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21.12/25(土)20時

 史緒は薄暗い部屋で丸くなっていた。しんとした静かな部屋で、ベッドの傍らに腰を下ろし、膝を抱えている。
 藤子のマンション、藤子の部屋だ。今回は管理人に開けてもらったわけではない。2日前に訪れたとき、郵便受けに鍵が入っているのを見つけて、こっそり持ち帰っていた。
 昨夜からほとんど寝ていない。休めるうちに休んでおこうと宿を探したが、文隆や真琴が張っているかもしれない、それに警察の動向も見えない。そういう理由から、史緒は、鍵を持ってきていた藤子の部屋に不法侵入したというわけだった。
 誰が郵便受けに鍵を落としたのか。藤子自身の確率が一番高い。最後にこの部屋を出たとき、鍵を掛けたあと、郵便受けに落とした。もしそうだとすると、藤子はこの部屋に帰れないことを覚悟していたのかもしれない。
 つい先ほど電話屋から調査結果の連絡があった。藤子の携帯電話に藤子の居場所をメールしてきた人物の身元。意外なことに、送信元の偽装は無く、送信履歴と該当メールのヘッダも一致しているらしい。契約者名も聞いたがもちろん聞いたこともない名前だ。その人に会いに行くのは簡単だが、今の手持ちの情報だけでは、例え会ったとしてもそれ以上進めようがない。青嵐のほうの結果を待って、次の手を考えるしかなさそうだ。
「…ふぅ」
 溜息を吐いて史緒は顔を上げた。
 あらためて部屋を見渡す。意外と物が少なくシンプルな部屋だった。しかしピンクのベッドカバーに赤いドレッサー、これは確かに藤子の趣味だ。けれどどこか無機的。生活感が無い。つい先日まで、藤子はここで暮らしていたはずなのに。なにがそう思わせるのだろう。史緒がよっかかっているベッドもしわひとつない。藤子は本当にここで寝ていたのだろうか。
 藤子はどんな風にこの部屋で過ごしていたんだろう。やっぱりあの明るい笑顔で、ごはんを食べたり、テレビを見たりしていたんだろうか。あの笑顔で。
 ──あたし、史緒のこと好きだよ
「……ッ」
 静かに全身が震え始める。とうとうきたか───食いしばっても歯の根が合わない。少しでも油断すれば声を漏らしてしまいそうだった。
(だめ、まだ崩れるわけにはいかない)
 歪む顔を押さえるために手のひらに埋めても、その手のひらさえおかしいほど震えている。
(落ち着いて。まだだめ)
 一度倒れてしまったらきっと二度と立ち上がれない。
 座っているだけなのに呼吸が乱れる。なにか病の発作でも起きたように苦しくて、苦しくて口で浅くなんども息を吸った。そうしなければ呼吸の合間に叫んでしまいそうだった。床に倒れ込んで、さらに浅い呼吸を繰り返す。
 なにかを求めるように伸ばした手に、冷たいものが触れた。
「───」
 見なくてもそれがなにかは解っている。
 視線を上げて用心深く、史緒はその、銀色のナイフを握った。
 先ほど、この部屋の中から見つけたものだ。調理用でも工作用でもない。見覚えがあった。藤子がいつも身に付けていたものと同じものだった。
 その、銀色に光る鋭利なナイフに指先で触れたとき、すっと冷静に戻ることができた。
(私はこれからなにをしようとしているんだろう)
 固く目を閉じる。──それ以上考えてはいけない。
 動けなくなってしまう。
(大丈夫)
(まだ動ける)
 このまま崩れてしまっては、あの頃からなにも変わってないことになる。
 ひとり部屋のなかで怯えていた頃から。黒猫の温かさだけを拠り所にしていたあの頃から、なにも。
 またなにもできないまま、倒れて終わるのか。
(──わかってる)
 どんな理由を付けても、史緒のこの行動に正当性は無い。
 請負殺人のシステムがあり、それに加担していた以上、例え自身が殺されても文句は言えない。
 藤子はちゃんと解っていた、最初からそれを覚悟していた。復讐は受け付けると言っていたではないか。史緒がいまさら動揺しているのは、今まで耳を塞ぎ、考えることから逃げていた証拠だ。
 藤子の仕事を考えれば、藤子が殺されても文句を言えないのに。
 藤子が殺し屋だということ、それはちゃんと理解していた。それを承知で藤子に近づいたのは史緒のほうだった。ただどうしても受け入れ難かったのは、藤子が死を覚悟していたこと。「いつか誰かに殺される」と、まるでそれを待ちかねるように。
 ──あのー。友達にすぱっと否定されるのもなかなか痛いんですけどー
 そう苦笑した藤子の表情はどこか憂えていたかもしれない。
 もしかしたら、藤子の一番大切な部分を否定し続けていたのかもしれない。
(私はあなたのこと理解してあげられなかった?)
(無神経に傷つけて、それにすら気づけないでいた?)
(期待を裏切ってしまっていた? 結局、ごっこでしかなかったの?)
 藤子はいつも笑っていた。その笑顔に誤魔化されて、見えてないものがあったのかもしれない。
(ねぇ)
(私はちゃんと、あなたの友達でいられた?)
 いなくなってから考えても遅い。
 ──幸せになってね
(……)
 吸った空気は肺が凍るほど冷たい。胸が痛くなる。
 史緒はそっと、ベッドに顔を埋めた。このまま倒れてしまいたかった。けど。
(私はこれからなにをしようとしているんだろう)
 解っているはずなのに、自問してしまう。
(利己的な復讐を果たそうとしている)
(そうだ)
(櫻を殺したときのように)


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