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 坂を登り切った所にある駐車場、その隣りにそれはある。

 塚原霊園。
「確か・・・こっちだっけ?」
 きちんと刈られた芝の上を進む。相変わらずの気温だが、丘の上をそよぐ風がその暑さを和らげていた。
 木に囲まれた敷地は、街中の騒音は届かない。人の気配もなく、下界から遮断されたような、そう言う場所だった。閑散とした、生活感のない無機的な空間に整然と並んだ墓石。ここに名を刻まれた人間はもうこの世にいない。
 その空気を全身に感じて、結歌は目を細めた。
 迷うような足取りで歩き出す。使いはその目的の場所を知っているが、あえて口に出さなかった。
(知っている)
 十年前の雪の降る日。結歌はここに立っていた。
 当時は冬で、両親の納骨の日。───暗い雰囲気しか覚えてない。
 黒い服、あざやかな花。─────「使い」。
「・・・そういえば、“私”が使いを初めてみたのはここだったわ」
「えっ? そうなの?」
 使いの言葉に結歌は吹き出した。
「隠れて見てたのよ」
 十年間探していた結歌に、実は一度、使いは会っていたのだ。会っていた、と言っても結歌が一方的に目にしただけで、使いの方は気づきもしなかったけど。
(・・・・・)
 あの時のような恐怖感は全くない。
 和やかな雰囲気をそのままに郷愁を感じながら、結歌は足を運ぶ。あの日と同じ道を。
「・・・・ここだわ」
 その石の前に立つ。刻まれた名は中村智幸、そして中村沙都子。
 十年の月日を思わせるその文字を噛み締めて、結歌は誰にともなく話しかけた。
「十年ぶりだね」
 結歌の後ろから、その様子を使いは優しく見守っていた。
 それだけの期間を経て、この街に還ってきた。
 思うところがあるのだろう。結歌はしばらく動かなかった。清浄な大気と、樹木の枝がそよぐ音だけが、その場を満たしていた。
「使いは・・・・お父さんと会ってるんだよね?」
「ええ」
 静かに言葉を発した結歌の声は、使いの心情を探るように低く響く。意味ありげな口調だとわかったが、使いはその真意を見抜けなかった。
 少しの沈黙の後、結歌は再び口を開く。
「その時、お父さんがこうなるって・・・・知ってたの?」
「!」
 責める口調ではなかった。しかしそれは確実に使いの胸に打撃を加える。
 結歌がその疑問に辿り着く可能性は十分にあったのに、使いはそう尋ねられる予想を微塵にも感じていなかった。
 事実は、結歌が使いをなじる権利があるものである。
「─── ・・・知ってたわ」
「そう・・・」
 振り返らずに言う結歌の抑揚のない声が、逆に使いを追いつめた。全身に寒気が走った使いに、弱音と言える台詞を吐かせたくらいに。
「・・・私だって、どうしようもないことなのよ」
 智幸に未来を告げてどうなる? もしそうしたなら、彼は逃げただろうか。
 自分の天命から逃げ出したつもりでも、それは違う形となって前に現れるだけだ。
 最期の秒読みに耐えられる人間が果たしているのだろうか? 正気のまま、その刹那の瞬間まで・・・。
 それ以前に、使いにそれを告げることは許されていないけれど。
 ───もしかしたら、あんな手紙を残した彼は・・・わかっていたのかもしれない。
 微かに震える声で、動揺を隠しきれなかった使いの言葉は、多くを語らなかった。
「・・・ごめん」
 意地の悪い質問をしたことを素直に謝る。醜態をさらさせてしまったことを反省した。
「結局、明日自分がどうなってるか・・・それさえも分からないものだもんね」
「少なからず、運命というものはあるよ。いつ生まれ、いつ死ぬか。そんなこと人は誰も知らないけど、大切なのはその間に何をやるかってことね。輪廻転生というものも存在するし・・・」
「私っていう例もあるしね」
 使いが語る運命論は真実味があり、何とも奇妙に感じさせたが結歌は話を合わせた。「使い」という常識以外の存在を認知した瞬間から、他の常識以外のものも何となく受け入れられるようになっていた。
 使いは木々の向こう側、眼下に広がる街を見て言う。
「結歌みたいに、誰もが以前の記憶を持って生まれてきたらいいのにね。再び生まれてきたとき、全て忘れているから、人間は同じことを繰り返す。教訓を得ずに愚かな発展を遂げる。自分で自分の首を絞めて滅びの道を進んでいる。だから───」
(しまった・・・!)
 使いは右手で口を押さえる。台詞の続きが語られることはなかった。
 ────言い過ぎたのだ。
「でも、記憶を持って生まれたって、大した人間にはならないよ。・・・同じ事を繰り返すしかないってことじゃない?」
 使いの変化には気づかず、結歌は悟ったような口をきく。そして笑顔で続けた。
「でもね、私、人間ってすごいと思う」
「?」
 それは英語の授業の時のこと。
 教師は教卓についているのに、結歌はいつも通り自習に専念していた。何故なら、英語担当の教師は大学を出たばかりで、おまけに気も弱い。英語教師の注意の声も掻き消されるうるさい教室で、それでも授業を聞こうというほうが愚かというものだ。そんなわけで結歌は、英語教師の声は完全に無視していた。
 堂々とした無駄話や、半分寝ている生徒達に見かねて、英語教師はある手段に出た。
 リスニング用に持ち込んでいたカセットデッキにテープを差し込み、再生を押す。
 懐かしいメロディが流れた。
 80年代の名曲として残る、アメリカのフォークソング。
 すると、無駄話の嵐が少しずつおさまってきた。生徒達が曲に耳を傾け始めたのだ。
 教室に沈黙が訪れた。
 結歌はその一連の出来事に素直に驚いていた。英語教師がこの結果を予測していたとは、思えなかったが。
「音楽を造り出すってこと。そしてそれに感動するっていうのは、人間ならではだと思うよ」
 自然が“音”を与えてくれて、それを集めて“曲”にする。やはり人間は神に選ばれた知恵を持つ種族なのだろう。
「─────」
 使いは目を見張った。
 言葉を発せずにいる使いの返答を待たず、結歌は続ける。
「記憶は全て消えても、もう一度生まれても忘れないような、そんな音楽に出会えたらいいね」
 その言葉に、使いは遠い昔を思い出していた。
 目の前の墓石の名前を見つめる。今の言葉、聞いた? その人物にそう言いたかった。
 結歌は知らないだろうが、過去、智幸が言ったことと、先程の結歌の言葉は同質のものなのだろう。
 そのことに気づいて、使いはひとり微笑んだ。
「使い」
 突然、結歌が振り返り2人の視線が合う。それを逸らさないで、結歌ははっきりと言った。
 次の言葉に使いは大きく目を見開いた。
「レクイエム、渡してもいいよ」
「!」
 一瞬、耳を疑う。
「実は今日、持ってきてるの」
 荷物の口を開けて、中に入っている分厚いノートを使いに見せた。
 本気だ。
 真剣な眼差しで、使いと視線を交わした。






