BlueRose-Side. 祐輔/実也子/知巳/圭
Side.圭


 どうして皆、叫ばずにいられる?
 小学生の頃、教室でひとり考えていた。

 胸が逸る。静かな熱情がずっとここにある。
 足が疼きだす。
 立ち止まっていてはいけないのだと。
 風の吹く方へ。
 走り出さなければいけないのだと。
 叫ぶ鼓動。
 どうして皆はそんな平然と笑っているんだろう。
 この絶望に似た焦燥感に耐えていられるんだろう。
 狂おしいほどの無力感に何もせずにいられるんだろう。

 俺は叫びたい。

 どうして叫ばずにいられる?
 小さい頃。そう思っていた。







「うるぁっしゃぁあ! 今夜のゲストは〜、なんとッ、BlueRoseの皆さんでぇ〜す!」
 癖のあるハスキーな高い声がスピーカーから響く。それは店頭や車の中、山辺でも海辺でも、歩きながらでも部屋の中ででも聴くことができたはずだ。電波受信機(ラジオ)の周波数を合わせてさえいれば。
 時間は夜11時。ラジオはここからがゴールデンタイム。
 毎回ゲストを招いて突っ込んだトークを繰り広げるこの番組は、今夜50回目を迎えた。「The 50th night Special Live」と題して時間拡大の生放送、スペシャル企画満載、豪華なゲストを迎えた。
「もー、今回はね? ウチのスタッフちょ〜頑張ったッスよ。絶対、BlueRose呼ぶっつって2ヶ月前から交渉しててね? ど〜にか、ど〜にか、こうして来ていただくことができたの! スタッフの涙ぐましい努力に報いるタメに、それからこれを聴いてくれている皆のタメに、この1時間でBlueRoseの知られざる一面をふか〜く暴いちゃうのがアタシ・早坂(はやさか)の使命だよね? 楽しみにしててください!」
 中央のマイクの前で女性DJは拳を振り上げつつ喋った。ニットの帽子にトレーナーという服装の彼女の声は自然熱を帯び、それはブース外にいるスタッフにも届く。
 もちろん、向かいに座る5人───BlueRoseにも。
 BlueRoseは今年の5月にデビューしたJ-POPバンドで、一枚目のシングルは3ヶ月経った今でもチャートインしており、2枚目は4週目に入っても3位にランキングされていた。デビュー以前にも世間を騒がせていたが、デビュー後もメンバーの意外な経歴が明らかになったりと何かと話題の絶えないバンドである。今最もアクティビティの高い芸能人と言っても過言では無いだろう。

「BlueRoseって歌番組にしか出ないもんね〜。トーク系のお仕事は珍しいんじゃないかな。まずはお約束で端から自己紹介、ヨロシクぅ!」
 早坂のシャウトの後、少し間があって、
「BlueRoseのキーボード担当、山田祐輔です」
「ギター、中野浩太」
「小林圭でーす」
「ベースの片桐実也子でっす」
「ドラム、長壁知巳です」
「ありがとーう。…って、な〜んか、皆、落ち着いてない? コレ生番組だけど緊張とかなぁい?」
「俺は歌うよりかは緊張してるな」
「嘘でしょ。圭が緊張してるところなんて見たことないですよ」
「そうそう。この中で一番図太いな、圭は」
「浩太は変なところで繊細すぎるんだよ。祐輔は鉄骨の心臓だし」
「おいおいBlueRose、いきなりケンカかぁ?」
「いつものことですから」
「でも圭ちゃん以外はこういうトコであんまり喋ったことないよね」
「テレビだと大体、ケイくんがトーク担当じゃない?」
「こいつが一番喋りうまいんですよ」
「そーそー、一番クチがうまい」
「クチだけじゃなくて歌も巧いんだ」
「その生意気な態度で釣りがくるな」
「…あの、ケイくんとコータくんがなんか睨み合っちゃってるんだけど、これもいつものことなの?」
「はい」「ええ」「うん」
「私たち、ラジオのお仕事は初めてだけど、事務所の社長は“普段通りに喋ってくればいいからとりあえず行ってこい”、って」
「普段通り喋られたらフォローしきれないから、頼むからやめろ」
「もう遅いと思いませんか」

「リスナーからメールが来てるよ〜ん。え〜と、“BlueRoseの皆さんは休日はどんなことしてるんですか?”だって。っていうか、休みあんのかなぁ、どうよ? ん〜と、じゃあ、ケイくん」
「あ、この間の休み、5人でカラオケに行った」
「あっはは、カラオケ〜?」
「ミヤが行ったことないって言うから。そろって変装して。な?」
「うん、すごく楽しかった。また行きたい」
「え? ミヤさん、カラオケ初体験? 珍しくない? なに歌ったの?」
「えっと、みんなのうたとか童謡」「ほんと珍しいな、それ」「あと圭ちゃんの歌も」
「わお。え? じゃ、そのケイくんは?」
「堀外タカオと山村シンジ」
「しぶっ! えぇええ? ケイくんの趣味?」
「そーそー、こいつプライベートではこんなんばっか」
「他人の部屋からそのCD奪ってたヤツの台詞かよ、浩太」
「あははは。じゃ、コータくんも結局聴いたんだ? 堀外タカオと山村シンジ」
「当然」
「浩太はね、ほんと、節操無い。何でもかんでもあるものは聴くってかんじ」
「あー、じゃあ、コータくんは一番レコード持ちだったりする?」
「うーん…、この中じゃそうかな」
「この中?」
「ウチのスタッフにも一人…いや二人? 浩太に似たコレクターがいるから」

