは無言で聞き流しただけだった。
 その代わりにこれから地上へ降りる相棒に声をかける。
「余計な忠告だと思うが・・・・できるだけ迅速に処理しろ」
「言われなくてもわかってる」
 本当に? ゆきのは呟いたがそれは使いに聞かせる言葉ではなかった。
「え? 何か言った?」
「別に。───それから、『聖』の使いである私たちが、人間と接触するときの制約・・・分かってるだろうな」
「もちろん」
 不敵な笑みを返す。珍しくゆきのがそれに応えた。
 かしゃん、と二人は錫杖を合わせた。
「無駄話もここまでだ。───行け」
「りょーかい」
 じゃあね、と軽く手を振って、使いは地上へと降下した。




 今まで十七年間、中村結歌を探していたわけではない。
 見付けてはいた。十年前、結歌が七歳までの足取りは確かにあったから。
 ある事件を境に手掛かりは消えた。木を森に隠したように。人波にまぎれるように。
 本人、中村結歌が自分のちからに気づいてないはずがない。大成するちからだと分かっているはず。意図的に隠れたのだ。
 何の為に?
 疑問点はいつもそこにある。
 世に出たくないのだろうか。そうするとその理由は。
「結歌の心理なんてどうでもいいか・・・」
 今回の目的は、二百年前に完成されなかったモーツァルトの「レクイエム」の空への返還。
 それだけだ。
 ゆきのの言う通り、早く終わらそう。
 公園のブランコに腰掛けている中村結歌を眼下に発見する。空気抵抗も無く急降下する。地上十メートルのところで止まり、慣れたようにゆっくりと、結歌の背後にまわって使いはにっこりと笑った。
「やーっと捕まえた」
 結歌の背中が揺れた。
「久しぶり・・・それとも初めまして、かな。中村結歌さん」
 とりあえずにこやかに挨拶をしてみたりする。相手の出方をうかがうにこやかな表情はちょっとわざとらしかった。
 さっ、と結歌の表情が青くなる。
(あれ・・・?)
 その表情の中、驚愕以外に恐怖をも見て取った使いは首を傾げた。
 なにか、誤解でも?
 そりゃ、空から人(?)が降りてくれば驚くだろう。それに伴う少しばかりの「恐い」という感情も分からなくも無い。
 しかし結歌はそのからだ全体で使いを拒絶しているのがわかる。見開いた目は使いを捕らえて離さない。そして今にも後退りしかねない態度だが、その足は棒のように動かなかった。
 ただ震えているだけだ。
 怯えている。
 どうやら良く思われていないらしい。本題に入れる雰囲気ではなかった。
「あのね」
「!」
 使いの呼び掛けに極度の反応を示す。顔を強ばらせて、歯を噛み締めて、緊張しているのがわかる。
 その態度を見て、使いはふぅと溜め息をついた。
「・・・実際、意外だったのよね。あなたが音楽から離れていること」
 そうすることで使いは結歌を見付けにくくなる。
(逃げた、ということか)
 確証はなかった。けど今、結歌の態度を見て確信する。結歌が音楽から退いた理由、使いから逃げる為であったことを。そしてそれは成功したのだが、それも今日までというわけだ。
 しかしそれならば新たな疑問が生まれる。
 何故、逃げる?
(何もしてないのに)
 先程からあからさまに怯えた態度を見せている結歌に、一応気を使っているのだ。友好的に対しているはずなのだが、結歌は警戒を緩めようとはしない。
「何故、私から逃げるの?」
 単刀直入に尋ねる。
 心覚えのない恐怖心を抱かれても迷惑だ。というより困る。
 これからの“交渉”に影響が出るではないか。
「───・・・恐いのよ」
 消えそうな声で呟いた。
 使いにとって、初めて聞く結歌の言葉だった。
「え?」
「あんだが恐いのよっ! 私に近付かないでっ!!」
 絞りだすような悲痛な叫び。突然の剣幕に使いは一歩退いた。明らかに使いに嫌悪感を向けて、結歌は手に持っていたものを思いきり投げ付けた。───それは紙だった為に使いに届く前に地面にぱらりと落ちた。
「・・・近付かないで・・」
 大声を出して張り詰めていた神経が緩んだのか、結歌はその場に崩れ落ちる。その体はがくがくと震えていた。
 使いは目を丸くしてそんな結歌の姿を見下ろす。
(恐い・・・?)
 そんなことは結歌の態度を見ていればわかる。またまた疑問が生まれる。
 なんで私が恐いの?
 使いは結歌の今までの生活、そして「彼」から受け継いだ記憶をあまりにも知らなすぎた。
 恐がられる覚えはない、と使いは思う。「中村結歌」とは初対面のはずだから。・・・そう考えるだけの事実しか使いは知らなかった。
「結歌ちゃーん、何やってんのー?」
 その時、使いは公園に入ってくる2つの影を見た。一方、結歌はその声さえ耳に入らなかった。
 声に反応しない結歌に異常を感じたのか、2人の男女は小走りでやってくる。もちろん、その2人に使いの姿は見えていない。
(・・・今日はこれ以上は無理か)
 使いはそう判断して結歌への干渉を諦め、消えようとした。が、先程結歌に投げ付けられたものが視界に入り、なにげにそれを拾う。
(手紙・・・?)
 別段、それを読む気も起こらなかったが、封筒にしまわないまま結歌が投げたので、文面が嫌でも目に入る。しかも気にも止めなかったその文の、ある単語が使いの目に飛び込んできた。
《中村智幸》
(・・・)
 眉をひそめて、使いは手紙の文字に視線を走らせる。
 手紙を読むにつれ、初めのうち驚いていた使いの表情はやがて微笑に変わった。目を細めて手紙全体に目を移す。
(なるほどねー・・・)
 本心から感心して、便箋を丁寧にたたみ、封筒に入れた。


 結歌が自分を恐がっている理由と思われる原因の一つが、この手紙には書かれていた。
(智幸のやつ・・・・。一本取られたかな)
 それには二十年前、結歌の父親と使いが出会っていたことが記されていた。それどころか会話の一部始終全てが克明に書かれている。
《殺すかもしれない》
 確かにそう言った。あの状況で智幸が使いの言葉を真に受けるのも無理はない。冗談半分で言ったあの言葉に自分の未来を見越した智幸は、この手紙を残すことで、死してなお娘を守っている・・・。
 智幸の、娘に対するささやかな警告、使いへの反発、といったところだろうか。
 結歌がそれを鵜呑みにするだけの材料も、もしかしたら使いはどこかに落してきたかもしれない。
(・・・・・自分の蒔いた種、ってやつか・・・)
 そう思いながらも、使いは笑っていた。智幸の反抗が、少し、嬉しかったのかもしれない。

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