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4.ヒトの殺し方

 警察署から裏が取れたという呼び出しを受けた。出頭してみれば相手はあの計良刑事だ。
「國枝さんのアリバイは確認できたよ。一番の決め手は、ライヴの券を取り損ねたときの係員の証言だな。人相と服装も一致してる」
「あたしは最初からそう言ってるんだけどねぇ〜」
「まぁ、気を悪くするな。…そうそう、先日も思ったけど、國枝さんって目立つの好き?」
「なにそれ?」
「いや、服装とかさ」
「個人の趣味に文句ある?」
「いや、ライヴの係員も、派手な格好だから憶えてたって言ってたから」計良は不敵に笑う。「だから、そのために目立つ格好してるのかな、と思って」
「意味わかんないんだけど」
「まぁまぁ。ああ、今日はもういいよ。ご苦労さん」
「そちらもご足労、ご苦労さま」
「いやいや。今回は國枝藤子さんの顔を拝めただけでも大した手柄だよ」
 藤子と計良はしばらく見つめ合った。
「───刑事さん」「ん?」「もしかしてあたしに気がある? でもだめ、あたし、今、好きな人いるから」
「そりゃ残念だ」
 計良は最後に笑ったあと、藤子に言い添えた。
「これからヨロシク」

 警察署を出るとほんとうに丁度、被害者の甥が息せき切って到着したところだった。自動ドアからピロティに出てきた藤子に気付くと途端に表情が険しくなった。「おまえ…っ」
 すでに警察から連絡が行ったのだろう。その表情は、藤子が釈放されたことを知っているようだ。
 藤子はにやりと意地悪く笑って大きく手を振る。
「出迎えご苦労! 復讐くん」
 男が目の前まで来るのを待ち、視線を合わせると藤子は挑発するように笑う。そしてそのまま男の横をすり抜ける。すると男はあとをついてきた。藤子は上機嫌だ。
「警察になに言ったんだ? どんな言い逃れを」
 藤子は早足で歩く。すぐ後ろからの質問にも歩きながらそっけなく、しかし楽しそうに答えた。
「人聞きの悪いこと言わないでくれる〜? アリバイってやつがハッキリしてんの、復讐くんのおじさんが殺された日、あたしはJ町のライヴ行ってたもーん」
「嘘だっ」
 背後からの悔しそうな声に、藤子は声もなく笑う。
 男の声には明らかな怒りが含まれている。
 揺るぎない敵意、捨てられない憎しみ。それを向けられることを、藤子は待っていた。
「そう! ウソなんだ」
 突然立ち止まり振り返った藤子に驚き、男も足を止める。藤子の台詞を理解するには時間がかかった。その時間を無視して藤子は喋り続ける。
「アリバイ屋さんっていうのがいてね、あたしと似たような風貌の子にあたしの服を着せて別の場所で遊ばせておいてくれるの。そのあいだの会話はもちろん周囲の音も録音してるし、居場所も報告される。そりゃもちろん100%安全ってわけじゃないけど、不特定多数の目撃証言があるんだもん、他のなにを持ってこようとも、状況証拠は成立できないわけ」
 男は目を見開き藤子を見下ろしている。説明を理解できているかは謎だ。
「だいたいねぇ、証言だけで逮捕させようなんて復讐くんも甘いんだよ? あたしみたいなか弱そうな女の子を突き出して人殺しですーなんて、誰が信じると思う? せめて現場の物的証拠を持ってこなきゃね」
 藤子の表情はよく動く。違和感を感じるほどに。
「警察があたしを捕まえられないのはしょうがないの。日本の法律はぜんぶ、“疑わしきは罰さず”が基本原則だから。偽装されたら、それを崩すか証拠を見つけなきゃいけないの。あたしは証拠なんて残さないけど。この商売、捕まらないことも信用のソース。偽装はあたりまえ」
 そこで男ははっとした。
「…商売? 仕事、なのか?」
「あ、言ってなかったっけ。あたし自身はきみのおじさんに私怨はないよ。しがない雇われ始末人」
「…誰が? 誰が伯父さんをッ!?」
「それは死んでも教えません」
「どうして…?」
 独白のように口に出た疑問は、“死んでも教えない”理由を請うものではない。
「伯父さんは立派な医者だった。いつも仕事のことを考えていたし、子供たちのことを真剣に悩んでいた。あんないい人を、こ…殺すよう依頼した人がいるのか? だとしたら、そいつのほうがおかしい! 間違ってる…」
 やれやれ、と藤子は肩をすくめた。
「依頼人とターゲットの善悪はどうでもいいの。他人の人格を査定できるほどあたしは高尚じゃないもん。どっちにしろ、復讐くんのおじさんが他人から殺したいほど憎まれてたのは事実だし」
「そんな…」
 呆然とする男を見て、藤子は苦笑する。
 この男に期待したのは見込み違いだったかもしれない。こんな善人も珍しい。
「あのね。ここまで喋ったのは、復讐くんが録音してないからだよ」
「!」
「もう遅い。次に復讐くんが準備してきてもあたしは間違っても口を割らない。ついでに、今、あたしたちに尾行がついてるけど会話が聞こえる距離じゃないし」
 尾行と聞いて男は身体を強ばらせた。が、あたりを窺うような真似はしない。前言撤回、少しは見所がある。
 男は視線を泳がせたあと、藤子の顔を見てわずかに表情を歪ませた。
「警察に捕まるのが怖いのか」
 皮肉か挑発のつもりだろうが藤子は相手にしない。
「もちろん怖いよ。あたしの一生は短いんだよ? 無駄な時間は1秒でもつくりたくない。───復讐くん、おじさんが殺された復讐をしたいの?」
「復讐したいんじゃない。許せないだけだ」
「おじさんを殺したあたしが、のほほんと街中を歩いていることが許せない?」
「ああ」
「刑罰を与えられず、己の罪を忘れたかのように奔放に振舞っているのが気に食わないわけだ」
「ああ」
「じゃあ訊くけど、あたしが警察に捕まったら許せるわけ?」
 男は言葉に詰まった。藤子はたたみかける。
「許せないでしょ? あたしに殺しを依頼してくるのも、そういう人たちなの」