「もひとつ質問いこっか。“ケイはいつから歌手になりたいと思ってたの?”だって」
「え? 俺?」
「そう」
「…わかんね、いつだろ? 結構、前」
「『B.R.』がデビューしたときって、ケイくんは13歳だったんだよね。それより前ってことでしょ?」
「あ、もっと全然、前。小学校上がるより前だったし」
「え? うそぉ」
「あー、確かに圭はそんな感じだった」
「そうそう。真っ直ぐここまできたーってカンジ」
「初対面のとき、凄い覚悟を決めてる子供だなって思いましたね」
「そうそう、この中で一番プロ意識高いのは、絶対、俺だし」
「んんん? どういうこと? ケイくん」
「浩太とミヤは遊びの延長だし…あ、良い意味だから。祐輔は例えば彼女に何かあったら仕事放りだしそうだし、長さんは食っていけるなら別にこの仕事でなくても構わなそうだし」
「…ん〜、…それは否定できない!」
「俺らの評判落とすようなこと言うなよ」
「いや、言い得てると思いますよ」
「でもはっきり言われると腹立つ。…確かに間違ってないけど」
「じゃあ、そのケイくん。歌手になりたいって夢を持ってるリスナーに何かアドバイスしてあげてよ」
「あー、それなら、誰かを目標にするのがいーんじゃない? 目標っていうか目的があれば、あとは努力と根性と運だけだからさ」

「すんません、CM前にいっこ告知するね。えーと? …うおぉー! 森村久利子(もりむらくりこ)の緊急来日ライブが10月にあるって! チケットの先行予約、来月開始! って、これはマジで貴重! ホントに。森村さんはほとんど表に出てこないよね、本拠地はロンドンで日本にも滅多に帰ってこない! これは行かないと損だ〜っ! と、言うわけで先行予約はAN音響および各チケットセンターまで! 番組のHPにも情報入れとくから、みんな見にきてね!」





「CM入りましたー。1分間でーす」
 ディレクターの声がブース内に響く。早坂は誰よりも早く席を立つと、本日のゲスト5人に向かって頭を下げた。
「BlueRoseの皆さん、お疲れ様!」
 オンエアのチャネルは今はマイクから離れてCM用ディスクへ移っている。声量を気にせず早坂は大声で言った。
 BlueRoseの5人もそれぞれ立ち上がり挨拶を返す。
「お疲れ様です」
「ありがとうございました」
「お先に失礼します」
 調整室にいるスタッフにも会釈を残す。そしてスタッフも笑顔で手を振り返した。
 早坂は今日、初めてBlueRoseと対面した。何かと噂の彼らと会うことを楽しみにしていて、今日の番組のゲスト招聘にも精力的に協力したのだ。
 ラジオDJという職業の早坂は業界内ではまだ表舞台にいるほうだ。その部類に比べ、番組プロデューサーや脚本家、カメラマン、照明音響、TKという裏方スタッフの間では業界内の噂が本当によく伝わる。
「あいつら、ほんっとに仲良いよ」
 と、BlueRoseの噂を耳にした。噂を広めたのは主に歌番組の裏方スタッフたちだ。
 グループやバンド、芸人のコンビたちがプライベートでは口も利かない、というのは実は珍しくない。仕事は仕事と割り切る、仕事以外は距離を置く、そういう関係も大切だろう。ただしそれを大衆に見せないことが暗黙のルールだ。夢を売り物にしている以上、客を興ざめさせてはいけない。
 BlueRoseもご多分に漏れないんじゃない? と思っていたところ前述のような噂を耳にした。今日、実際に会って確かめるのことが早坂はずっと楽しみにしていた。
「今夜は楽しかった! また来てね」
「またお誘いくださ〜い」
 紅一点のミヤコが手を振り無邪気な笑顔を見せた。
 と、そのとき。
 ぱたん。
「え?」
 重すぎも軽すぎもしない音に振り返ると、
「圭…っ!」
 ケイがテーブルの上に突っ伏していた。その顔は汗を滲ませ、苦しそうに見える。
「え? ケイくん?」
 早坂が声をあげるのとほぼ同時に、コータがケイの上体を持ち上げ、肩を支えた。
「だめだ、完全にダウンしてる」
 と、コータが呆れたように溜め息を吐いた。
 続いてユウスケが、
「公言した通り、今日の仕事は保たせたわけですか」
「大したヤツだよ。実也子、マネージャー呼んでこい」
「わかった!」
 いち早く、ミヤコはブースから飛び出していった。
「小林くん、どうかしたのか?」
 早坂と同じ心持ちのスタッフが声をかける。
「お騒がせしてすみません」
 と、ユウスケ。
 事情を説明してくれたのはトモのほうだった。
「今朝から熱があって体調不良だったんだけど、本人が今日の仕事はこなすって聞かなくて」
「えっ、ケイくん、病気だったの?」
 早坂が叫ぶと、それが他のスタッフにも飛び火した。
「は? さっきまで元気よく喋ってたのに」
「病院行かなくていいの?」
 その少しの騒ぎにトモとユウスケは困ったように笑った。
「遅かれ早かれダウンするだろうとは思ってたから」
「それより、早坂さん達はまだ番組あるでしょ、心配しないでください」
 心配が煩わしいようにも聞こえたが、それ以上にまだ仕事中である早坂達を思いやっての台詞だった。
「じゃ、こいつ、連れてくぜ」
 コータがケイの肩をかつぐ。
「お先に失礼します」
 トモがそれを手伝い、3人+1人はブースからそそくさと出て行った。
「………」
 早坂と他スタッフはしばらくポカーンとその後を目で追ってしまった。我に返ったのは、
「20秒前でーす」
 というスピーカーからの声のおかげだった。
 その合図とともに、一時固まっていたスタッフたちも動き出す。途端にブース内が慌ただしくなった。
「仕事終わったとたん倒れるなんて、いい根性してんなぁ」
「早坂、さっきのケイのこと言うなよ」
「わかってる! 馬鹿にしないでよ」
 “一番プロ意識高いのは、絶対、俺”と公言したケイの、そして倒れるくらいの熱があるのにしっかり仕事を終わらせた彼のプライドを傷つけるようなこと、するわけない。
「CM開け、10秒前でーす」
 そして今夜の早坂の仕事はもう少し続くのだ。








