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5.

 沙都子は最近、智幸と会えないでいた。
モリオト祭まであと三週間。沙都子のほうも合唱の練習で忙しいし、智幸もコンクールの準備があるのはわかる。
 たまにどこかの教室で、市川朗たちと練習しているのも知ってる。それはコンクールの曲に他ならないが、智幸は練習中、絶対に第三者を近づけようとはしなかった。練習棟の防音室に、放課後も遅くまでこもっている。
 完成するまで関係者以外には聞かせない。そういう考え方は作曲科の人間に多く存在する。 智幸はそれほどでもなかったはずだが、今回はそれを徹底的に実行していた。
 朝は授業が始まる時間が違うので会うことは少ない。放課後もお互いの練習が忙しく、最近は一緒に帰ることもなかった。残るは昼休み、一緒に昼食をとりたいのに、智幸は捕まらない。それくらい、してくれてもいいじゃないかー、と、恨みごとを言いたいのに。
 しかし全然会えないわけでもなく、休み時間など、来てくれることもある。そのあたり、智幸が気をつかってくれているのはわかる。けど、智幸が自分の曲のことを話題にすることはなかった。隠し事をされているようで、少しだけ、淋しい。
「あ、市川くん! ・・・だよね?」
 昼休みの食堂。見知った顔を見つけ、沙都子は考える前に叫んでいた。
 突然、声をかけられた男は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。しかしこちらは見識の無い相手だと気づくと、不審げな目つきで沙都子を見据えた。
「・・・そーだけど」
「中村くん、今どこにいるか知らない?」
 これはかなり無礼であったはずだ。沙都子は名乗りもせず、用件だけを告げた。構内中を探し回って、やっと心当たりのありそうな人間を捕まえたのだ。少しくらい無礼であろうが致し方ない。
 はじめは訝っていた朗だが、沙都子の問い掛けから、目の前の女が何者なのか気づく。
 朗は目を開いて大きく息を吸い、ぽん、と手を叩いて言った。それとわかるほど声は大きかった。
「もしかしてあんたが中村の彼女っ? えーと、沙都子さん?」
「? ・・・そうよ」
 逆に尋ね返された。その迫力に沙都子は頷くしかない。
 沙都子の覚えている限り、沙都子は市川朗と対面したことはなかった。にもかかわらず、声をかけたのはこちらだけど。朗は一人納得して、沙都子をまじまじと眺めている。
「何?」
「・・・いや、あんたすごいよ。中村にあんな曲書かせるなんて」
「え?」
 突然話が飛んだ気がした。沙都子は首を傾げる。
「中村が創った曲、あんたの言葉がモチーフらしいよ」
 中村智幸が創った曲。それはモリオト祭のコンクールに出す曲だ、というくらいは沙都子にもわかった。しかし、智幸と朗が行動を共にするようになってから、智幸はその話題を口にしていないし、誰にも曲を聴かせないようにしている。
 その曲のモチーフが・・・・・・。朗は何と言った?
「えっ、私知らない。きいてない」
 沙都子は朗の前で両手と首を横に振った。きいてないのは曲だけじゃなく、朗の口から、その曲の説明に自分の名前が出たことについて。智幸は何も言ってなかった。
 朗は、智幸が沙都子にまで聴かせていないことに驚いた。そして自分が問いただされてはたまらない、とばかりに、すでに逃げながら言う。
「あ、そーなんだ。じゃ、本番までのお楽しみ。中村なら305にいるよ。じゃーな」
「ちょっと・・・市川くん!」
 その声に朗は振り返らない。わざとだろう。

 この後、智幸に会ったらいろいろ聞いてみよう。
 沙都子はそう思っていたが、いざ智幸の顔を見たら気が変わった。
 智幸が隠しているのは、未完成のものを聴かせたくないからだ。完璧なものを、沙都子に聴いて欲しいから。
 ききわけの良すぎる彼女を演じるつもりはないが、珍しく自分のことに熱中している智幸を見たら、愚痴を言う気もきれいに消えた。
(やっと、ふっきれたのかな・・・)
 彼はこの一年間、彼の心の中だけでずっと、彼の中の何かと、戦っていたようだから。





 練習棟23号室。
 その部屋の外には聞こえない。
 しかし、智幸の手が止まると同時に、その空間を満たしていた曲が消えた。
 市川朗を含む七人が楽器から口を離し、顔をあげる。七人を前にして智幸は言った。
「・・・と、まあ、これがラストなんだけど」
 始めの顔合わせから十日。曲も完成し、はじめて通しの練習をした。
「どうかな」
 朗が集めてきたメンバーの中には、彼が推薦した、クラリネット二年の石原も含まれている。他、弦楽器やら打楽器のほうからも来ていて、はてはうた科の人間もいた。
 智幸が曲を作っている間、皆、かなり練習したらしい。この学校の学科には無い楽器なので、少し心配していたが、凄腕の人達が集まったことに圧倒された智幸だった。
「・・・すごい」
 石原が言う。
「本当、この楽器でこんな曲ができるなんてな」
「ユキ、おまえやっぱり、すげーよ」
 だめ押しに朗に誉められても、智幸は照れたりしなかった。自分自身、すごいものを創ったと思っているのだ。もちろんそれが自分の、生涯続くちからだとは思っていないけど。
 曲が出来上がって、はじめて人に聴いてもらった(演奏してもらった)。その反応に智幸は満足する。
「モリオト祭まであと三週間弱。慌ただしいけど、よろしくおねがいします」
 改めての挨拶。おねがいしまーす、と全員が頭を下げた。
「・・・で、これが練習スケジュールなんだけど」
 午前中のうちにコピーしておいた紙を七人に配った。それぞれが目を通す。
 スケジュール表には、主に放課後の練習時間とその曜日と、部屋割りがわかりやすく書かれていた。
「基本的には、この通り、人数が揃わなくてもやる。オーケストラのほうの練習もあるだろうけど、できるだけ参加してほしい。・・・特にうた科の久保、合唱のほうの練習は週何回?」
「3回だよ。けど、問題はスケジュールのことじゃなくて・・・」
「何?」
「鈴木さんがいろいろ尋ねてくること」
 久保は智幸に冷やかしの視線を向ける。智幸は赤くなって、がくー、と肩を落とした。
 言うまでもないが、沙都子と久保は同じクラスだった。久保が智幸の企画に参加したことが伝わると、沙都子は詳細を問いただしたのだ。
「まあ、どーいうわけか、最近は言ってこなくなったけど」
 智幸と沙都子の仲は有名なので、他のメンツは面白がってニヤニヤ笑っている。そして野次をいれる。
「最近、練習で忙しいからって、放っておいてるんじゃないのー?」
「そのうちフラれるかもな」
「いや、確か告白したのは鈴木さんのほうなんだよ」
「うそっ。初耳」
 周囲に好き勝手言われている間、智幸の握った拳はぷるぷると震えていた。もちろん、皆、それを知っていてはやしたてているのだが。
「あーもうっ、今日は解散っ。各自、個人練習しておくようにっ、以上!」

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