 初め、まだ使いのことを怖がっていた頃。レクイエムを書いてしまうのが恐かった。

 使いの目的であるレクイエムを渡した後、使いにとってもう用の無い自分が、果たしてそこに健在していられるのか、不安があったのだ。
 しかし使いと会って、レクイエムを書かないでいる理由は、少しずつ変化したと思う。
 使いにレクイエムを渡したら、すぐ帰ってしまうだろうから。
 悪意のない興味の対象である使いと、もう少し話してみたかったから。
 三高祥子の気持ちが分かる気がする。
 理由は何であれ、興味の対象は少しでも長く見ていたいものなのだろう。
 だけど、いつまでも使いを縛り付けておくわけにもいかない。
 十年ぶりに帰還した今日を契機に、また、音楽を始めようと思った。
 その手始めとして、使いにレクイエムを渡そうと・・・決心したのだ。


 レクイエムを渡すと聞かされた使いは、あからさまに歓喜の表情を見せる。
 本当!? と声をあげそうになった時、その顔を覗き込むように結歌が振り返り、にやり、と笑った。
「ただし! 条件があるの」


 自分の提示するものがいかに愚挙なものか、そして自虐的なものか結歌は知るべきだった。 そして、訝る使いに、「条件」を告げた。



 使いは周りの大気が凍りつき、自分の鼓動が大きく鳴るのを、聴いた。

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