 例えば。

 白い森にひとり立つ。

 重力に抗えない雪が静かに降り続く。
 白い地面に跡をつけるのは堕ちた雪だけ。
 漂うことさえできない凍てついた大気は肌を刺し、焼いた。

 髪の先から、気が遠くなるような冷気が近づいてくる。

 どこまでも続く針葉樹の影。
 他には何もない。深い森の中。

 そっと肩を抱く寒冷。

 雪に埋もれゆく自分。

 そこに音は無い。
 唯一持っていた声はすべて雪に消えた。

 ───その孤独感は心地良くさえあった。
 深く青い海の中を漂うように。

 体の芯が温かい。
 その静けさは胸を熱くさせた。その熱に泣くほどに。

 ここはとても綺麗な場所だけど、目指す場所じゃない。
 行かなきゃいけない。ここにはいられない。

 ずっとこの居心地の良い場所で雪に埋もれていたかった。
 この静けさに包まれていたかった。
 でも歩きはじめなきゃいけない。この汚れ無い白い地面を、この足で踏み荒らしても。

 ───あの人の音楽は、そんな情景に引き込むちからがあった。





 意識が戻ったと自覚した。
 取り戻した現実に、かすかに人影が見えた。
「───…ぁさん?」
 その人影が振り返る。「え?」
「!」
 圭は何か叫びかけて、ガバッと勢いよく上体を起こす。
 が、そのまま倒れそうになった。ぐぁんぐぁんと頭が鳴っていた。
「大丈夫? 熱下がってないから大人しく寝てて?」
 ベッド脇に駆け寄ったのは実也子だ。心配そうな顔が覗き込んでくる。
「えっ、俺、さっきなんか言った?」
「ん? よく聞こえなかったけど、なに?」
「…っ」起き抜けに呼びかけた言葉、それを思い返し一瞬で頭に熱が昇る。(よ、よかった…)
 その安堵感と引き替えにさらに熱が上がったようだ。冷たいものを食べたときのようなシャレにならない頭痛に襲われて圭はそのままベッドに横になった。
(いて〜っ!)
「圭ちゃんっ?」
 自分の部屋にいる。と、圭はその枕とシーツの感触で今更ながら気付いた。
(ラジオの仕事で…何かあったっけ?)
 頭痛のせいで圭の思考稼働率は普段の60%以下、それでもどうにかこの状況を理解した。
「…俺、どれくらい寝てた?」
「半日くらいかな。もう次の日のお昼」
「は!?」圭は大声をあげた。「仕事はっ!?」
 毛布の中でまた頭を抱えるはめになる。大声を出すと頭に響いた。「あたたたた…」
「もぉ! 大人しくしてなさい!」
「でも、スケジュール入ってただろ?」
「仕事はマネージャーさんが調整中、かのんちゃんは社長に相談しに行ってるよ」
「ごめん。自己管理能力、疑われるな」
 その声は深く落ち込んでいた。
「そんなこと考えなくていいんだよ…圭ちゃんらしいけど」
「みんなは?」
「長さんの部屋にいる。さっきまで祐輔もここにいたんだよ」
「…じゃあ、ミヤも、ここはいいからさ、みんなの所行ってろよ」
「でも、圭ちゃん病人じゃない。面倒見させてよ」
「ミヤにうつしたら仕事復帰がさらに遅れるだろ」
「…」
「ていうか、俺、人がいると寝付けないからさ。大丈夫、何かあったらちゃんと呼ぶし」
「…わかった。───けどねッ! キッチンにごはん作っておいたからちゃんと食べて、あと水分もたくさん摂って、薬はあんまり飲まないでね。汗掻いたら着替えもちゃんとすること! あとは…」
 実也子が大人しく出て行くはずもなく、その長すぎる捨て台詞を圭は苦笑しながら聞いていた。
「明日になっても熱が退かないようならお医者さんに行くからね!」
「意地でも下がらせるよ」
 ひらひらと手を振り返すと、やっと実也子は部屋を出て行った。
 そこで圭は大きな溜め息を吐く。誰もいなくなった部屋だ。遠慮はいらない。
 布団を少しだけはぐと、汗を掻いた身体に寒気が走った。ついでに痛みが頭を撃った。(あいた〜)それをやり過ごすと圭は手を伸ばし、ベッドの下の収納引き出しの中から一枚のCDを取り出す。
 圭の所有するCDは机の横のCDラックに整然と並べられているが、そのアーティストのCDだけはここに置いていた。部屋を訪れた他人に見られたくない。圭にとって特別なものだった。
 枕元のポータブルプレイヤーにそれをセットする。イヤホンを両耳につけて、プレイさせて、音量を調節して、圭は乱暴に布団をかぶりなおした。
 早く治して仕事復帰しなければならない。さらに明日までに熱を下げなければ病院に連れて行かれてしまう。
(注射嫌いなんだよな〜)
 CD一曲目の前奏が終わり歌が聴こえ始めた。
 圭はきつく目を閉じた。



