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25.12/26(日)12時
史緒は駅へ向かう途中で、鈴木に渡された紙袋を開けてみた。
紙袋を逆さにして、手のひらに音も無く転がり落ちたのは、鈍色の、真鍮の小さな鍵。
ピアノの鍵のようなクラシカルな形。鍵としての構造は単純なものだった。
(なんの鍵…?)
思い当たるものが無い。鈴木はなんのつもりでこれを史緒に渡したのだろう。
(鍵…?)
錠の形を想像してみる。
「…」
かちり
鍵が開いたように閃いた。体がカッとなる。
「ぁ───…ッ!」
──急いで開ける必要はありません
(あの男…ッ!!)
悔し涙が滲んだ。鈴木に対して圧倒的な怒りが込み上げた。全身が憤怒で震える。今、目の前に鈴木がいたら、この衝動に従って間違いなく刺していただろう。人目など気にせずに。
──もう、意味の無いものですから
自分の甘さに気づく。鈴木のとぼけた態度にすっかり騙されていたようだ。情をかけるような素振りを見せても、あの男は藤子を殺した人間なのに。
「…っ」
きりきりと胸が痛んだ。
───鍵は足枷の鍵。
藤子を殺した凶器だった。
史緒はしばらく立ち上がれなかった。膝にまったく力が入らない。通行の邪魔になっているのに、足が動かなかった。
「大丈夫ですか? 具合でも?」
頭上から声がかかる。史緒は慌てて顔を上げた。
「あ、平気です。ありが───」
お礼は最後まで言えなかった。
心配そうな顔で手を差し伸べていたのが関谷篤志だったからだ。
篤志のほうも、史緒の顔を確認すると目を剥いて、苦々しく顔を歪めた。「…って、おまえかよ」
咄嗟に駆け出した。しかし、篤志が一歩も動かないうちに腕を掴まれる。容赦無い力に引き戻され、史緒は悲鳴をあげた。
「史緒」
頭上から痛いくらい厳しい声が降った。腕を掴む力はさらに強くなり、史緒はその痛みに顔をしかめた。
「……篤志」
恐る恐る顔を上げると、篤志は睨むように史緒を見下ろしている。史緒の恰好を一瞥すると言った。
「変装のつもりか?」
実はそのつもりだった。
髪をあげて、眼鏡をかけて。気休めでしかないが、追っ手(とくに身内)に捕まらないようにと思っての采配だった。無駄だったようだが。
藤子のことを聞いた篤志が追ってくることは予測していた。そして一番手ごわい追っ手だということも。
それにしても、篤志はどうやって史緒の足跡を掴んだのだろう。流されるままにしか歩けない人波の中でも、篤志はただ一人、史緒を見つけた。
「…どこまで聞いたの?」
「全部では無いだろうけど、一通り」
「藤子の仕事のことも?」
「ああ」
「私のこと、軽蔑した?」
「しない」
「簡単に否定しないで。あの子は…!」
「史緒、家に戻るんだ。そして休め」
首を横に振る。
「史緒っ」
「私のことは放っておいて」
「國枝さんは史緒の復讐を望んでいるのか?」
「そんなわけないじゃない! あの子は、無駄なことはやめておけって、笑うに決まってる。…私だって、藤子があんなことになってもおかしくない人間だったってことは知ってる。でも、友達が殺されて泣くしかできないなんて、自分の無力さを証明したくないの」
「復讐は次の復讐を生む。それくらいわかるだろう?」
「じゃあ私が殺されたら、連続する復讐劇を篤志が止めて」
「それはできない」
「───」
予想外の即答に史緒は絶句した。
「…説得力ないわ、それじゃあ」
悔しさが込み上げる。鼻先が冷たくなった。史緒は頭を振ってそれをやり過ごした。
「昨日の今日で気が昂ぶってるんだ、とにかく頭を冷やせっ」
「私も解ってるのよ? 今の気持ちは長くは続かない、少しずつ冷めて、薄くなっていくって。だから」
篤志の胸を叩く。力は入らなかった。
「だから、今、動くしかないの。まだこの気持ちが残っているうちに」
「投げ槍になるな、おまえには他に守っているものがあるだろう? 一時の感情に任せた軽率な行動で、それをすべて失くすのか?」
「わかってるわ! でも私は…ッ」苦い空気を吸う。「なにもせずに怒りを収められるほど大人じゃないし、なにかを守るためなら他になにもいらないなんて言えるほど、無知な子供じゃないの!!」
悔しかった。篤志は史緒のことを本当によく理解している。一番揺さぶられるところを突かれて、心がぐらついた。
でも譲るわけにはいかない。今、この気持ちに従わなかったら死ぬまで後悔することになる。藤子の記憶とともに。
ごめんなさい、と史緒は小さく呟いたあと、
「いて…っ」
篤志のつま先を踏んだ。その隙を突いて腕をふりほどく。史緒は全力で走り出した。
人混みのなかを掻き分けるなら、体の小さい史緒のほうが有利だ。
「史緒っ!」
篤志の声が聞こえたが立ち止まるわけにはいかなかった。
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