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18.12/25(土)10時
「関谷です。お邪魔します」
篤志は的場文隆の事務所を訪れた。御園真琴もいる。軽く手を上げて挨拶を返した。文隆の事務所に来ると、大抵ここの所員がたむろしているのだが今日はそれは無い。土曜日で定休だからか、それとも席を外させているのか。
文隆は専用のデスクに、真琴はソファに座っている。篤志は真琴の向かいに腰を下ろした。
「死因は、なんですか?」
挨拶もそこそこに切り出しても2人は嫌な顔をしなかった。緊急事態なのだ。
國枝藤子が死んだ。篤志が知る藤子はにぎやかで明るい、その辺で遊んでいそうな女子高生のように見えた。史緒にそういう友達がいるのは初耳で、意外で、驚いたものだ。藤子の融通の利かない強引さに史緒は振り回されているようだったが悪い気もしてない、仲の良い2人に見えた。その藤子がこんな突然に消えてしまうなんて微塵にも想像させない、世の中の多くの友人同士のように見えたのに。
「検屍によると、凍死、らしい」
メールで情報を得ているのか、文隆がパソコンモニタに視線を向けたまま答える。その声は知人の死因を語っているとは思えないほど冷静なものだった。
「凍死? …じゃあ、事故では?」
「ビルの屋上に鎖でつながれていたんだ」
「!」
「午前8時31分の通報は若い女の声。警察が現場に駆けつけたとき、そこに通報者は無し。通報そのものが離れた場所からだったから、当然と言えば当然か。警察はビルの屋上にて、足を鎖で繋がれた凍死体を発見、目立った外傷は無し、しかし右足首に生活反応の無い掻傷。これは、死亡後に他の誰かが鎖を外そうとした、というのが鑑識の見解。実際には外れなかったようだが。…それから、遺体には白いコートがかけてあったそうだ」
篤志は眉をひそめた。
「…史緒?」
「目撃証言から、早朝、現場付近にタクシーが停まっていたことが確認されている。タクシー会社に当たったところ、午前6時半頃、新宿Wホテルから現場まで乗せた客がいるらしい。客はタクシーを待たせて降りた後、20分後に戻ってきて、またWホテルまで戻ったそうだ。───そして史緒は昨夜、Wホテルに泊まっている。今朝8時にチェックアウト。自宅へ帰ったのは9時頃だったな? その途中の駅で、史緒はやっと警察に通報したんだ、つじつまは合う。通報を遅らせた理由は推して知るべし」
「自分の行動を制限されないため」
そうとしか考えられない。篤志の呟きを受けて文隆は深く頷く。
「だろうな。史緒は犯人を追っているんだろう。どんなカタチでかは判らないが、目的は復讐しかない」
(あの馬鹿…)
史緒は今朝、どんな気持ちで事務所へ帰ってきたのか。どんな気持ちで部屋を出たのか。それ以前に倒れている友達を見て史緒は…。
「状況は解りました」
一刻も猶予は無い。史緒を追わなければならない。けれど。
「ただ、國枝さんのことが分からない。史緒の友達、というだけじゃないですね。的場さんと御園さんもよく知っている…しかも國枝さんのことをあまり良く思ってないようだ。それから、桐生院さんが國枝さんの捜索を依頼していたというのも。人間関係が繋げられないんですが」
文隆と真琴が目を合わせた。何故だか言いづらそうに文隆が口を開く。
「國枝藤子は桐生院由眞の下につくひとりだ。俺らは“3人”ではなく、最初から4人だったんだ」
「…え?」
初耳だった。かつて、A.CO.の開業と同時期に、文隆と真琴を紹介された。それが今から2年前。それなのについ最近まで、篤志は藤子の名前を知らなかった。國枝藤子が他の2人と同じ立場だというなら、この差はなんだろう。
(史緒が隠していた…?)