*  *  *



 BlueRoseの5人はこの夏からマンション暮らしを始めた。全員、部屋を捜すのを面倒臭がったので、結局事務所から紹介されたマンションに別々に部屋を借りている。
 その際、知巳のところだけ部屋数が多い物件を借りた。それはこうして全員が集まれるようにだ。
「実也子でーす、入りまーす」
 実也子が知巳の部屋の玄関を開けると、メンバーの他3人と、それから叶みゆきが来ていた。
「かのんちゃん…!」
 小走りで駆け寄る実也子に気付いたみゆきはちょこんと頭を下げた。
「実也子さん、こんにちは」
「社長、何か言ってた?」
「ええ、今回のことは仕方ないって言ってました。5月からこっちハードなスケジュールでしたから、疲れが出たんだろうって」
「嘘くせー。あの社長、そんなタマじゃねーだろ」
 組んだ足の上で雑誌を広げている浩太が冷やかした。
「まぁ、鵜呑みはできませんね。…かのんさん、それから?」
 祐輔が先を促した。
「あっ、はい。今はマネージャーさんがスケジュール調整してます。取り急ぎ3日、どうにかなりそうですって。他の皆さんは雑誌関係がいくつかあるみたいです、あと希玖が次の曲をあげてきたのでこの機会に撮り始めましょう。マスコミはそれで深追いしてこないと思います」
 BlueRoseが次々と仕事をキャンセルしていることはマスコミにも容易に伝わってしまう。圭が倒れたなんてわかったらマスコミはまた騒ぎを起こすだろうし、それは事務所にとってもなにより圭にとっても本意ではない。それならいっそのこと急な仕事を作ってしまおうという魂胆だ。
「実也子、圭の様子は?」
「ん、さっき目が覚めた。まだ熱が高くて…頭痛が酷いみたい。ごはん食べて、今は寝てる…と思う。───私がいると、圭ちゃんに気を遣わせちゃうみたい」
 何もできない自分を責めるように実也子が声を震わせてうつむく。知巳は溜め息をついてその頭を撫でた。
 そして祐輔が言う。
「まぁ圭の性格からして自分の体調不良を他人に見られたくないでしょうね。気にすること無いですよ、実也子さん」
「圭ちゃんたら、“喉にこなくてよかった”なんて本気で安心してた。…それは分かるんだけど! 圭ちゃんってなんか…価値観ズレてるとこない? ラジオで言ってた“プロ根性がある”っていうのとはちょっと違う気がするの。うまく言えないけど…」
 実也子が言葉に詰まると横から割り込む声があった。
「もともとあいつ、そういうところあるじゃん」
「中野…?」
 浩太は膝の上で雑誌をめくりながらさらりと言った。
「自分の中で価値があるのは声だけだと思ってる」
 しん、と室内が静まる。
「…あー、…そういうところ、ある、かな」と知巳。
「どうしたの中野、今日冴えてるじゃん」
「どういう意味だ!」
 実也子と浩太が騒ぎ始めたのを収めるために、祐輔は口を挟んだ。
「そういえば今朝、圭の実家に連絡したんですけど…」
「あー、あの楽しい親父さん?」
 浩太が思い出し笑いをした。
 BlueRoseが再結成されたとき、全員の実家へ全員で挨拶に回った。なのでお互いの家族とは一通り面識がある。
「何て言ってた?」
「『一度倒れたら大丈夫。恥ずかしくて治るまで出てこないから』───と言ってました」
「あはは、さすが圭ちゃんのお父さん」
 たまらず実也子は笑い出した。
「あいつの性格、よく解ってるなぁ」
「あ、それともうひとつ」
 祐輔はさらに付け加えた。
「『家内をそっちに向かわせますので、圭が許すようなら会わせてやってください』」
「は…?」「え、それって小林くんのお母さん、ってことですよね?」
 浩太とみゆきは顔を上げてそれぞれ質問になりきらない言葉を返す。
「確か皆で挨拶に行ったときは、不在でしたよね」
 圭の実家は愛知県名古屋市内、父親は小さいレコード屋を営んでいる。全員で挨拶に行ったときも営業日で忙しそうに動き回っていた。そのとき圭の母親を見ることはなかった。
「俺、圭って母親いないのかと思ってた。親父さんの話はたまに出てくるけど、母親のことあいつから聞いたことないぜ?」
「あ、実は私もそう思ってたから圭ちゃんには聞かないでいたんだけど」
「でも来るってことですよね」
 ぴんぽーん
「わぁ!」
 あまりのタイミングの良さに実也子が声をあげた。
「え? まさか本当に本人?」
「びっくりしたぁ…」
 知巳はインターフォンに応じるために部屋を横切った。オートロックなので来客はまだエントランスの外だ。
 いくつかの言葉を交わし合った後、知巳は向き直って言った。
「小林圭の母親、だってさ」










