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≪8/12≫
藤子といるときに奇襲されたことがあった。奇襲という言葉は使い慣れないが、使い方は正しいようだ。
人気のない夜道に人影が立ちはだかる。藤子はさがるよう指示したが遅かった。人影は史緒の背後に回り込み、腕で首を押さえつけた。
「史緒っ」
藤子は笑みを消して素早く構える。
が、それより先に史緒は相手の腹に一発当てて、隙を付いて逃げていた。
まさか史緒にそんな芸当ができると思わなかった藤子は呆気にとられ、苦笑いする。
「やるじゃん」
「逃げるくらいはね」
そう、逃げただけだ。相手にダメージを与えることは史緒の腕では無理がありすぎる。
私怨で殺しをする者に殺し屋は名乗れない。そんな不文律があるために、殺し屋同士の争いはめったに無いのだという。それでも藤子は夜道で奇襲されることがあった。やってくるのは同業者や復讐者ではない、始末屋だ。(この場合の始末屋は、ターゲットを痛めつけることが目的の始末屋である)その目的の多くは、藤子が殺し屋として受けた依頼を阻止すること。殺し屋に大人しくしていてもらおうと、痛めつけにくるらしい。
「さて、と」
藤子は拳だけで始末屋を大人しくさせた後(さすがに素人の史緒とは手際が違う)、壁に叩きつけて笑顔を見せた。
「まーだ、あたしに手を出してくるヤツがいるんだぁ。しかも友達といるときを狙ってくるなんて穏やかじゃないなぁ。ねぇ、誰に頼まれたの?」
始末屋は睨み返してくるだけで喋ろうとしない。藤子も簡単に吐いてくれるとは思っていない。
「あたし、気は長くないよ」
そう言って藤子は指先にナイフを光らせた。逆手に構えると始末屋の右目に突き刺す───寸前でぴたりと停止する。
始末屋だけでなく、史緒も息を飲んだ一瞬だった。
「暴れると危険だからね」
そう言う藤子の横顔はいつもの藤子ではない。史緒は叫んでいた。
「藤子やめて!」
「どうして?」
心底、不思議そうな顔でこちらを見た。藤子がよそ見をしてもナイフの位置は少しも動かない。始末屋は切っ先を向けられたまま動けないでいた。
「どうして…って」
「大人しく帰しちゃったらまた来るよ。ここでちゃんと解らせておかなきゃ。何度も相手するほどあたしは寛容じゃないの」
「…そんなやり方で、今までよく無事だったわね」
ここで返り討ちにしたら余計な恨みを買うだけだ。乱暴すぎると史緒は思う。
「史緒はやっぱり解ってないよ。この人はプロだもん、仕事の失敗を言い触らすことはしないし、力量差が判ったら二度と近寄らない。…あぁ、依頼人の名前を言ってくれたら帰してあげてもいいかな。でもそれをやったら、この世界では二度と仕事できないけど。だから、せめて少しは痛めつけておかないと」
史緒は寒気がした。藤子の仕事は解っていたつもりだったが(解りたくもないが)、想像以上に血生臭い。
「…やめて」
「まだなにかあるのー?」
眉根を寄せて藤子はぼやいた。
「私は、人が傷つけられるところを前にして、大人しく見てることはできないわ」
「それは困る。下手したら史緒に怪我させちゃう」
「じゃあ、私と一緒にいるときはやめて」
藤子は鼻で笑う。史緒も自分の言ってることが可笑しいくらい我が儘なことは自覚している。けれど嫌なものは嫌、受け入れられないものもあるのだ。
藤子は怯えている始末屋に笑いかけると、ゆっくりナイフを遠ざけ、押さえ付けていた首元を払う。始末屋はどうにか立ち上がると素早く逃げていった。
藤子はそれを見送り、史緒はそっと息を吐いた。
「偽善者」
だったら、目の前の殺し屋を警察に突き出せばいいのに。藤子の言葉はそう言っている。
「なんとでも言って。目の前のことから片づけているだけよ」
*
「まだ國枝藤子と付き合ってるのか」
会うたびに的場文隆は同じことを言う。御園真琴も口にはしないが文隆と同意見のようだ。
彼らのように、殺し屋である藤子を盲目的に毛嫌いするのは当たり前なのかもしれない。実際史緒も、藤子が殺し屋である事実を深く考えたくなくて耳を塞いでいる節がある。
「最初から疑問だったけど、なんであいつと付き合ってるんだ?」
なんでだろう。
殺し屋・國枝藤子。史緒も一歩間違えば彼女の依頼人となっていたかもしれない。自分で手を下した罪を、その罪悪感を、藤子は持たないのだろうか? 自分とは違うのだろうか? なにが違うのか。藤子は殺しの仕事でなにを得ているのだろうか。───最初、藤子に近づいたのはそれらの疑問があったからだ。
「史緒のこと好きだなぁ」
藤子は思い出したようによく口にする。最初に聞いたときは本当に驚いた。
「なに固まってんの?」
「人にそんなこと言われたのはじめてだから」
「そんなことないよ。史緒が聞いてないだけだよ」
「いや、ほんと、はじめて」
「だから、史緒が聞いてないだけだって。きっと言ってるよ、史緒のお仲間やお友達は」
(友達…?)
藤子は知ってる?
ごっこ遊びは、いつから“ごっこ”でなくなるのか。
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