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「しっかし、人使い荒いわねぇ…沙都子も」
 数百枚というチラシを抱え、階段を折りる。音楽学部器楽科(ピアノ)三年の巳取あかねは先程から愚痴をこぼしてばかりだ。
「いいじゃない。あかね、ヒマだって言ってたでしょ」
「だからって、他のクラスの人間に自分のクラスの宣伝を頼まないでしょー、普通は」
 既に逃げることは諦めている。だから愚痴ぐらいは吐いてもいいだろうと思ってはいるが、目の前の人間は、一人楽しそうに道行く人にチラシを配っている。あかねの話などまともに聞いてはいないようだ。
 同じく音楽学部器楽科(声楽)三年、鈴木沙都子。 
「うた科でーす、明日来てねー」
「沙都子ー…」
 うんざりしてあかねは、自分が持っているチラシに視線を落とした。
《うた科、全員参加ライヴ!! 『白鳥の湖』『ベートーベン五番・六番』など、フルオーケストラをスキャットで! 加えて、演歌・ポップス・ジャズ・ビートルズをファルセットで吠える! 乞うご期待!!》
「…」
 あかねはめまいを覚えて、廊下の壁に寄り掛かった。
(相変わらず…変な集団だ)
「あかねっ」
「えー、なにー?」
 思いっきりだれだ声を出す。どうしてこの友人はいつもこう元気なのか。
「食堂で何か食べてかない? お腹へっちゃった」
 うんとも言ってないのに、沙都子はもう歩きだしている。しかし休めるならあかねは大歓迎だった。
 本館の北階段を一階まで降りれば食堂がある。沙都子はランチを注文し、あかねは食べたばかりだったのでコーヒーを頼んだ。
「そういえばさ、沙都子」
「ん? 何?」
 込み入っている中、どうにか空いている席を捜し出し座ることができた。明日の準備のせいで皆遅い昼食を取っているのだ。
「ウチのクラスの子が言ってたんだけどね。どうして声楽なのに『器楽科』なんだろう、って。ま、今更だけどねー」
 沙都子のクラスのことだ。あかねの言葉に沙都子は身を乗り出し力説を始めた。
「なーに言ってんの、声っていうのは世界に一つしかない、自分だけの楽器なの。器楽科でも何の間違いも無いんだな、これが」
「───」
 あかねは目を見開く。今、すごい事を言ったのかもしれない。この、友人は。
 能天気な奴、と思っていたがこんなことを考えていたなんて。あかねはコーヒーを口に含み、目の前でランチを食べている人間を見なおした。
「沙都子ってさー、卒業後、どうするの?」
 おそるおそる聞いてみる。声楽で食べていくのは、この学校のレベルでは難しいだろう。しかし先程の言葉からみると、もしかして途方も無いことを考えているのかもしれない。
「ああ、進路ねー…この間も担任に言ったんだけど、『永久就職』、かな」
 がた、とあかねはコーヒーカップを机に落とした。
(あのなー…)
 わからない奴、と呟く。その声は沙都子には届かなかった。
 まあそれも、らしいと言えば沙都子らしい。
 あかねは体勢を建てなおし、「永久就職」で思いついた事を口にした。
「そういえば、あんたがホの字な奴、最近おかしな噂が…」
 がたん、と派手な音を立てて沙都子は立ち上がった。あかねの言葉は途中で切れることになる。
「沙都子?」
「ごめーん、ちょっと行ってくる」
 顔を赤くして、嬉しそうに沙都子は席を離れた。その方向を見て、あかねは沙都子の態度に納得する。
「…なるほど」

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