 好きな音楽を見つける能力は誰にでもある。
 それはこの身体という鋳型に、ピタリと当てはまる音楽と出会えたときに気付く。
 まるで、鋳物の錠がカチリと音を立てて回り、扉を開けて、見たことのない向こう側の景色が広がる。そんな感覚だ。でも。
(俺はいつも、その景色を素直に見ることができなかった)
 自分の鋳型に合う音楽を見つけられる人は沢山いる。
 けど。
 俺は、その音楽からこの鋳型を造られた。この喉も声もすべて、その音楽から造られた。



 それを独占したかった。
 だってそれは俺だけのものだった。

 いつもそこにあり、いつもこちらを向いていた。求める必要なんてない、手を伸ばせば触れられた、抱きしめることができたから。
 まるで心を見透かすようにこの身体に染み入る。悔しいときや悲しいときにその声を聴けば素直に泣けた。優しい気持ちになれた。
 幼い俺の未熟な思想も稚拙な反抗もすべて受けとめてくれた。貸したゲーム機を壊されて友達と喧嘩した日も、悪態吐いて父親に殴られた後も、その声は俺の怒りを冷やし冷静に考えさせ、大好きで大切な人達と楽しく過ごしていくにはこんな時どうすればいいかをそっと示してくれていた。
 たからものだった。その声に出会えてよかったと、ある夜、声を殺して泣いた。

 それは俺だけのものだと思っていた。
 知らなかったんだ。その声を希んでいる人が他にも大勢いるなんて。




「ね。圭くんはどっちがいいと思う?」
 不安な面持ちの母が覗き込んでくる。11歳のときだった。
 母の後ろで、いつもは不敵な面構えの父が難しい顔で視線を落としている。
「お母さん、ロンドンのレコード会社に誘われたの。CD出さないかって」
「……は?」
 そのとき初めて、母が結婚前にマイナーな歌手だったことを知った。母が毎日のように歌っていた歌は古いレコードに収められているものだった。
「仕事を受けたら長い間向こうにいなきゃいけなくなる。でもお母さんは、お父さんや圭くんと一緒にいることも大切だし…でもまた歌いたいっていう気持ちも、正直あるんだ。ずっと悩んでたけど、まだ決めかねてるの───ねぇ、圭くんはどっちがいいと思う?」
「おい、やめろっ」
 呆然としている俺と母の間を父が割って入った。
「あなた…」
 父が母に、声を荒げるのを初めて聞いた。
 父は母を指さして詰め寄った。
「おまえが歌いたいっていうなら俺は止めない。もし後になって圭が離れていった母親を恨んだとしたら、それはおまえの決断の結果だ。その決断を圭に押し付けて責任をなすりつけるようなマネはやめろ。圭に後悔させないでくれ。おまえはおまえの意志で、ここを出ていくんだ」
「私、そんなつもりじゃ…」
「どんなつもりでも、おまえの行動を決めるのはおまえだけだし、それに責任を取るのはおまえ自身だ。どっちを選んでも後悔する選択を圭にさせないでくれ」
「───いいよ」
「圭くん?」
 母の思いも、父の気遣いも俺はよく解っていた。
 どう答えればいいか、ちゃんとわかってたんだ。
「俺、母さんの歌をいろんな人に聴いてもらいたいよ? それってスゲー自慢できるじゃん?」




