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 史緒が名乗ると鈴木は目を瞠った。そのリアクションで、鈴木は、史緒の名前は知っていても顔は知らなかったことがわかる。しかしさすがに頭の切り替えは速い。鈴木は無言で椅子に座ると、テーブルの上に肘をついて両指を組んだ。倣って、史緒も着席する。
「これは…、無礼ではありませんか?」
 その声は深い。低い声に威圧感があった。
 史緒は笑って返す。
「不調法で申し訳ありません」
 礼儀なんか知るか、と暗に伝えると鈴木も笑った。
「復讐のつもりでしょうか」
「いいえ。佐東さんに復讐しようとは思ってません。ここへ来たのは軽い嫌がらせです」
「ずいぶん危険なことをするんですね。あなたのこの行動は命取りになりますよ」
「裏(そちら)の方々が依頼ではなく私怨で動くのはルール違反ではありませんでしたっけ?」
「そういうローカルルールを強要させる馴れ合いには与してないつもりです。“裏(そちら)”と一括りにされるのも不愉快です。最も基本となる法律(ルール)に反している人間のたまり場で、さらにルールを作っても意味が無いでしょう?」
「なるほど。でも私のほうも、その手の脅しを効かせないくらいには、佐東さんのことを調べてきています」
 それを聞いて佐東はわざとらしく肩を竦めた。
「調べたところで、あなたには何もできない」
 強い声が響く。
「…と、わたしは見ていますがどうですか?」
 史緒は返事を遅らせなかった。「───試してみます?」
 笑顔で対峙する2人の会話はそこで途切れた。そのままお互い視線を逸らすこともしない。社員の集団が2人の横を通り過ぎる。いくつかの喧噪が、2人の頭上を通り抜けていった。
 沈黙を止めたのは史緒のほうだった。
「安心してください。私もここで騒ぐ気はありません」
 そして鈴木は笑顔を消し、不愉快さを表情に出す。
「そう思っているなら、今夜にでも仕切りなおししませんか? 本業を邪魔されるのはとても気分が悪い」
 史緒は調子を崩さずにこやかに言った。
「すみません、用件は些細なことです、すぐに帰りますから。…それから、残念ですけど、アフターでのお付き合いはできません。今はまだ怪我を負うわけにはいかないんです」
「人聞きが悪いですね」
「それに」
「それに?」
「私はこれでも我慢しているんですよ? あなたに切りかからないように」

 鈴木に会いに行くのに「人目の多い敵地」を選んだ理由はふたつある。
 自衛と自制だ。
 人気(ひとけ)の無い場所で鈴木と相対したらあっという間に返り討ちされて病院送りになってしまう。今、足を止められるわけにはいかなかった。それからもうひとつ。この男を前にしたら、衝動的に史緒のほうから切りかかってしまうかもしれない。そうしたら警察送りだ。理性を保つため、短慮を起こして自滅しないために人目の多いところを選んだというわけだった。


