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09.12/24(金)08時

 史緒は怒鳴られて目が覚めた。
「またソファで寝て!」
 同居人の三佳に毛布をひっぺがされる。エアコンをつけてから寝たので寒くはなかったが、やはりどこかひんやりとした空気が伝わって史緒は「さむい」と小さく抗議した。
「冬くらい大人しくベッドに行け。エアコンつけっぱなしも電気の無駄!」
 朝から元気の良い三佳の声が家の中に響き渡る。
「うん…」
 ソファから離れて毛布をたたんでいると、幾分抑えた声で三佳が訊いてきた。
「昨夜も遅かったし、桐生院さんのほうの仕事、うまくいってないのか?」
「あ、ううん。そういうわけじゃないの。実を言えば仕事じゃなくて、単に頼まれごとだから」
「今日もでかけるのか?」
「ええ。それよりこっちの様子はどう? なにかあった?」
「とくになにも。私は明後日までバイト。それと電話番と掃除。司は病院行ったりこっちに寄ったり。篤志は大学に顔出してるらしい」
「そう。…あ、結局、掃除手伝えてない」
「手伝わなくて正解。足手まといになるだけだ」
「ヒドイ」
「あと香港組からも電話が一本」
「なんて?」
「“Merry Christmas”」
「…あー」
「23日は天皇誕生日で祝日。24と25はキリスト誕生日で平日だけど世の中大騒ぎ。いったいこの差はなんだろうな」
 三佳が真面目にそう言うので、史緒は思わず笑ってしまった。
 確かに両方誕生日ではある。比較するものではないと思うが、とくにクリスマスの世間の浮かれ様は確かに興味深い。
 ひととおり笑った後、史緒は三佳にお礼を言った。
「ありがと」
 三佳は肩をすくめる。
「どういたしまして」



 しっかり朝食を摂らせられて家を出た。
 立ち止まっていられないくらいの寒さに自然と早足になる。
(心配させてるうえに気を遣わせて…、本当、どっちが保護者だろう)
 同居人の島田三佳は7歳年下。それなのにどちらがしっかりしているか、もし事務所の仲間に訊いたら、全員が三佳を指さすだろう。果たしてこの先、三佳が家を出るなんてことがあったら、自分はひとりで生活できるだろうか。
(むり)
 情けなさに苦笑してしまう。もちろん、自分から離れていく人を引き留めることなど、できないけれど。
(…藤子)
 ──Merry Christmas
 そういえば街中が賑やか。藤子はこのお祭り騒ぎが好きだと言っていた。
「楽しめるものは楽しんでしまえっていうのが、この国の宗教観でしょ? そういうノリは、あたし好きだよ」
 そう笑ったのを見てから、まだひと月も経っていないのに。
(どこへ行ったの?)
(あの書き置きは誰に向けたもの? どういう意味?)
 英単語の意味を知らないわけじゃない。「bye.」その意味を考えてしまうのは怖い。
 そう、怖いのだ。
(ねぇ、藤子。誰にも言ったことなかったけれど、私の行動理念はね…)
 ずっと昔から、ネコが死んだときから、篤志と司に一緒に来て欲しいと頭を下げたときから。史緒にはそれだけしかない。
(もう、なにも失いたくないの)
 わがままだけど、その些細な願いを、ずっと守っていこうと思っていた。
(本当にそれだけなのに)
(もしかして、口にしなければいけなかったの?)
 そのとき電話が鳴った。
「もういいわ」
 由眞は開口一番にそう言った。
「え?」
「藤子の捜索は中止。文隆と真琴にも伝えて、解散してちょうだい」
「なにかわかったんですか?」
「なにも」
「どういうこと?」
「依頼主が中止って言ってるのよ? 聞き分けられないのかしら」
「最初からこれは仕事ではなかったはずです」
 史緒が強気で言うと、電話のむこうがわはしばらく黙り込んだ。長く待たされたあと、根負けした由眞の溜息が聞こえた。
「…藤子は新宿のWホテルに泊まっていたらしいわ」
 その台詞で一気に緊張が解けた。藤子の居場所が掴めたのだ。今までの心配は杞憂だったのだ。
 由眞は続けて語った。
「Wホテルから電話があったの。藤子は昨夜、ホテルに戻らなかったそうよ」
「…え?」
「宿泊カードに私の住所と電話番号を書いていたのね」
「どういうことですか? 戻ってないって…」
「何度も言わせないで。藤子の捜索は中止」
「桐生院さん!」
「あなたも、あの子と付き合ってたならわかるでしょう? あの子は、いつ何があってもおかしくない仕事をしているのよ?」
「…っ」
「そんな仕事だから、あの子はいつも、私に定期連絡をよこしていたの。一日に2回、毎日、欠かさず。それが2日前に初めて途絶えた。3年間で初めてよ? 3年間で初めての気まぐれかもしれないと思ってあなたに捜してもらったけど、それもここまで。…なにかあったんだわ。そのなにかが判らないわけじゃないでしょう?」
 史緒はなにも言えなかった。頭の使い方をすっかり忘れてしまったかのように、思考を動かせない。なにも考えられなかった。
「史緒、もういいの。帰りなさい」
「───嫌です」
「史緒!」
「もういいなんて言わないでください! どうしてそんな、簡単に諦めるようなこと言えるんですか? 軽蔑します」
「あなたにまで何かあったらどうするの? それこそ取り返しがつかないのよっ?」
「取り返しがつかないのは誰だって同じです!」
 大声を出したら鳥肌が立った。
 歯の根が鳴っている。それでもまだ、思考を動かすことができなかった。

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