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 死を目の前にして、人は平静を保てるだろうか。
 未知の次元。全ての生命に与えられた結末。
 否、十七年しか生きていない中村結歌ならなおさら。
 誰にでも1秒先は分からないものだけど。


 巳取あかねを仲介人とした父からの手紙は新たなる驚愕を伝えた。
 二十年前、使いが智幸のもとに現われていたこと。他の人間には見えないその姿を後に結歌の母となる沙都子は例外だったこと。さらに智幸の子供───つまり結歌を、殺すかもしれないと使いが告白したこと。
 そして。
(使いとあったお父さんは、十年前に・・・)
 やはりそうなのか。使いと出会うことが意味するもの、それは。
 ・・・近付かないで。
 そんな言葉で済まないことは知ってる。懇願も哀願も役には立たない。父の手紙が恐怖心に毒を流す。その傷口から十年間押さえ付けていたものの解放、さらにそれが外殻を溶かして。
 苦痛と絶望。
(知ってたなら助けてよ・・・)
「どうしたの? 気分悪いの? ・・・・結歌ちゃんっ」
「!!」
 実在する人間の───確かに耳から聞こえる声に結歌は顔をあげた。
 心配そうに覗き込む人物の顔を確認すると、息を吸うのも忘れて、結歌は息とともに小さい声を吐き出した。
「・・・あやめちゃん」
 その後方に桔梗の姿も見える。
 支えてくれている菖蒲の体温を感じる。
 泣きたくなるような安堵。一人ではないということが、こんなに安心できるものだったとは知らなかった。


 目を開けた時、自分の部屋ではなかった。
「あ、おっはよー。って言っても、今、夜の十時だけどねぇ。何か食べる? それとも飲み物がいい? 欲しいものあったら遠慮無くリクエストしてね。この時間コンビニしかやってないけどさ。桔梗に買ってこさせるから」
 小気味いい言葉を聞いているうちに目が冴えてきた。思わずくすくすと笑ってしまう。寝ている体勢から見えるだけの家具と、セリフの主から、結歌は自分の居場所を悟った。
 内田菖蒲はずっとついていてくれたのだろう。フローリングの床には空になったグラスと読みかけの雑誌が置かれていた。結歌の額には濡れたタオルが置かれていて、それがなかなか気持ちよかった。
「・・・あやめちゃん」
「ん? なに?」
 結歌の顔に耳を近付ける。
「ベッドが煙草くさい」
「・・・余裕あんじゃない」
 とうっ、と布団の上から体重をかけた。二人で声をたてて笑った。
「・・・ちゃんと生活しないと、茅子おばさんが泣くよ」
 結歌が突然倒れた理由をどう解釈したかは定かではないが、菖蒲が深く追求してこないことがありがたかった。
「・・・・・うん」
 桔梗の三歳離れた姉である菖蒲は、結歌の姉代わりでもあった。昔から世話好きな彼女は、今日久しぶりに逢った結歌に、変わらぬ気遣いをしてくれている。それが嬉しかった。
「よかったら泊まってく? お母さんもそう言ってるし。どーせ茅子さん帰ってこないんでしょ」
「いいのっ?」
「私と一緒の部屋でいいならね」
 軽くウインクすると、菖蒲は立ち上がって部屋を片付け始めた。結歌のぶんの布団を敷くスペースをとるためである。
「ああ、それとも桔梗の部屋でも構わないわよ」
 さらりとした口調で結歌にひやかしの目を向けた。含み笑いが結歌の癇に触る。
「・・・っあやめちゃん!」
 顔を赤くして大声を出した結歌を見て、菖蒲はからからと笑っていた。


*     *     *


 当然と言えば当然だが、内田家夫妻に挨拶をしようと菖蒲の部屋を出たとき、桔梗と対面してしまった。
「・・・・」
 気まずい沈黙が生まれた。
 そういえば喧嘩してたんだっけ・・・。
 広くない廊下で相対して、その顔をまっすぐに見つめる。二人とも視線を外そうとはしなかった。昔からの慣習で、先に目をそらした方が己れの非を認めた、ということになっているからだ。二人の強情な性格はそういう幼少時代の“きまり”からきていた。
「よう」
 無表情で桔梗が声をかける。
「・・・・やあ」
 思いのほか穏やかな応対に結歌は笑った。
 桔梗は目を細めて言葉を続ける。
「心配されたくないなら顔に出すな」
「──────」
 それだけ言うと、桔梗は結歌の横を通り過ぎて自分の部屋に消えた。
 いつもの結歌なら、そんな桔梗の態度に言い返していただろう。だけど想像以上に何故かよくわからないショックが大きかったらしく、結歌は振り返ることもできなかった。
 一人その場に取り残されて、言い様のない孤独を思い知らされた。

*     *     *


「桔梗の彼女って、見た?」
 ターバンで髪が顔に落ちないようにして、パックに専念している菖蒲が尋ねた。
 菖蒲のベッドの隣に布団を敷いて、結歌はその上を陣取る。着ているTシャツは菖蒲に借りたものだ。
 菖蒲の言葉を聞いて、結歌は意外そうに顔を上げた。
「知ってるの? 桔梗のことだから、黙ってるとおもってたけど」
「無理矢理聞き出したのよ」
 愚問だったかもしれない。
「・・・私も話だけ。違う学校の子だって」
「ふーん。あいつに彼女ねぇ。中学の時は部活ひとすじで、結歌ちゃんが自分のこと好きだってことも気づかないほど、鈍いやつだったのにねぇ」
「・・・その話やめて・・・」
 昔のことを掘り返されて、恥ずかしさのあまり結歌は枕に顔を沈めた。ぐわああ、と叫びたくなるが、時間を考えると大声を出すのは気がひける。菖蒲を睨もうとしたけど、赤面では効果がなかった。
「で? 今はどうなの?」
「どう・・・って、桔梗はああだし、ね。それに私、今はそれどころじゃ・・・」
 結歌はそこで口を閉じた。・・・そうだ。
(今はそれどころじゃないんだ)
 中学の最後で色恋沙汰に興味が無くなったのも、使いと逢ってしまうことの危機感を覚えたからではなかったか。自分のことだけで精一杯で、余裕を無くしてしまったから。
 使いという存在が、自分の生活をどれだけ変えてしまったのだろう。
「私は結構お似合いだと思ってたんだけどな。桔梗と結歌ちゃん」
「もしもし?」
「桔梗もあれで結歌ちゃんのこと心配してるのよ。・・・だから、何も話してくれないことに腹立ててるの。かわいいでしょ?」
 あははーと笑ってから菖蒲は、しまったパック中だったのにっ、とオーバーアクションで叫んだ。その口調は決して、何も言わない結歌を責めているものではなかった。
 いつも桔梗をパシリ扱いしている菖蒲だけど、姉は姉なりに弟のことを思っているのだ。
「あやめちゃんて・・・桔梗のこと大事なんだ」
 素直に感心してみる。んー、と菖蒲は三秒考えて、すました顔で言った。
「大事っていうか、放っておけないとういか・・・昔から手間のかかる弟と妹だからねぇ」
 しみじみとした菖蒲の言葉を同じく三秒かかって理解して、結歌は一人、布団の中で微笑んでいた。

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