「煙草を吸っても?」
「遠慮してください」
 即答すると鈴木は溜め息を吐いて、煙草を挟んだ指をおろした。不機嫌そうな表情で促す。「用件をどうぞ」
 史緒がここへ来た目的はひとつだ。
「依頼主は誰ですか」
 単刀直入の用件も、鈴木は予測していたのか驚かなかった。一定のリズムで、煙草の先を机の上で弾ませている。
「…やるんですか?」
「ええ。やります」
 ふぅ、と鈴木の吐息が聞こえた。
「あなたは動かないはずだって、野良猫さんは言ってたんですけどね」
「それはあの子の読みが甘かっただけでしょう。所詮は他人のこと、推測でしかありませんから」
「なるほど」鈴木は火を点けない煙草を未練がましく指でいじっている。「…で」
「依頼主です」
 話を逸らすことを許さない史緒。鈴木は厳しい目で睨んだ。
「常識的に考えて、わたしがそれを教えると思います?」
「思いませんね」
「解っているならお帰りください」
「でも、佐東さんは教えてくださると思います。…と、私は見てますがどうですか」
「なぜ」
「昨日の早朝、メールをくれたのはあなたですね」
 藤子の居場所を知らせてきた携帯電話のメール。送信元の契約者名は佐東孝三。そう、始末屋・鈴木だった。
 それを知ったとき、史緒は酷く驚いた。しかしよく考えれば当然のこと。鈴木が単独で動いているなら、あの時点で藤子の居場所を知っているのは、藤子に手を下した本人しかいない。
 鈴木は肩で息を吸い、ゆっくりと吐く。
「そうですね。それがなにか?」
「どうしてそんな、アシが付くような危険なマネを?」
 発見時刻を早めたいだけなら、危険を冒してまでメールを投げる必要は無い。放っておいても朝になれば、誰かが見つけて警察に通報していた。その2,3時間のタイムラグに意味があるとも思えない。
「どうしてあの子の居場所を知らせようとしたんですか。どうしてそれをあの子の携帯に送ったんですか。あの子の携帯を誰が持っているか知っていたんですか。その誰かがあの子を探していると知ってたんですか。───あなたの狙いは、居場所を知らせることじゃなかった。その誰かを動かすためだった。焚き付けるために、メールを出したんじゃないですか」
 そしてその誰かとは史緒のことだ。「あなたの狙いどおりこうして訪れたんだから、まさかここで手詰まりにさせるつもりはないでしょう?」
 鈴木は表情を無くし、煙草を弄ぶ指を止めた。
「───阿達さん」
「はい」
「こんな噂をご存じですか?」鈴木は声を抑えた。「“國枝に手を出せば阿達によって社会的に抹殺され、阿達に手を出せば國枝に殺される”」
「……」
 史緒は眉をひそめて首を振った。
「知りません」
 そこで鈴木は吹き出した。あながち演技ではなさそうだった。
「あっはっは。本当に? 知らぬは本人ばかりなり、ですか。いや、びっくりですよ」
「それがなにか?」
「わたしの依頼人はね、わたしより前に、5人の請負屋に猫の始末を依頼しているんです。その5人は猫の名前を聞いて逃げたそうですよ。おそらく半分は、猫に怖じ気づいたんでしょう。そして半分は、あなたを恐れたんだ」
「…まさか。私はただの、表の情報業の末席です」
 そんな風に恐れられるのは心外だ、と言うと、鈴木は苦笑する。
「じゃあ、あなたは今、なにをやろうとしているんですか」
「───」
「あなたがどう思おうと、あなたからの制裁を恐れた始末屋は数多くいるということです。そこで、わたしはその噂の真偽を確かめてみたかったんです。本当に、猫の友人が動くかどうか。だから、メールを出しました」
 史緒はなにも言い返せなかった。すると、鈴木はもう一度史緒の前で煙草を持ち上げた。
「吸ってもいいですか」
「遠慮してく」「了解したほうがいいですよ」
 鈴木の含みを持たせた台詞に、史緒はかなり躊躇して、椅子を後ろに引いてから、やっと頷いた。
「どうぞ」
 鈴木は遠慮無く火を点け、美味そうに煙草を吸う。史緒はそれをじっと待っていた。妙なひとときだった。
 一本吸い終わって、もみ消したところで、鈴木は史緒の前に紙片を差し出した。
 名刺だ。
 「佐東」の名刺ではない。
 史緒は息を飲んだ。鈴木が構わない、という素振りをするので、遠慮無くそれを受け取る。
「…信じていいんでしょうね」
 史緒の呟きを聞いて鈴木は鼻で笑う。
「無精はやめましょうよ。どうやったって、わたしたちのあいだに信用関係は無いでしょう? わたしの言葉を信じようが信じまいが、ウラを取るのはあなたの仕事です」
 それは確かにそのとおりだが、史緒は疑心を持たないわけにはいかなかった。
 クライアントデータを漏らすのは最大のタブー。自分だけでなく、仲介屋の信用も失墜する。その仲介屋にぶらさがっている請負屋すべてが干されてしまうのだ。たとえ「最も基本となる法律に反して」いても、仕事は仕事、請負と信用は切り離せないもの。
 それなのに鈴木は史緒に大声で漏らし、その経過を楽しむ素振りさえ見られる。
「どういうつもり?」
「そうなんでも邪推されるのは心外です。わたしはわたしの仕事は済ませました。そのことで一定の評価は得られたわけです。───そしてあなたに足を掴まれたことで、少しの汚点が付いた。しかし、それはマイナスにはならない」
「…?」
「わかりません? いつもの仕事で3歩進んで2歩下がるところを、今回は5歩進んで3歩下がったようなものです。わたしは地道な性格なんですよ」
「…?」
 鈴木の説明はさっぱり解らなかった。史緒の表情がおもしろかったのか、鈴木は失笑した。
「あなたはもう少し、あなたの友人の猫とあなた自身の世間的な評価を客観的に見たほうがいいですよ」
 それ以上、史緒に解り易く説明しなおすつもりは無いようだった。

 帰ろうと席を立った史緒を鈴木が呼び止めた。
「阿達さん」
 鈴木は胸ポケットから取り出したものを史緒に差し出す。
「ここまで来たことに敬意を表してあなたにはこれを」
 小さな紙袋。押しつけられるかたちで史緒はそれを受け取る。片手に包まってしまうほどのそれには、なにか硬い、いびつな形のものが入っているようだった。首を傾げた史緒に鈴木は慌てて付け加えた。
「あぁ、まだ開けないで。これ以上、社内(ここ)で騒がれてはわたしも困ります」
「…なんですか?」
 訝しむ史緒に鈴木は目を細めて笑う。
「急いで開ける必要はありません。もう、意味の無いものですから」


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