/GM/41-50/43
10/13

10.12/24(金)08時

 藤子は寒さで目が覚めた。
 風が頬を撫でた。
(外(そと)?)
 何故かコンクリートの上で寝ている。
(鈴木か、あのやろう)
 まずそのままの姿勢で身体の状態をチェックする。左足が重かった。わずかに視線を動かして確認すると鉄枷がつけられていた。鎖の先はフェンスにつながっている。フェンスのむこうがわは眼下、ビル群が広がっていた。どうやら高い建物の屋上のようだ。頭の方向に人の気配があった。誰か、もちゃんと判っている。現状把握はそれで十分だ。
「あたしが寝てるあいだに変なことしてないでしょうね」
「おや、おはようございます、残念ですね、もう少し早ければキレイな朝焼けが見られたのに」
 相変わらずどこかふざけているような口調が返った。視線を向けると鈴木はスーツにコートをはおって悠々と煙草を吸っていた。
 藤子は上体を起こして苦情を言う。
「冗談。あたしと一緒に朝を迎えるのは晴ちゃんだけだもん」
「誰ですか? …あぁ、北田千晴くんですね」
「馴れ馴れしく呼ばないでくれる?」
 もう陽は完全に上っていた。確か、ホテルへ戻ろうとしたのは夜の11時。その帰り道で鈴木が現れて、今はもう朝8時を回っているだろう。こんなに長い時間、意識を放したのは初めてだった。
「なにか薬使ったでしょ〜? うー、頭いたいー」
「軽い睡眠薬です。身体には残りません」
「あと、これ」足を動かすとじゃらと重々しい鎖の音が響いた。「随分クラシカルなもの使うなー。今時、飼われてる犬でもこんなチェーンじゃないよ?」
「すみません」
「足首を落として逃走するかもよ。そうしたら鈴木くんの依頼主を追うから」
「足を切って“逃走”は無理ですね」
「くだらない言葉遊びに付き合うつもりないし」
「這って降りても、階段の途中で出血多量でしょう。まぁ、でも、念のため國枝さんの武器は没収させてもらいました」
「うわ、懐探ったんだ。えっち」
「携帯電話などは持ってないですね」
「あぁ…置いてきちゃった」
 由眞から連絡入っても困るので部屋に。もし持ってたら取り上げられてたのか。
 そこで化かしあいの喧嘩は途切れた。鈴木は悠々と辺りの景色を楽しんでいる。藤子は鈴木の意図が読めない。藤子をここに拘束することで鈴木はなにを狙っているのだろう。
「ねぇ。殺す気がないなら、早く帰して欲しいんだけど」
「わたしは殺し屋ではないので。仕事はここまでです」
「───」
 藤子の顔が大きく歪んだ。
「あたしに事故死しろっていうのッ!? 冗談じゃないわッ」
「國枝さんが声を荒げるのを初めて聞きました」
「うるさいっ! 殺すならさっさと殺して! こんな…、こんな死に方するなら今までこの仕事をやってきた意味がないじゃないッ」
「なんのために殺し屋を?」
「あんたに言う義理ない」
「まぁ、世の中には思い通りにならないこともあるということですか」
「だいたい、なんであんたみたいなヤツが来るの? 魚なら魚屋、本なら本屋、殺しなら殺し屋でしょ」
「どうしてか、そのへんの殺し屋は國枝さんに手を出したがらないようで、わたしに回されたようです」
 鈴木は軽く笑って煙を吐いた。
「わたしもね、クライアントにちゃんと助言したんですよ? 國枝さんに手を出したら、別のところから刺客が来ますよって」
 別のところから刺客。鈴木が誰のことを言っているか判った。その人物を思って、藤子は冷静さを取り戻すことができた。
「鈴木くんのクライアントを安心させるわけじゃないけど、それはないよ。あの子は動かない」
(そんな真似はしない)
(あの子にはあの子の守るものがあるから)
「そうですか? それを恐れて動けないでいる業者もいるようですけど」
「周囲が思ってるほど、あたしたちの結束は固く無いってこと。もちろん、その勘違いをあたしたちは利用してたんだけど。最初からあたしたちはお互いを利用してたのよ」
「へぇ。そうなんですか」
 頷いたものの鈴木はどうでもよさそうだった。ただ一言、「情が移るって言葉、わかります?」と言った。藤子は答えなかった。
「阿達史緒さんは」
「慣れ慣れしく呼ばないで」
「助けに来ると思いますか?」
 藤子は顔を歪めて失笑した。
「ねぇ、それってあたしへの侮辱?」鈴木を睨み付ける。「あの程度の子に追えるほど、あたしは足跡を残して歩かないの」
「ですよね。期待を寄せてくれた國枝さんに何かあったら阿達さんも辛いですからね」
「いちいち癇に障る男ね。お喋りな男は嫌いなのよ」
「わたしはね、國枝藤子の仕事ぶりは嫌いじゃありませんでしたよ」
「そりゃどーも」
「じゃあ、わたしはそろそろ本業の仕事があるので」
「遅刻じゃないの?」
「ギリギリというところです。…ああ、それから、今夜の天気は晴れです」
「丁寧にありがとう」
「では、またお会いしましょう。藤子さん」
「地獄で待ってるわ」
 身体は冷え切って───気温は5℃を下回っていた。


10/13
/GM/41-50/43