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5.殺し屋の資質
幼い頃から慕っていた伯父が死んだ。
他殺だ。暗闇のなか逃げる人影を見た。停電が解けて、見た、床の赤い褥。それから、伯父の胸から生える銀の茎。悲鳴。
犯人の顔を見た。若い女だった。警察に言っても信用されない。だから自力で捜し出して警察に突き出したんだ。しかし、警察は犯人を釈放した。証拠が無かったからだ。
犯人は殺し屋だった。依頼されて伯父を殺したという。
伯父は誠実で頼れる人だった。尊敬していた。その伯父を殺したいほど憎んでいる人間がいたなんて!
人殺しは笑う。
「あたしを殺せる? それこそ正当な復讐じゃない?」
復讐は考えた。殺してやる、とも思った。しかしそれは一瞬のことだったように思う。それらはすぐに「捕まえてやる」という思いに変わった。勢いに任せてでもそれを実行したら自分が人殺しになってしまう。
「法に任せて復讐を果たしたつもりになってるのは、自らの手を汚したくない人間の逃避なのよ」
そうかもしれない。しかし法治社会とはそういうものだ。それがこの世界のルールだ。安定の仕方なのだ。
「人を裁くのは、許すため、そして許されるため。刑に服すのは、それでチャラにするってこと、みんなで忘れようってことでしょ。だけど、ほとんどの被害者は復讐くんと同じようにそれで納得できるわけないのにね」
その通りだ。あの人殺しが警察に捕まっても許せるはずない。裁かれ、刑に服してもこの憎しみは収まらないだろう。
───…だから忘れるんだ。
たぶん、世の中はそういうふうにできている。
犯罪者が社会のルールによって裁かれることによって事件は一旦の解決を見る。そこで忘れなければいけないんだ。
たとえ少しずつでも、忘れていかなければいけないんだ。
悲しみを忘れなければ、今頃世界は憎しみで満ちている。
人間は忘却するもの。そうすることで、世の中は憎しみに包まれることなく安定していくのだろう。
今回は結果的に警察は捕まえることができなかった。そして自分自身も、もう、何もできない。3週間前、絶対捕まえてやると誓った自分を裏切ることになる。そのやるせなさだけが残る。
結局、伯父のために自分の人生を棒に振ることができないということだ。伯父はそれはあたりまえだというかもしれない。それでも、人殺しを追おうとしたときの自分の覚悟がその程度のものだ思い知らされて溜息がとまらなかった。この言いようのない虚しさも、いつか忘れることができるだろうか。
「こんにちはっ」
突然、視界に人殺しが現れた。
場所は大学の構内。もちろん、人殺しはここの学生ではないはずだ。どうやって調べたのだろう。
派手な格好をしていた。ピンクで統一された服で、周囲から異様に浮いていた。何人かが振り返っていく。
もう関わり合いたくないので無視して歩き出すと人殺しは後をついてきた。
「あ、待ってよ」
「まだ殴られ足りないのか」
「衆目の前で女を殴る度胸もないくせに」
その言いようにむかついたがどうすることもできない。人殺しはなおも並んでついてくる。
「今日は尾行ついてないよ。 復讐くん、あたしへの疑いを早く取り消して警察のストーカー行為やめさせてよ」
「一生、見張られてろ」
「ばかだな、警察もそんな暇じゃないって。───ねぇ!」
ぐい、と袖を引かれた。払おうと思ったがそんな気力もない。必然的に足を止めることになり、人殺しに向かって立った。
「…なんだよ」
「あたしのこと恨んでる?」
真っ直ぐ目を見て訊いてくるのでそれに答えてやった。
「ああ」
「あたしが死ぬところ見たい?」
「…わからない」
1週間前の自分ならば迷いなく頷いていただろう。けれど今は、そんなことを考えたくなかった。
「なによぅ。テンション下がるなぁ」
