キ/wam/SOE
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7.
軽い拍手に促されるように緞帳が引き上げられる。
つつがなく演奏が始められる。・・・はずだった。
客席にざわめきが起こる。
ステージには今までのような整然として壮観なオーケストラはいない。雛壇はそのままだが、譜面台や楽器はきれいに片付けられている。
ただ七個の椅子が、扇形に並んでいるだけだった。
「一体、何やるんだ?」
客席の誰かが言った。
下手から楽器を持った人間が現れると、そのざわめきは一層大きなものになった。
作曲コンクールはオーケストラでやる。この会場にいる大半の人間はそう思いこんでいたに違いない。
体を乗り出してステージを見つめる。
教授たちでさえ、目を丸くする。
七人が席についた時も、誰もが拍手を忘れていた。
そんなに驚かなくてもいいのに。
誰もが知っている楽器なのだから。
「リコーダー・・・、たて笛だわ」
一般に、リコーダーの種類は十数個あると言われている。その中でも有名なものが五つ、順番に並んでいた。
手の中にすっぽり入ってしまうほどのスプラニーノ。
最もポピュラーなソプラノ(ディスキャント)。
きれいな中音のアルト(トレブル)。
低音がよく響くテナー。
肩のバンドなしには持てないバス。
ソプラノとテナーは二人、他は一人ずつのパート構成だった。
リーダーである市川朗はアルトリコーダー担当である。
声を抑え、笑う者がいる。
小学生が音楽の授業で使う楽器だ。オーケストラの重厚な音を聴いた後では、輪をかけて幼稚だ、と。
しかしそう思われることは、智幸も朗も十分承知していた。
指揮者が現れないまま、アイコンタクトでもって七人は一斉に構える。緊張感のある沈黙。 物音をたてることさえ許されないような空間。
朗が笛の先を動かすのを合図に、息を吸う音が響いた。
曲はカノンで始まった。
合唱に参加するのはほとんど1年生から3年生で、4年生は十数人程度である。総勢約二百人にのぼるが、この人数が響森館のステージの裏の楽屋に収まりきるはずもなく、渡り廊下を越えてすぐの、本館の視聴覚室も利用していた。
楽屋は上の学年から優先的に入っている。
中村智幸の曲が流れ始めた頃、鈴木沙都子は第三楽屋にいた。
プログラムがどこまで進んだかを確認するモニターには、ステージ全体が映し出されている。備え付けのスピーカーからは、音も聞こえてくる。
まるで食い入るように、沙都子はモニターを見つめていた。
(中村くん・・・・・・?)
舞台の中央には市川朗がいる。間違いなく、これは中村智幸の曲だ。
七つ、並ぶ笛。
しばらくその曲に聞き入っていた沙都子は、突然立ち上がった。
その時にはすでに、モニターの前には楽屋の中の十人以上が集まって、たて笛のアンサンブルに耳を傾けていた。その間を通って、沙都子は廊下に出る。
「沙都子っ!?」
あかねの声も無視して、沙都子は走り出した。
廊下を経て、扉一枚向こうはすぐ舞台袖だ。沙都子は実行委員に断りもなく、ドアを引いた。
たったドア一枚。
それだけで空気が違う。
息を飲む緊張感。立ったことがある者ならわかるだろうが、舞台袖というのは天井が高く、ひんやりとした空気と、木の匂い。独特の雰囲気があるのだ。
沙都子はそこを通り抜け、制御カウンターの隣、カーテンのところまで足を運んだ。
舞台の上では市川を含めた七人がライトを浴びて演奏を続けている。
はじめ、笑っていた観客も、口を閉ざし、舞台を見つめていた。
楽器をやるものなら誰もが知ってる。アンサンブルの強み。
重なる音は少ないけれど、澄んだハーモニーと静かなメロディ。
静寂の迫力。というものは確かにあるのだ。
ステージに智幸の姿はない。指揮者がいないことが示すように、これはアンサンブル。オーケストラとは違う、静かで澄んだ響き。
曲は深く厳か。どこかアジア的。笛の音がそう思わせるのか、民族音楽のようにも聴こえる。広大な地、地平線に沈む夕陽を、沙都子は思う。
「大地の歌」
それが題名。
ソプラニーノリコーダー、最も高音を出す一番小さい楽器のソロにはいった。
小鳥の鳴き声のような音が、ホールに響きわたる。
高い音は広い会場でも、一番後ろの席まで音を貫かせることができる。しかし高音楽器特有の刺すような音色ではない。優しく穏やかな音だった。
それに重なるように、市川のアルトリコーダーが入ってくる。テナーとの和音が暖かい。
大地の歌。
沙都子は自分が泣いていることに気づいた。
カーテンを握りしめる。
どうして。すごいすごい嬉しいのに、泣きたいほど嬉しい時に、胸が締めつけられるような感覚に襲われるのはどうしてなんだろう。
その痛みを忘れたくない思いにかられるのは何故なんだろう。
舞台の上の演奏は続いている。
(・・・これが、中村くんの曲)
そして、この曲が彼の中にある世界。
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