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 例えば同じ作曲科の人間でも、始終同じ教室にいるわけではない。
 選択授業もあるし、違う教授の授業もある。初めから結託してカリキュラムを組まない限り、毎日会うことは不可能だ。
 しかしそんな中でも、作曲科の人間が一同に会する授業が、週に三コマあった。
 「作曲概論」である。
 ピアノが一つ置いてある教室には、ずらりと机が並んでいる。音を出す授業ではない。基本的に講義なのだが、説明で曲が必要なときに、ピアノが利用されているのだ。
「あー、聴いた。あの新曲、サックスのソロがいいよね」
「例の映画のメインテーマ。スコアで手に入らないかな」
「モリオト祭のソリスト、バイオリン四年の宮塚さんはどう?」
「トランペットって、Bからだっけ?」 
 どうしてもこのメンバーが集まるとこういう話題になる。世の中に溢れる音、曲、歌。それらを語り合うとなると、学科内の人間でなければ盛り上がらなかった。
 今現在、授業中であるはずだが、教室の中で皆、二、三の輪になって話をしている。もちろん、ここに概論担当の武藤教授がいたら、そんなおしゃべりを許すはずはない。
 しかし、前方の黒板にはでかでかと、「自習!」と、書かれていた。その下には「モリオト祭の準備をするように」、ともある。
 教授が今どこにいるかは知らないが、確実に近付いているモリオト祭の、曲を書く時間を与えてくれたというわけだ。何といっても三年生は強制参加なのだから。
 毎年のことらしいが、準備が予定より遅れている生徒は少なくない。本当なら今頃は、曲が完成し、オーケストラの練習が始まっているころなのに。
 だが、この顔触れが揃って、大人しく自習するはずもなかった。話題は歌謡曲から始まり、クラシックにCF曲、サントラや音楽家にまで発展する。大げさかもしれないが、学校を出ると、この手の話が通じる相手は少ない。意見交換の場は活用しなければ意味がなかった。
 だが物事に例外あり。教室内には、教授のお達しを律儀にやっている人間もいる。
 五線譜とボールペンを持ち、窓辺に座っている中村智幸もそのうちの一人だった。
 しかし五分前から智幸の右手は動いていないし、視線も外に向け、どう見てもうわの空である。
 窓の外、敷地内の端にはドーム型の建物があった。
 創立二十一年を迎えた森都芸大、校舎もかなり老朽化してきている。しかし五年前、さすが私立というべきか、敷地内にコンサートホールが新築された。大きくはないが、『響森館』と名付けられたそれは、客席数九百。学内の公演・イベントなどに大きく役立っている。
 今回十七回を迎えるモリオト祭も、去年と同様、そこで行なわれる予定だった。
 モリオト祭のコンクールの主旨は、作曲者にオーケストラを扱わせ、場慣れさせること。及び、それをまとめる力を養わせること、である。そのオーケストラを編成する器楽科には団結力をつけさせることが目的だ。
 出場者は作曲に加え、器楽科オーケストラの人員確保、練習スケジュール作成、練習、指揮などをこなさなければならない。けっこう面倒臭いので出場者は年々減っているが、その年の作曲科三年生の人数より少なくなることはなかった。
 そして一般客の投票と教授の審査で最優秀に選ばれた人間には、「モリオト」という称号が与えられる。
「中村ー。曲、順調に進んでるか?」
 離れたところで、数人と会話していた服部が、窓辺でぼけている智幸に声をかけた。
 ぎく、と智幸は内心で呟いた。いや、もしかしたら口にしていたかもしれない。
 その態度を見やり、服部は、ははーん、と目を大きくして笑う。
 ふー、と息をつく智幸だが、その態度は焦っていない。
「どれどれ?」
 服部は智幸の譜面に興味を持ち、わざわざ歩み寄ってきて背後に回り込む。隠そうとしている智幸からノートをひっぺがし、その五線譜を覗き込んだ。
「─────」
 服部の視点が止まる。その表情がかたまった。
 その理由を、智幸はわかりすぎるほどわかっていた。服部は視線をそのままに、苦々しい声を吐いた。
「・・・・・・おい、一個も音符が見えないけど」
「見たまんまが進行状況だよ」
 ほとんどに自棄になって答える。服部は低い声を吐いた。
「おーまーえー」
「なになにー? 中村くん、まだ、曲書けてないのっ?」
 服部の声を聞きつけて、数人が振り返る。面白がっているように聞こえるのは、智幸の被害妄想だろう。きっと。
「おせーよ、間に合うのか?」
「でも中村は書き始めると速いんだよな」
 わらわらわらと、智幸のまわりに人が集まり始めた。その勢いをなんとなく、顔前に当てたノートでかわす。突然、にぎやかになった。
 教室の窓際には智幸を中心に五、六人が輪になっている。クラス全体の人数が二十人前後なのだから、四分の一はそこにいるのだ。
「オレはやっとオケの練習に入ったよ。まあ、その後が大変なんだけどな」
「どういうこと?」
「まだ楽譜を配った段階だけど、オーケストラは少なくとも五十人以上。全員集まるとマイクで喋らなきゃならないし、パート練習も細かくチェックしなきゃならないし。・・・改めて指揮者の偉大さがわかったよ」
 そう言って一人が溜め息をつくと、今度は隣の女が口を開く。
「そういえばチェロの首席の人! ・・・えーと名前は忘れたけど、すっごい態度悪いっ! 女だからってなめられてるのかしら」
「あー、あいつね。でも今回、コンマスが四年の佐々木さんなのは、正直助かる」
「同感」
 智幸はそんな会話を聞いていると、だんだんと不安になってきた。
 曲を創るだけでこんな苦労をしているのに、その後も大変なことが待っているのだ。
 半ばうんざりしながら、一同に尋ねた。
「みんなは、いつから曲を作ってた?」
「私は申込書を出してすぐあたり、かな。一週間くらいでできたよ」
 その意見には三人が大きく頷いた。一週間くらい、というのは、自分の決めた〆切であって、徹夜した、という意見もある。中には智幸のように悩み考え、一ヶ月というものもあった。
「俺は夏休みに書いてたよ」
「早いな」
「そか? 三年はコンクールに出なきゃいけないってわかってるわけだし、直前であわてるのも嫌だったから」
 中村のようにな、と嫌みを当てられてしまった。もちろん本気ではないが。
 少しの笑いが起こる。
「それにやっぱ、いい曲書きたいだろ? 自分の創作を聴いてもらう最後のチャンスかもしれないし」
(──────)
 智幸はふと、顔をあげた。その最後の言葉は、思ってもみないことだったのだ。
「すげー、現実的」
「悲しいこと言わないでよー」
 急にシビアな話題に転じて、またも大騒ぎになった。
 この教室、作曲科の中で、将来作曲家・音楽家になる人間は、一人いるかどうかだろう。後は教師や楽器屋、レコード屋、音楽教室の先生などなど。過去の卒業生の進路と言ったらこんなものだ。
 だからこそさっきの言葉。
《自分の創作を聴いてもらう最後のチャンス》
 かなりの重みで、智幸の胸に刻まれた。

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