*  *  *




「はじめまして。小林圭の母で小林久利(ひさと)です」
 知巳が連れてきた中年女性は浩太たちの前でゆっくりと頭を下げた。
「圭がいつもお世話になってます」
 ぴたり、と。
 何故かそこにいる全員───浩太、みゆき、実也子、祐輔が目を見開き、言葉を失った。
 突然現れた圭の母親に驚いたからじゃない。
「…ぇ」
「わぁ…」
 それぞれの反応は意味を成さないもので、浩太もまた、それに耳を奪われていた。
 人の喋り声を耳にして驚いたのは初めてだった。
 透きとおった、その向こう側まで見えるような透明な声。
 特に高い声というわけでもないのに、両耳をすり抜けていく心地良い響きを、人間のものかと疑ってしまうような美しい声を、誰が驚かずにいられるだろう。
「…あのっ」
 浩太はその声を知っていた。
「もしかして、森村久利子(くりこ)?…さん?」
「…えっ!?」
 反応したのはみゆきで浩太に視線を投げる。「まさか」と口が動いたがそれは声にならなかった。
 当の本人、小林久利(ひさと)はにっこり笑って、
「あら、光栄です」
 と言った。その美しい声で。
「えっ、本当に? 森村久利子さんが小林くんのお母さん?」
 普段は大人しいはずのみゆきが顔を赤くさせ大声をあげた。そのみゆきと同じ興奮を浩太も味わっていた。
「ど、どうして日本に? …あ、確か再来月に」
「ええ。今朝、成田に着いたんです」
「結婚してるって噂はあったけど…まさかあんなでかい子供がいたとは……───おわっ」
 その浩太の肩を背後から引き寄せる腕があった。
「中野」「んだよ」
「すごいキレイな声の人だけど…有名な人なの?」
 実也子が小声で聴いた。
「はっ?」どうやら知っているのは浩太とみゆきだけのようで、祐輔と知巳も実也子と同じ思いだったようだ。確かに、バンド内で鑑賞音楽ジャンルに節操が無いのは浩太とみゆき、それから希玖くらいで、他の連中は極端に偏りがある。仕方ないのかもしれない、が。
「馬鹿っ、世界中でレコード売れてる歌手だよ。名前は知らないかもしれないけど、曲は絶対、聞いたことあるって」
 さらにみゆきも、
「昨日の早坂さんの番組でも紹介してたでしょ。ロンドンを拠点にしてるアーティストで、あまり表には出てこないけど今度日本でコンサートをすることになったって。チケットはこれから発売ですが一騒動あるのは必至ですよ」
 浩太とみゆきの一生懸命な解説を聞いて、森村久利はクスリと笑った。
「おこがましいようですけど、よろしかったら招待させてくださいな」
「えっ」
 飛びつかんばかりの浩太。しかし、
「…あ、でも、お忙しくていらっしゃるのよね」
 がくっ、と項垂れた。
「あ───…、うー…、かのん、どうにかならない?」
「そればっかりは…マネージャーさんに訊いてみませんと」
 みゆきも残念そうに浩太を宥める。
 さらにその後ろでは、やっと事情を飲み込めた実也子がぽつりと呟いた。
「圭ちゃんのお母さん、歌手だったんだぁ」
「初耳ですね…」
「全然知らなかった」
 祐輔と知巳が頷く。その会話に小林久利は顔をしかめた。それをごまかすように、
「…あー」
 こめかみのあたりをぽりぽり掻くと、
「やっぱりお母さんのこと自慢するっていうのは嘘かぁ」
 と苦笑した。









 その声から産まれたのだという確かな証だったのに、この声は急速に醜くなっていった。
 変声期。生まれて初めて絶望を体験した。
 『B.R.』解散直後だった。来年はもう同じようには歌えない、そう覚悟していたはずなのに、直面した現実に泣いた。
(返してくれ)
 その声から産まれたのだという確かな証を失くした。二度と戻れない。
 街に流れる以前の自分の声に嫉妬した。
 母は昔と変わらず今も綺麗な声で歌い続けていた。
 ───俺もそんな風に歌いたい。
 羨ましい、嫉妬、憧れ、追いつきたい、近づきたい。
 物心ついた頃からすぐ傍にあった声。真似するように一緒に歌っていた。
 歌が好きだった。
 母の歌が好きだった。
「俺、母さんの歌をいろんな人に聴いてもらいたいよ?」
 それは嘘だ。手放したくはなかった。独占していたかった。
 でも後悔はしない。