「ほとんどは怨恨。しかもあたしのところにくるのは立証できなかったケースが大半。警察や法律はなにもしてくれない、加害者は罪を隠して日常をいつも通り生きてる。警察に捕まえてもらっても気が済まない、たとえ死刑になったって許せない。許せないって解ってるけど、自分の気持ちが晴れるわけじゃないって解ってるけど、それでもどうしようもない気持ちを抱えてあたしのところにくるの。あたしはそういう人たちに応えてるだけ」
「自分に罪はないとでも?」
 あからさまに責められて藤子は困ったように、まさか、と笑う。
「だから、ね? 覚悟してるのよ。これでも」
「じゃあ、おとなしく捕まれよ」
「やーだ。さっきも言ったじゃない、無駄な時間を過ごすのは嫌なの。刑法199条、“人を殺した者は、死刑または無期、もしくは五年以上の懲役に処する”…人を裁くって時間がかかるんだよねぇ。今すぐ死刑っていうなら捕まってもいいけど」
 藤子は「あ」となにか思いついたように顔を上げた。
「ねぇ、復讐くんならあたしを殺せる? それこそ正当な復讐じゃない?」
「───」
 言葉もない男の顔を覗き込む。
「警察に捕まってあげることはできないけど、復讐ならいつでもどうぞ。ただし殺すんだよ? それ以外は受け付けない。───いつでも覚悟してる。こんな仕事だもん」
「…」
「さぁ、やってみて?」
 藤子は男の前で無防備に目を閉じる。男は動けなかった。藤子は長い時間じっと待っていた。
「他人を殺すって、意外と難しいでしょう?」
 やがて目を開けた藤子が言った。
「ねぇ、どうやって殺そっか。いろいろあるよね。車で轢く? 屋上から突き落とす? 駅のホームで背中を押すとかー、うん、そういうのは比較的ラクだよね」
「刃物で刺す…とか?」
「そうそう。でも素人にはおすすめできないなぁ、ヘタしたら自分も怪我しちゃうし。…おっと、そのまえに偽装するかしないかを決めなきゃだめか。あたしの理想としてはそんなの考えて欲しくないけど、それは当人の復讐心しだいでどちらでも。でもなにより先に普通のひとはまず感情論。罪を犯すという罪悪感、同類(ヒト)を殺すという本能的嫌悪」
 藤子の声は少しずつ抑えたものになっていく。
「自由を奪われて刑に服す時間、家族や友人にかける迷惑を考えると、怖いよね。復讐っていうのは、人生の大半を捨てるようなもの。よほどの覚悟が必要ってことなの」そして抑えて笑った。「どうせ復讐くんには、そんな覚悟はないんでしょう?」
 パンッと高い音が響く。
 平手で叩かれた勢いで、藤子はよろめいた。
 男は息を乱し、藤子を睨み付けている。
「───わかった?」
 頬を押さえたまま向き直り不敵に笑う。「所詮、君の復讐心なんてその程度よ」
「!」
「人殺しという罪を被りたくないでしょ? 警察に捕まって社会的信用を失うのが怖いの。自分の保身のためには身内の仇(かたき)にさえ手を掛けられない、うん、誰でもそうよ? だから警察に任せるの。法に任せて復讐を果たしたつもりになるのは、自らの手を汚したくない人間の逃避なのよ」
「ちが…っ」
「法が人を裁くのは許すため、そして許されるため。刑に服すのは、それでチャラにするってこと、みんなで忘れようってことでしょ? だけど、ほとんどの被害者は、復讐くんと同じようにそれで納得できるわけないのに。それなのに、加害者が裁かれてしまったらそれ以上なにもできない。いったい、そうすることで誰が幸せになるんだろ」
 男は答えられない。
「復讐くんはあたしのこと許せないなんて言っておきながら、結局、なにもできないじゃん。自分の手をくだせないなら他人の手を借りる方法だってある、でもそれもしない。それだったら、あたしの依頼人のほうがよっぽど覚悟と行動力がある、尊敬できる人間」
 もう一度、男の平手が飛んできた。しかし藤子は軽々と払う。
「二度は殴られてあげない」

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