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06.12/21(火)21時
藤子は玄関でブーツを履いてから振り返った。
自分の部屋がいつにも増して乾いて見える。冷ややかな空気は乱されるのを拒むように重い。そんな部屋のなか、天井に吊された照明の明かりはまるで舞台のライトのように生活感が欠けている。白い壁紙には染みひとつ無く、赤いドレッサーの上には櫛も置いて無い。一度も使われたことが無いベッド、水滴も無いシンク。
(まるで、おままごとだ)
───まさか違うとでも?
自問して、自嘲する。
この部屋で食事をして、寝て、学校へ行き、遊びに出掛けて、この部屋に戻ってくる。そのとおり、この部屋での生活はおままごとに違いない。
藤子は帰る部屋など無くても生きていける。こんな部屋は必要無かった。
「ここではそういう生活があたりまえなのよ。頼むからそうしてちょうだい」
外聞を気にする由眞の言うとおりにした。でもおそらく由眞は、藤子に、このおままごとのような生活に馴染んで欲しかったのだろう。
途端に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
(由眞さん、ごめんなさい)
(あたしを捜してくれてありがとう)
学校にも通わせてもらったのに、結局、我慢できずに辞めてしまった。
(迎えに来たこと、お願いだから後悔しないで)
(せっかく見つけてくれたのに、ごめんね)
(もしあたしがいなくなっても、紫苑くんがいるから平気だよね)
藤子は携帯電話を靴箱の上に置いた。携帯電話にはメモリも着歴も発歴も残していない。この部屋の家具と同じ、いつ捨てても構わないものだ。
(またここに戻る確率はどれくらいかな)
無駄なことを考えていることに気付く。そんなことを思うくらいには、ここでの生活に未練があるのか。
藤子はスーツケースを持ち上げ、乾いた部屋を後にした。
玄関の鍵を閉めると、鍵はそのまま新聞受けに落とした。
ぴんぽーん
「晴ちゃん、こんばんは〜」
ドアを開けるなり、千晴はうんざりした顔をする。大きく溜息を吐いてから藤子を睨み付けた。
「連絡入れなかったろ」
千晴は珍しく怒気を表した。
藤子は千晴と付き合い始めたときに、部屋に来るときは必ず事前連絡することを約束させられていた。おそらく千晴は、会う前に気持ちを切り替えなければ、伯父の仇である藤子と付き合えないのだろう。それが解っていたので藤子は約束を守り続けた。けれど今日、藤子は初めてその約束を破った。
「ごめん。すぐ帰るから許して?」
「なにか用か」
「あのね、せっかくクリスマス空けてもらったのに会えなくなっちゃった。ごめんなさい。すごく楽しみにしてたのに。ほんっとに残念なんだけど」
「わかったよ。それだけか?」
「つーめーたーいー」
早く帰れ、という千晴の態度に藤子は頬をふくらませて抗議する。千晴は無言で部屋の中に戻ろうとしてしまうので、あわててその腕を捕まえた。
藤子は表情を消して、真顔で言う。
「もう会えないかも。だからキスして」
そのとき、今日初めて、千晴は視線を合わせてくれた。それだけのことに感傷が押し寄せる。けれどそのような独りよがりな思いは、千晴が知る必要は無いことだ。
千晴は動かない。待ちきれずに藤子が両手を伸ばす。強引に唇を押しつけた。いつもより少しだけ長く。千晴はそれにも応えることができない。
離れた藤子はもういつものように笑っていて、
「じゃあね」
走って、去って行った。
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