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「あいつはいっつも騒々しいわね」
 狭い倉庫の中にはガラクタが無造作に転がっている。一際大きな酒樽が私の専用の椅子だ。突っ立っているのにも疲れたので酒樽の上にあぐらをかいて座る。
 こちらの出方を待っているのか阿達は姿勢を崩さない。とりあえずそのまま立たせておくことにする。少しの無礼は許されるだろう。なぜなら、彼女はまだ私の客ではないから。
「阿達さん」
「はい」
「悪いことは言わないわ、國枝と付き合うのはやめなさい。あの子はあなたが思ってるほど、普通じゃないわよ」
「……」
 忠告は一度までと決めている。それで解らなければ本人が痛い目に合うしかない。
「それから、ここにも来ないでちょうだい。何も知らないお嬢ちゃんが気軽に足を踏み入れるところじゃないの」
「そうはいきません。私は仕事を始めると同時に藤子とも付き合っていかなければならないんです。この業種で殺し屋(あのこ)と付き合っていくには業界全体の事情や力関係を知る必要があると言われました。そのためには、あなたの客になるのが良い、とも」
 大人しいだけの社長令嬢かと思えば、意外なことに口は達者らしい。しかし、口が達者なだけでは生意気な子供でしかない。
「今のお嬢ちゃんじゃ、顧客になられても私にメリットは無いでしょ?」
 阿達はその口を閉じた。物分かりが良いのは助かる。
「國枝が悪いわね。普通、素人はここまで来ないの。私の居場所を知る人は限られている、それを簡単に教えるなんて、國枝の信用問題にも関わるわ」
「…っ」
 自分の行動が國枝の評判を落とすことにつながることに今更気付いたらしい。
「情報は金で売るものじゃないわ。わかるかしら」
「…?」
「金で売るのは末端の興信所くらいよ。かく言う私も情報屋をやってるけど、基本は物々交換(バーター)。持ち寄られた情報と等価なだけ、相手が知りたい情報をあげるの」
「すべての客に対して知る限りのことを教えていては、情報のインフレで混乱になる。過剰な情報は無能な人間をさらに無能にし、無能な社会をさらに無能にするのよ。依頼通りに仕入れて売る、調べて売るのが情報屋だとは思わないで欲しいわ。依頼人にどこまで渡すのか、その見極めに手腕を問われるのよ」
 果たしてすべてを理解できているかは謎だが阿達は黙って聞いている。
「大事なのは、身の程をわきまえること。手に負えない事件は断る、必要以上に深入りしない。それから、危険人物とは付き合わない」
「藤子のことですか」
 みなまで言う必要は無い。
「お嬢ちゃんが仕事を始めて國枝とのつながりがおおっぴらになれば、いろいろなところから目を付けられることになるわ。國枝はそういうヤクザな職業なの、理解しなさい。それらから逃げるには、國枝の威を借りることになるわね、例えお嬢ちゃんが望まなくてもそうなるわ。そうそう、お嬢ちゃんにはアダチと桐生院もバックにいるのよね。あらいやだ、結構強力じゃない。下手に手出されないわよ、よかったわね」
 この程度の皮肉は当然通じてもらわなきゃ困る。
「お嬢ちゃんのバックグラウンドは魅力的だけど、今のお嬢ちゃんには何の実績も肩書きもない。私は、今の阿達さんとは取引しないわ。帰りなさい」
 阿達は目を伏せて返事を返さない。私としては本当にさっさと帰って欲しいのだが。
 すると、阿達は顔を上げた。強い視線がこちらを向く。
「セーラさん」
「青嵐よ」
「ひとつ教えていただきたいのですが」
「人の話聞いてた? 知りたかったら持ってきなさいよ」
 飲み込みの悪い人間は嫌いだ。しかし阿達は余裕の態度で答える。
「アダチの娘が興信所を始めることと、國枝藤子とつながりがあるという情報ではだめですか?」
「───」
 思わず絶句してしまった。阿達のその台詞はアダチと國枝の知名度を利用している。なかなかどうして、したたかな性格らしい。確かに、その情報をこちらがタダで貰うわけにはいかないようだ。
「何が知りたいの」
「國枝藤子の実績」
「どうして?」
「業種は違っても、場数と実績は目標になるかと思いまして」
「……そう。書面で出しましょうか?」
「口頭で構いません」
 國枝藤子の名前が出始めたのは1年前になる。頭角を現し始めたのはその半年後。確実に仕事をこなすことでは定評があり、今では、國枝藤子の名前はかなり有名になっている。
 私が勝手に集計しているランクで、國枝のランクはA。成功率だけならSクラスだが、報酬が高いために依頼数が少ない。数をこなしてる殺し屋に比べて下なのは当然だ。國枝はわざと報酬を高めに設定している。金額の高さで依頼人の覚悟を計っているという。
「うちとしては、変なポリシーを持たずに客を選ばないで仕事を受けてくれるほうがありがたいんだけどね」
 阿達は苦笑する。「おまえもだ」と言わんばかりだ。
「ご指導ありがとうございます。今日は帰ります」
「もう来なくていいわよ」
「またよろしく」
「来なくていいったら」
 阿達は丁寧におじぎして帰っていった。

 その後、図々しく通われるかとも思ったが、予想は外れた。
 次に阿達が私のところへ訪れたのは半年後のことだった。

 その半年のあいだに、某大手薬品会社が検挙されるという大きな事件があった。一般には厚生省監査委員の不祥事としか認識されなかったが、裏では鼎の沸くような騒ぎ、沈静化するまでひと月かかったほどだ。その薬品会社は名の通った薬品会社だったが、一方で非合法な薬を研究・生産を受注していて、その薬はこちらにも多く流れてきていた。その供給が完全に停止したので特に売人や中毒者は生活の糧を奪われると同時に、捜査の手を逃れる為に身を潜めなければならなかった。
 その薬品会社が倒産、組織として解散に追い込まれた事件に、阿達も関わっていたらしい。この事件から阿達の名前が知られるようになる。
 さらに、その後、殺し屋・國枝藤子と連んでいる噂が広がると同時に阿達の名も飛躍的に広がった。「國枝に手を出せば阿達によって社会的に抹殺され、阿達に手を出せば國枝に殺される」なとどいう笑えない噂も広がる。実際、國枝は阿達のことを「友人」と公言し、手を出させないよう牽制していたようだ。
 表の興信所の組合でTIAというものがある。TIAは参加団体の名簿登録を義務づけているが、阿達は「A.Co.」のなかで自分ひとりしか登録していない(後に、業務上しかたなく、DB(データベース)のアクセス権限をもらうために木崎健太郎が追加された)。他のメンバーを登録していないのは、殺し屋と付き合いがあることで何かと目を付けられることが多い立場から部下を守るためだろう。
 阿達の身辺など、私のようなものが調べればすぐに判る。しかしそれでも阿達が意図的に内情を伏せていることもあり、阿達の知名度とは裏腹にA.Co.という組織はかなり不鮮明だった。それ故に阿達史緒の名は興信所所長という肩書きより、國枝との癒着のほうが目立っていたほどだ。そしていつの間にか、國枝と並び称されるまでに成長していた。
 薬品会社の事件の他にも、いくつかの功績を耳にした頃、阿達は再度ここの扉を開いた。
「セーラさん」
「青嵐よ」
 憎々しさを込めて言っても、どうせ相棒と同様、直す気は無いのだろう。
 私は諦めの境地で溜息を吐き、姿勢を正す。客商売なのだから、客の前ではそれもあたりまえではないか?
「いらっしゃい。A.Co.の阿達史緒さん」
 阿達ははにかむように笑った。

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