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3.千晴
國枝藤子と「付き合い」始めて2ヶ月経った頃のことだ。
「晴ちゃん、晴ちゃん!」
騒々しく人の部屋に上がり込んでくるのは毎度のこと。しかし騒々しいのは口だけで、足音は無い。藤子曰く「職業柄当然の特技」らしい。
「晴ちゃん、報告。あたしに友達ができました」
いつもなら無視するところだが、その台詞の異様さに思わず顔を上げてしまった。藤子はいつもの貼り付いたような笑顔をこちらに向けている。
藤子に友達。
深く考える必要はない。想像は容易だ。
「どうせ、また、ごっこ遊びなんだろ」
千晴自身がそうであるように。
藤子はすぐに白状した。
「あ、すごい。見抜かれてる」
なんの屈託もない表情で笑う。
「ごっこ遊びっていいよね。恋人も友達も、両思いじゃなきゃ成り立たないけど、ごっこ遊びなら、片思いでもできるもん」
桐生院由眞と一対一で話す機会があった。
この媼(おうな)は妙な貫禄があり、目の前にするといつも威圧感を与えられていた。千晴に対する排他的な態度は、2人が付き合うのを反対しているのかと思ったがそうではなかったらしい。
「正直に言うと、北田くんには幻滅してるのよね」
「そうですか」
「わたしはあの子の価値観を変えてくれる人間を待っているの」
由眞は遠回しに言ったが、その真意は知れた。
藤子に仕事をやめさせることができる人間。由眞はそれを待っているという。
「俺では役者が不足ですね」
「どうやらそのようね、残念だわ」
「またひとり、候補が現れたようですが」
「え? 誰?」
「友達、らしいですよ」
「あの子に友達? だれ? 名前は?」
「阿達史緒」
「史緒? あの子、藤子と付き合ってるの?」
あとで聞いた話によれば、藤子と阿達を引き合わせたのは由眞だという。もちろん、友達になるよう引き合わせたわけではない。
*
千晴は夜中に自室のベッドの中で目が覚めた。暗闇のなか、新聞配達のバイクの音が遠ざかっていく音がする。どうやらその音に起こされてしまったようだ、眠りが浅かったのだろう。
夢と現のあいだの浮遊感に漂いながら辺りを窺うと、隣りで寝ていたはずの藤子がいない。シーツの温かさも残っていない。帰ったのだろうか。時計を確認すると午前4時を回っていた。
隣りの部屋へ続くふすまが開いている。そこから見える床は微かに明るい。月明かりが差しているらしい。カーテンは閉めたはずだ、と気になって千晴はベッドから起きあがった。なんとなく足を忍ばせてふすまに近づく。そこに、藤子はいた。
照明もつけずに、窓際で膝を抱えて、空を見上げていた。部屋に差し込む月明かりを浴びていた。
「…藤子」
声をかけると、とくに驚く様子も見せず振り返る。おそらく千晴の気配で気付いていたのだろう。
「ごめん。起こしちゃった?」
声をひそませて小さく笑う。
「なにしてる」
「月、見てた。満月でね、傘かぶってるの」
そう言うとまた空に視線を戻した。その言葉どおり、丸い月を避けるように薄い雲が広がっている。空に視線を固定させたまま、藤子は語りかけるように言う。
「あのね、晴ちゃん。あたしは体質的に、ずっと横になってられないんだ」
「?」
「無防備にしてることができないの。睡眠も3時間で充分。それ以上は寝ているのが辛いの。だから朝まで一緒には寝てられないんだ。起こしちゃってごめんね」
深夜なので声は小さいがちゃかしたつもりなのだろう。しかし千晴はそれには乗らなかった。
「いつも、そうなのか?」
藤子は横になって眠る習慣は無いのだという。千晴は最初にそれを聞いたとき激しく驚いた。殺し屋という人種は皆そういうものなのだろうか。それとも藤子がさらに異質なのだろうか。
藤子は空を見上げる。
「朝を待つのは好きだから。空が明るくなっていくのを数えることだけは、…なんでかな、やめられなかったんだ」
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