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 ゆきのはいつものように地上を見下ろしていた。
 母なる大地と海。父なる大気と風。もう悲鳴さえ聞こえない。そのちからさえ無いのか。それとも怒りを堪えているのか。
 どちらにしろ、もう声は届かない。
「・・・・」
 同情にも近い視線を、ゆきのは地上へ向ける。それは自然に対してか、もしくは人間へのものかはわからなかった。
 それらとは全く別の声が、ゆきのの頭に響いた。
【今回の件、うまくいくと思うか?】
 威厳のある、低い声。誰か、は考えるまでもなかった。
 ゆきのや使いの最高権力者、『聖』である。
「・・・いいえ。・・・・恐らく」
 恐らく、危惧していた通りの結果に終わるであろうことを『聖』に告げた。
 しかし確かに危惧していたことではあるが、レクイエムさえここに戻れば、こちらの都合に何ら支障は生じない。
 ・・・もしかしたら、『聖』はこうなることを望んでいたのかもしれない。
 ゆきのは声だけでなく顔にも出さないで、そう思った。
 もし支障あるとすれば、今、中村結歌と対している使いの心に傷が残ることくらいだろうか。そんな、たかが端末の人物ごときに気を配ることを許される『聖』ではないけれど。
 少しの沈黙の後、再び『聖』の声が響く。
【これで、全ての準備は整った。後は2年後・・・・・ゆきの、おまえの仕事だな】
 ヒクッ、とゆきのの顔が歪んだ。その表情を見られないように、ゆきのは目を伏せた。
「・・・わかっています」
 返した声は、いつもと同じように響いたようだった。
 そのことに安心した。







 時計は四時を回ったところだった。この季節ではまだまだ太陽は高みに浮かんでいる。静かな時間が流れた。
「・・・その3つに答えればいいのね」
 いつもと違う、使いの冷たい声。
 何度も念を押す使いの言葉に、何となく反射的に結歌は頷いてしまう。
 それは取り返しのつかない、軽率なことだった。
「地球」
 ぼそっと呟いた使いの一言。
 それは簡潔すぎて、逆に結歌の思考に辿り着くまでに時間がかかった。
「はぁ?」
 おもいっきり疑わしげに結歌は声をあげる。
 使いは笑った。
 それは初めて会ったときの、笑い方だった。
「かたち在るものはいつか壊れるよ。・・・それが十年後か百年後か千年後かは、その人の使い方しだいだけどね」
「ちょ・・・ちょっと待ってよ。え? 何? どういうこと? ・・・つまり、えーと・・・その為のレクイエムなの?」
 使いの答えは結歌の想像をはるかに超えていた。答えをもらった今でも、うまく考えることはできない。頭で処理できる範囲を超えている。混乱する思考をまとめる暇もなく、使いは言葉を続けた。
「結歌が今、立っている物も、46億年前にできたんだよ。いつかなくなってもおかしくないでしょ? ここは恒久の大地じゃないもの」
 すらすらと語られる使いの台詞は妙によそよそしい。結歌はその内容の大きさに圧倒されて、使いの雰囲気に変化があったことを見抜けなかった。
「それって・・・人類が滅びる、ってこと?」
 信じられない、と言いたそうな結歌の言葉に、思わず使いは失笑しそうになった。
 『人類が』とは、ずいぶん傲慢な考え方ではないか。
 結歌にしてみればそんな細かいところにまで気を使っていられない心情なのだろう。それはわからなくもないが、使いはわざと、自分の中でそれを指摘、中傷する。
 中村結歌に感情移入しすぎない為に。
「いつかは、ね。・・・・・結歌が心配することじゃないよ」
 使いはそう言った。この台詞には幾重にも意味が含まれる。これは、「結歌が生きている時代の話ではないから」という意味では、決してない。
「でも・・・」
 結歌は何かいいかけてやめた。話の大きさに面食らって、少しの間考え込む。
 ふと、口に手をやって、結歌は新たな疑問を口にした。
「使いって・・・・何者なの?」
 人間ではないことくらい、もうわかってる。
 何者なの? そう尋ねてはみたものの、結歌の本心は答えを望んだわけではなかった。
 それを聞いてしまうのは恐い。
「それが、3つ目の条件?」
 結歌に確認するように使いが問う。
 うっ、と言葉に詰まって、結歌は、
「ち・・・違うっ」
 と答えるしかなかった。
 3つ目の質問はすでに用意されている。突発的な疑問でそれを反古されるなど敵わない。
(4つにしておけばよかったーっ)
 いまさらながら、数を限定してしまったことが悔やまれる。
 使いが何者か? それを確かめないまま、話が進むのだが、2つ目の質問はそれに関係しているとも思われた。
「・・・主人、っていうのは?」
 それが2つ目の質問であり、条件である。
「そうねぇ・・・」
 どう説明すればいいかわからず、使いはしばし考え込む。そのうち、ぽん、と手を叩いて結歌のほうへ向き直った。
「あなたの“父”っていうのは、どぉ?」
 どぉ? と聞かれても結歌には答えようがない。
「・・・お父さん?」
「あ、智幸じゃないよ。・・・そうじゃなくて。ほら、モーツァルトのミドルネームである[A]。どういう意味があるか、知らない?」
「え?」
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
(アマデウス・・・・?)
 ────神の子─────
(え──?)
 今度こそ、おもいっきり疑惑の目を使いに向けてしまったかもしれない。
 使いは微笑んで、その視線を受けとめた。混乱する思考をまとめようと、結歌は頭を振った。
(どういうこと?)
 もし、『それ』が使いの主人であるとしたら、使いは・・・?
「・・・・使いって、何者なの?」
 無意識のうちに結歌は呟いていた。
「わからない?」
 一度かわされた2度目の質問であるが、1回目とは違う返答が返ってきた。
 わざとらしいまでの使いの笑顔にそう長く対峙していられるわけもなく、結歌は自分から目を逸らした。
「・・・いい。何でもない」
 知ってる気がする。
 この時、すでに結歌の心にひとすじの影がさしていた。しかしそれでも、それを気のせいだとする気持ちのほうが大差で勝っていた。それは頭の隅で囁く、使いへの恐怖を否定したいからかもしれない。
 結歌は先を促した。
「3つ目だけど・・・」
「ええ。・・・何が聞きたいの?」
 使いはもう投げ遣りで、なんでもいい、早く終わってほしいと願う。もう何を言われても、訪れる結果は同じものだから。
 早く終わってほしい。
《早く処理しろ》
 そう警告したのは、ほかでもないゆきのだった。
 それの本当の意味を、使いは分かっていなかったのだ。

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