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「最近、阿達のことばっかりだな」
 藤子が千晴の家に押しかけても、大抵の場合、千晴は学校のレポートを書いていたり本を読んでいたりする。藤子は一方的に話をするだけで放っておかれているが、千晴はいつも耳を傾けてくれていた。
 壁とクッションに寄っ掛かって本を読んでいた千晴が顔を上げた。彼が相づちを打つのは珍しい。藤子は気を良くして、テーブルから離れて這うように移動し、ぴたりと千晴の横にくっついた。
「あれぇ。そうだっけ」
 千晴が藤子のことに意見してくるのはもっと珍しい。そんな風に言わせてしまうほと、史緒の話題をしていたのだろうか。それはそれで問題があるような気がするが。
「史緒のことは好き。って、やだぁ、これじゃ恋人に恋愛相談してるみたいじゃん!」
 藤子は腹を抱えて笑う。
「頑固ものなんだよね、未だにあたしの仕事、納得してないし。大人ぶってるけど、やっぱ子供だし。周囲を守ろうとして一人で躍起になってる馬鹿みたいなところとか。なにか色々と抱え込んでるところとか、好きかな。もっと楽にすればいいのに」
 千晴はまた本に目を戻している。
「でも安心してね、晴ちゃんのことも同じくらい好き、浮気してないよ。由眞さんも好き…」
 と、そこまでテンション高く喋っていた藤子はふと笑いをしまう。千晴のほうへ身体を傾けて、抑えた声で言った。
「でもねぇ、あたしを一番理解してないのも、やっぱり史緒なんだぁ」
 由眞、千晴、史緒の3人のなかで、きっと史緒が一番遠い。
「だって、史緒ったら、あたしが死ぬのイヤだって言うんだもん。そんなの、無理なのに!」
 本当に馬鹿みたいな話だ。藤子は人殺しだ。いつか殺されて終わる。そんな当たり前の因果応報を、史緒はどうして理解できないのだろう。
 何故か声が震えて、笑顔もうまく作れない。史緒に対する苛立ちが大波のようにやってきた。
「何度言っても解ってくんないんだよ、あの子。だって、あたしはそういう人間なの、そういう風に生きるって、あたしが決めたの。晴ちゃんや由眞さんは解ってくれてるけど。でもあの子は、馬鹿で、何回も、あたしが死ぬのは困るって…、困るって言うの!」
 ふと視線に気付いて顔を上げる。
「──……晴ちゃん?」
 藤子は苦しそうに顔を歪ませた。千晴に両手を伸ばす。
 指で髪を漉き、こめかみにキスをする。千晴の頭を愛しそうに胸に抱き寄せると、振るえる声をもらした。
「どうして…、憐れむような顔するの?」
 どんなときもそう、千晴はやっぱり、抱き返してはくれなかった。





 12月も半ばに差し掛かった頃のこと。
 クリスマスのデートを千晴から勝ち取った藤子は上機嫌で買い物に出掛けていた。街は煌びやかなイルミネーションが遠くまで続いている。この国の宗教感覚には甚だ疑問があるが、要は楽しめばいいというノリは藤子の気質に合っている。毎年流れる同じクリスマスソングにはそろそろ辟易しているが、それも苦笑いしながらの世間話のネタになる。ついさっきも、ショップの店員さんとその会話をしてきたところだった。
 夕暮れの街は人で溢れている。秋の夕暮れは赤く、冬の夕暮れは青い。澄んだ空気のなかに灯りが瞬く。そんな中をひとりで歩くときの微かな孤独感が藤子は好きだった。

(───…)

 それは突然だった。
 一瞬で全身に鳥肌が立つ。視線を上げると、もちろん見慣れた街並みが広がっている。しかしその雑多な人混みのなかから、心臓を突き刺すような鋭い気配があった。
(なに?)
 咄嗟に道端に寄り、壁に背を当てて辺りを窺う。しかし目の前では藤子など目に入ってないような通行人が素通りするだけだ。
 その気配は藤子を捉えている。藤子はその源を探した。けれどこの人の多さでは特定は難しい。
「……」
 こんなことは初めてだった。襲われるにしても、こんな衆目の中ではあり得ない。それにこの気配、藤子は毛が生えているはずの心臓に汗が流れるのを感じた。殺意とはまた違う、まとわりつくような空気に気分が悪くなる。
 どうする。藤子は自問する。今ここで手を出されることは無い。それなら藤子も無視してこの場を去ればいい。しかし追跡されては後が面倒になる。
 藤子が壁から離れられないでいると、ふと、視界にそれが入った。
 車道を挟んで反対側の歩道。絶え間なく流れる通行人の中、立ち止まる人影があった。
 スーツの上に黒いコートを着た、会社員風の男がこちらをまっすぐに見ていた。
(───あいつだ)
 藤子はガードレールに駆け寄り相手を確認する。目が合うと男は片手を上げてゆっくり手を振った。手を下げて、視線を外し、男が人波に合流したとき、藤子を取り巻いていた気配も消えた。
 それだけだった。
 藤子は汗を掻いていた。その場に膝を付いてしまうほど疲弊していた。

 刺すような風が髪を撫でた。

(なぁに、それ)
 失笑する史緒。
(藤子に危害を加えたら私が黙ってないってこと?)
(馬鹿言わないで、そこまで義理堅く無いわ)
(藤子に何かあっても、それは完全に自業自得じゃない)
 そして藤子。
(あたしはやるよ)
(史緒に危害を加えたら、あたしが黙ってないってコト)
 それは嘘じゃない。
 だから史緒。あんたも、嘘じゃないよね……?

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