 立ち直るには時間が必要だった。
 でも立ち直ることができると直感していた。
 俺には俺の、歌う場所があったから。



 声が、歌を紡ぐ。
「……」
 圭はベッドの上で目を覚ました。
 頭がぼーっとしている。熱もまだ下がっていないようだ。
(あんまり時間経ってないのかな)
 多分、夕方だろう。気温が下がってきている。湿度も低い。静かで穏やかな空気だった。
(───…?)
(…歌が聴こえる)
 よく知っている声と歌。夢の中でも響いていた歌だ。
(そういや、寝る前にCD聴いてたっけ…)
 気持ちが良いので圭はそのまま目を瞑って歌を聴いていた。
 とても静かだった。
 その声は確かに音なのに、無音たり得ないのに、静かだと感じた。
 空気が澄んでいく。
 その空気がとても懐かしかった。
(ん?)
 ぱちりと見開く。
 それでも歌は聞こえ続けていた。あたりまえだ、CDを流しているのだから。しかし。
(…あれ?)
 耳にイヤホンの感触が無い。それに。
(この声…)
 オケが無い。CDの音源とは違う、囁くような歌声。
(───)
 圭を起こさないように。
(…どうしてッ)
 目頭が熱くなる。
「何で、ここにいンだっ!!?」
 大声を出して飛び起きた。
 勿論、頭は痛かったけれど痛がる余裕は今は無い。
(どうして)
 ベッドの脇で、圭の母親が椅子に座っていた。圭のポータブルプレイヤーを膝に置いて、それを聴きながら歌っていた。
 久しぶりの母の姿に圭は動揺した。
 そして目の前であの声が歌っているのを耳にして感動した。
 しかしそこで歌は途切れた。その両耳からイヤホンを外すと、
「あれ、起きちゃった?」
 と笑った。その声で。
「おはよ。圭くん」
「……母さん?」
 声が震えた。その声はやはり母のものとは全然違うものだった。似てもいない。少し胸が痛んだ。
「そうよ。忘れられちゃった?」
「え…どうして? ここに…」
 一瞬、名古屋の実家にいるのかと錯覚した。
 でもここは東京で、圭は独り暮らしをしていて、…母はここの住所を知らなかったはずだ。
「お母さんの帰国チェックもしてくれてないの? 薄情だなぁ」わざとらしく嘆息して。「成田着いて、お父さんに帰るコールしたら、圭くんの看病してこいって」
「…だからって」
 まだ頭がふらついている。母の言葉を半分も理解できなかった。
(あれ? じゃあ…)
(浩太たちは母さんと会ったのか…?)
「大丈夫? まだ熱があるの?」
 母が手を伸ばしてくる。そこで圭は熱から我に返った。
「近付くなッ!」
 大声を出して、全身でその手を拒絶する。
「…圭くん?」
 やり場のない手を空に晒して母は戸惑いを見せた。
(…ったく)
「歌手だろ? 風邪引いてるやつに近付くなんて…」
(自覚無さすぎだ)
 母の声を壊したらと思うとぞっとする。
 圭は不用意に近づく母に怒りさえ覚えているのに、その母は無邪気に笑い出した。
「相変わらず厳しいなぁ圭くんは。───でもさぁ」
「なんだよ」
「病気の息子を放っておけるわけないでしょ?」
 真顔で覗き込んでくる。
 圭は少しだけ泣きそうになって、しばらく言葉を返せなかった。母はそのまま何も言わず、圭の反応を待っていた。
「…いつまで日本にいる?」
「コンサートの他にもいくつか仕事あるから3ヶ月くらい」
「後で時間つくるから…」
「ほんとっ?」
「だから、今日は帰れ」
 わざと強い声で雰囲気を変えて、至近距離にいる母の肩を押し避けた。照れ隠しだ。
「圭くん〜」
「母さんにうつすわけにはいかないだろが!」
「そういう厳しいところ、お父さんにそっくり」
「そりゃ親子だから!」
 半ばヤケになって答える。
「ふふふ。じゃあ、圭くんが帰れ帰れ言うから、今日は帰ります」
 音を立てて椅子から立ち上がり、ポータブルプレイヤーを圭の枕元に戻す。
「お母さんの曲、聴いててくれてありがとね」
「げっ」圭は顔を歪ませておもいっきり口にしてしまった。
(しまった、聴かれてた)
 照れ臭さが全身を襲う。「たまたまだよ」そう言い訳しても、きっと母にはバレてる。
 圭はその表情を隠すため、母に背を向けてベッドに横になった。
「早く行ったら?」
「ハイハイ」
 軽く笑いながら母はバッグを手に取る。「時間空けるって約束、忘れないでよ?」
「わかったから!」
 今はとにかく早く出て行って欲しい。
 久しぶりに会ったのだからもう少し声を聴いていたい。
 そのジレンマに悩まされるが、圭は母の顔を見ることができなかった。
「あ、もうひとつ」
 ドアに手をかけた母が声をあげる。
「あのね、3年前にね、ウチの日本人のスタッフが一枚のCDを持ってきたの」
 思わせぶりな台詞回しだった。
「休憩中に皆で聴いたんだ。日本では今、彼らの噂で持ち切りなんだって。正体不明なバンドなんだって。ボーカルは高く澄んだ声で、男声女声の区別できない綺麗な声。伴奏とも息が合って、楽しそうに歌ってた。───とても綺麗な声だった」
 圭は毛布の中で目を見開いた。
「その日の夜は眠れなかった、…本当に一睡もできなかったの」
「……。なんで?」
 背を向けたまま毛布の中で呟く。
「だって、私が知る最高のライバルが出てきたんだもの」
「───…」
 圭はそこで上体を起こし、振り向いて、見開いて母を見た。母は微笑んでいた。
「うかうかしてられない。立ち止まってたらあの子が追いついてくる。怠けてる姿なんか見せられるはずない。そう思ってお母さんは必死で走ってきた」
「……追いつかせてよ」
「世の中そんなに甘くない!」
 手のひらを見せてつっぱねる母を見て、圭は笑いが込み上げてきた。
「ひでぇ…」
 それでも緩んでしまう顔を抑えられない。「…!」
 不意を突かれた。
 母は踵を返し戻り、ベッドに手をかけて、圭の横顔にキスした。
「───待ってたよ」
「…ッ」
 圭は意味の無い声をあげて真っ赤になる。
 頬に手を当ててそっぽを向くと「…すっかりかぶれやがって」と小さく呟いた。