人殺しは不満げに言う。
「あたしのこと恨んでるんでしょう? じゃ、あたしと付き合おう?」
「───」
さすがに絶句してしまった。
「…は?」
人殺しは熱心に喋った。
「あたしは警察には捕まらない。そして復讐くんはあたしに手をかけられない。でもね、あたしがこの仕事を続ける限り、あたしを殺したいと思う人はこれからも現れるよ。あたしはいつか殺される。復讐くんと同じ恨みを持つ誰かに。一緒にいればあたしの最期を見られるよ? だから付き合おう? ね? あたしのそばにいなよ」
「…」
どうしてか、車に酔ったような感覚があり返事が遅れた。
「おまえの顔なんか見たくもない」
「つれないなぁ。あたしはキスもハグもセックスもしたいと思ってるのに」
「ふざけるな」
「ふざけてない。あたしは復讐くんのこと好き、だから一緒にいたい。復讐くんはその気になったら闇討ちできるんだよ? それができなくても、あたしの最期が見られるよ? 悪い条件じゃないでしょ?」
自分たちはいったい何の話をしているのだろう。周囲に人が行き交う学校のなかで、景色は変わらないのにまるで別の場所に飛ばされたかのようだ。
目の前の人殺しは“あたしを殺せば?”と言う。それができないなら恋人になって最期を見届けろと。その気になったら殺せばいいと。
ただの不幸に酔った死にたがりは嫌いだ。関わり合いたくない。
「…死にたいのか?」
「まさか」
目の前に立つ女は楽しくてしかたないという顔をしている。
なにかがおかしい。
「恐くないのか?」
女はびっくりする。
「なに言ってんの? 人殺しが死を恐れてどうするの?」
まただ。気持ちが悪くなる。この人殺しを相手にしていると、ときおり世界が歪んだようで目眩がする。
「…毎回復讐を覚悟してまで、その仕事をしている理由はなんだ?」
「“天命を知る”」
意外にも人殺しはちゃかさずに答えた。
天命を知る───天に与えられた使命。
「これ、あたしが好きな言葉。…前に言ったよね。人を殺すことは難しい。心情的なこと、その手段も。───でも、あたしはできるから。だからやるの」
「…」
「わかってもらえた?」
わかる日がくるとはとても思えない。
答えないでいると、急かすように人殺しは言う。
「ねぇ、あたしを憎しみ続けるおまじない」
「?」
「復讐くんのおじさんは、復讐くんのこと何て呼んでた?」
伯父とは幼い頃から付き合いがあった。物心付いたときから呼ばれていた愛称がある。恥ずかしいからやめるよう訴えたこともあったが、伯父は最期の日までその愛称を遣い続けていた。
質問の意図がわからないまま答える。
人殺しは意表を突かれたような表情のあと、破顔した。
「これからよろしく。“晴(はる)ちゃん”」
北田千晴(きただちはる)は大きく顔を歪ませた。
照れたのでも恥じたのでもない。全身を嫌悪感に襲われたのだ。人間をおぞましいと感じたのは生まれて初めてだった。
千晴はこれからそう呼ばれるたびに伯父の死を思い出すだろう、そして同時に復讐心を呼び起こさずにいられないのだ。
人殺し曰く、「あたしを憎しみ続けるおまじない」。
忘れさせないための手段なのだ。
その笑顔に底の見えない違和感を覚えた。この女はおかしい。普通でないことは解っていたはずなのに。
普通の神経の持ち主なら人殺しなどしない。しかし今それ以上に戸惑うほどの違和感がある。
今、千晴の視界に映ってる人間のなかで、人間を殺せるのはこの女だけだ。
もし他にいたとしても、人間を殺して笑っていられるのはこの女だけだろう。
人殺しはなおも笑う。
「あたしは國枝藤子。乙女座のA型、趣味はオシャレと街をぶらつくこと、特技はダーツ。職業は殺し屋ですっ」
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