(どうして)
「───知りたい?」
篤志の表情を読んだのか、目の前に座る真琴がはじめて口を割った。ゆったりとソファに座ったまま、鋭い視線だけを篤志に向ける。
「國枝の正体を知ったら、篤志は、史緒や僕らを軽蔑するかもしれないね。そして自分らの組織にも疑問を抱くかもしれない。それでも、知りたいかい?」
國枝の正体。真琴はずいぶんと物々しい言い方をした。篤志は不用意には頷けなかったが、頷く意外に答えはなかった。
* * *
「喋りすぎたかな」
篤志が去った後、真琴は肩を竦めて言った。しかしその表情には微塵の後悔も見えない。真琴の性格をある程度把握している文隆は呆れたように溜息を吐いた。
「史緒に対する國枝藤子のフォローを、篤志に押し付けたかっただけだろ、実は」
「人聞き悪いなぁ。仮にも知人が死んだんだ。僕だって悼んでるんだよ」
いつもどおりの軽口だが表情は笑ってない。それは2人とも同じ。國枝藤子はなにがあっても付き合いたくない相手だったが、こうなることを望んでいたはずもない。複雑な心境になる複雑な状況なのだ。
「ただね」と、真琴は続ける。「僕は最初から、國枝のことはどうでもよかったんだ。史緒のように好意を持つことも、文隆のように嫌悪することもしなかったよ。それより、気に入らないのはあの人のほうだ」
「あの人?」
「電話借りるよ」
真琴はソファから腰を上げて、文隆のデスクの電話を取る。携帯電話を使わなかったのは、その通話を文隆にも聞かせるためだ。わざわざスピーカで鳴らして、真琴は番号を押した。ややあって回線が繋がった。
「御園です。おはようございます」
「…おはよう」
電話の相手は桐生院由眞だった。その声は酷く重い。真琴はわざとらしいまでに快活に喋った。
「当然知ってるでしょうね、國枝のこと」
「そうね」
「新聞社の速報にも出ていない。あなたが手を回したんでしょう?」
「そうよ」
「それから警察にも。司法解剖はせずに遺体を引き渡すよう、圧力をかけている」
「ええ」
淡々と答えるその反応は、真琴はおもしろくない。憤りと苛つきが声にも表れてしまった。
「もう少し残念がったらどうです? あなたの手駒とはいえ、正真正銘、血の繋がった孫娘なんだから」
それを聞いて文隆は目を瞠った。口を開き掛けるが真琴が制す。
電話の向こうの声が少し揺れた。
「…知ってたのね」
「“國枝”は“桐生院”の前身だ。そしてあなたの本名でもある」
紡績ブランドの「桐生院」、前社長はその名を名乗っていたが、それはブランド名を自分に冠しただけであり、本名は國枝という。由眞のオフィスは「Y.K」というが、登記の代表者名は桐生院ではなく、國枝由眞となっている。
「あなたは孫娘になにをさせたかったんだ」
文隆は藤子を嫌悪していたが、真琴にとっては藤子より由眞のほうが嫌悪の対象だった。身内でありながら、殺し屋として働く孫を黙認していた。しかも自分の下で働かせていた。
由眞は答えない。長い沈黙があった。
由眞は藤子になにをさせたかったのか。もとより、真琴も簡単に答えてもらえるとは思ってない。本音を吐く媼ではないことは、初めて会ったときから知っていることだ。
「…あなたたちも判っていたでしょう? あの子は、いずれこうなるって」
「それはもちろん判ってました。見事なまでの因果応報だ。でもそれじゃあ納得しない人間もいる」
そこで由眞はやっと気付いたのか、声を改めた。
「…史緒は? そこにいるの?」
「お察しの通り、現在、行方不明中です」
「…馬鹿な子。あれだけ止めたのに」
「それには同感ですね」
由眞は強い声で言った。「史緒を止めて」
「言われなくても」
言われるまでもない。真琴は苛立ちを込めて電話を切った。
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