*  *  *





「こんばんわ〜、早坂みことです…。…あぁぁああ、いやいやいや、こんな大人し〜く始まったけれど、間違いなく早坂ですよ〜、間違ってないですよ〜、チャンネル変えないでくださ〜い。…ふぅ、ごめんねぇ? 今日はちょっと、スタッフ含めアタシもちょっと感激…いや感動しちゃってるの、しょっぱなから。それは今日のゲストさんのせいなんだけどぉ…あっ! 今、この番組を聴いてないヒトいたら、すぐ聴くように言って。ホラホラ、急ぐ急ぐ〜。聴かないとソンだよ〜。…いいかな? ゲストさん紹介しちゃうよ? じゃ、いきまっす! 本日のゲストは〜っ、森村久利子さんでーっす!!!」
 ラジオからやかましいくらいのハイテンションな声が流れた。
「こんばんは、森村久利子です」
「……すっっっごい、キレイな声ですよね〜。いや、ご本人もお綺麗なんですけど。…あ、さっきね? アタシとスタッフ、ポカーンと放心しちゃったくらい森村さんの声に感激しちゃったの!」
「ありがとうございます。本日は宜しくお願いします」
「こちらこそ! お願いします! …えっと、もしかしたら知らない人もいるかもしれないので、ちょこっとばかし説明させてもらいますね。森村さんは、現在ロンドンを拠点としてご活躍されているアーティストです…あ、これ、今流れてる曲ね。曲は知ってるーって人も多いんじゃないかな。森村さんは、あんまし顔を出さないですよね、レコードジャケットもロングだし、テレビにも出ませんよね」
「そうですね。ラジオもこれが初めてじゃないかしら」
「わお! 今夜は世界中のモリムラファンが羨ましがるプログラムだぁ、みんなっ、ココロして聞けぃ。───で、今回は何で日本に来ているかというと、コンサートがあるんですよね」
「ええ、来週から」
「森村さん、コンサートもそんなにしませんよね」
「そうですね。私の楽曲は基本的に重ね撮りが多くて…生オケじゃできないんです。そういうわけでライブという形はとらないようにしていたんですが、今回はアコースティックに編曲して、私が日本で演りたいって駄々こねて」
「あはは、駄々こねたんですか」
「駄々こねたんですよ。で、PAとバンドメンバーをごっそり連れてきてしまいました」
「そうそう! プロデューサーのデニス・フィーロービッシャーも来日してるんですよね」
「ええ。駄々こねても彼だけは落とせなかったの。最後に泣き落とし。ふふふ。彼らに是非紹介したい人がこっちにいるから私も必死でした」
「おっとぉ? だれだれ?」
「あ、予告させていただいていいかしら? コンサート初日にビッグゲストを紹介する予定です。と言っても、本人は絶対嫌がるから、その人の事務所にしか話を通してないんですけど」
「え? 日本のアーティスト?」
「まだヒミツ、大騒ぎになっちゃうから」
「ええぇ〜? 最終日のチケット買っちゃったじゃないですか!」
「ありがとうございます、ごめんなさい」
「みんな聞いた〜? コンサート初日はビッグゲストを招いているらしいぞぉ! ずるい! そのゲストが誰なのかは、その日のうちにネットで判るかな? チェキラ〜!」





「…誰だ、ゲストって」
 移動中の車の中、後部座席で居眠りをしていたはずの圭は不機嫌そうな声で言った。
「あれ? 起きてたんですか?」
「お母さん出てるよって、今、起こそうとしてたのに」
 5人と、みゆき、それに運転をしているマネージャーを乗せてバンは夜の街中を走っている。時間はそろそろ日付を超えそうだが次の仕事への移動中だった。
「起きてたよ、さっきから」
 続けて機嫌が悪そうに眠い目を細めた。
 フィーロービッシャーは見たいが、ビッグゲストとやらをとても嬉しそうに語る母に圭は面白くない。
(母さんと親しいアーティストが日本にいるなんて聞いてないぞ)
「あの、初日のゲストって…それって」と、みゆきが助手席から振り返るのと、
「決まってるじゃない」と、実也子が詰め寄るのと、
 みゆきの口を浩太が押さえるのと、実也子の口を知巳が押さえるのはほとんど同時だった。
 もがもが、とみゆきと実也子は口を塞がれたことに抗議する。
「おまえは〜」
 こちらもほぼ同時に浩太と知巳が声にする。
「うちの女性陣はデリカシーに欠けますね」
 と祐輔は呆れる。
「なんだよ?」
 圭はわけがわからず祐輔に尋ねた。
「何にせよ、コンサートは来週ですよ。全員、初日のアリーナに招待されてるんですから、嫌でも当日には分かるでしょ」
 祐輔の回答に圭は釈然としない。
「おい、そろそろテレビ局に着くぞ、降りる準備しろ」
 知巳の一声で圭のスイッチが切り替わる。
「うっしゃ。行くぜ」


 そして今日もBlueRoseの歌が街に流れるのだった。







Side.圭 END
BlueRose-Side. 祐輔/実也子/知巳/圭