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27.12/27(月)19時

 6時間前───
 そのビルのそのフロアでは、人は走り回り、電話は鳴り続け、怒鳴り声はあちこちから聞こえる。これならまだ、駅の改札口のほうが静かだと思わせる喧噪。よく言えば活気づいているのだが、聞こえてくる大声は穏やかでないものが多い。
 ここは、いつも、こうだ。この慌ただしさと騒々しさに圧倒されてしまう。史緒は壁に擦り寄るようにして大人しくしていたが、それでも脇を走りすぎる人に邪魔物扱いされた。ごめんなさい、と謝ってもその対象はすでに通路の向こう。この様子では、先ほど頼んだ呼び出しもきちんと伝わっているかどうか怪しいものだ。
(新聞社ってみんなこういうものなのかしら)
 身の置き所に困っていると、机と机のあいだから見知った顔の男が小走りでやってくるのを見つけた。
 とりあえず、呼び出しは伝わっていたらしい。
「諏訪さん」
「やぁ、A.CO.さん、お久しぶりです。いつかは本当にお世話になりまして」
「お世話になっている数はこちらのほうが上です。お忙しいところお邪魔して申し訳ありません」
「え? 別に忙しくないですよ?」
 けろりと答えるその目は嘘を吐いてない。史緒はちらりと諏訪の背後を見る。あいかわらずの喧騒。「……」これが普通なのかもしれない。
 フロアの端の会議室に通された。「すみません、落ち着けるところがここくらいしかなくて」そう言ったあと、諏訪はドアの外に向かって、「ヒツジ、茶ぁ出せ!」と鋭い声で叫んだ。さすがこの職場の人間と言うべきか。史緒はその様子に苦笑した。
「年末はどうですか。なにか大きなニュースでもあります?」
 勧められた椅子に腰掛けて話題を出した。諏訪は新聞社勤務、社会部記者。かつてA.CO.の客として知り合った人物だった。
「いや、さっぱり。社会部は各地の正月風景を取材するくらいです」
「え。じゃあ、年末年始も出づっぱりですか?」
「いえ、そういう取材は大抵フリーのライターが行ってます。我々はデスクワークですよ。う〜ん、欲言えば、他に、ちょっと派手な話題が欲しいところです。今年は嫌な事件も多かったし、最後くらい和める話題があるといいんですけどね。ちょっとイイ話、みたいな」
 そこで、湯飲みを乗せたトレイを持った女性が入ってきたので話は一時中断した。諏訪の部下らしい若い女性が史緒と諏訪の前に湯飲みをおく。史緒がお礼を言うと、軽く視線を返してきた。そして退室。
「で、阿達さんの御用というのは」
「はい。ええと、半年くらい前のことなんですが」
「ええ」
「こちらの新聞でゼネコン企業の特集をやってましたよね。確か、経済ではなく、社会だったと記憶してますが」
「ああ、ありましたね。はい、社会(うち)です」
「とても興味深く読ませていただきました。昨今ではゼネコンというとマイナスイメージが強いけれど、少し街を歩けばその仕事は必ず目につくのに、それを意識する目は一般人にはほとんど無い…、アピールも兼ねた社会貢献に対する意欲───そういう主旨でしたか」
「ええ、そうですね。そうなんですけど…どうしました? ずいぶんと回りくどいですね」
「え?」
「國枝藤子さんの件で、なにか調べているのではないですか?」
「!」
 史緒は目を見開いた。諏訪の口からその名前が出るとは思わなかったからだ。
「…おかしいなぁ」少しの後、笑いが込み上げる。「私たちの関係を知ってる人は、大抵、カタギじゃないんですけど」
「こんな商売ですから。情報は広く浅く、なんでも仕入れますよ」
 控えめに笑う諏訪に、心からありがたいと思った。
 そう、まだ足を止めるわけにはいかなかった。
「その特集記事のインタビューに答えていたうちのひとり、庫勝建設常務、北実明次と面会したいんです。仲介をお願いできませんか」







 大きな窓からは都会の夜景が広がっている。
 広大な光の渦は、黒い土の上に、白い小石をまぶしたようだった。安っぽい模型のよう。こんなジオラマの中で人々が生活しているかと思うと不思議な気分だった。
 ──あのね、いつもながら史緒の情緒の不細工さには驚かされるよ、ホント
 そう笑った藤子はもう、このなゆたの光のなかにいない。どこにもいない。
 会えないんじゃない。いないんだ。一生会えないという表現も違う。
 この世界にはもう、あの存在が無い。
 無い。
 忘れていた。人が亡くなるとはそういうことだ。
 会いたいのに、世界中のどこへ行ってもそれは叶わない。どんなに努力しても、手を汚しても、祈っても、この命と引き替えにしても。ただひとりの人間と会うことができない。そんな絶対の別離があると、思い知らされたのはいつだったろう。
 無い、という言葉に恐怖したのはいつだったろう。
 天の上や土の下に生の前や死の後を探すのは無意味。同じ時間を共有できないなら意味は無い。
 腕を傾けて時間を読む。この部屋に通されて20分、そろそろ来るだろう。
 手のなかには、小さな真鍮の鍵。史緒はそれを握りしめる。長いあいだ手のなかにあったのに、まだひんやりと冷たい。
(私はこれからなにをしようとしているんだろう)
 ここまで来て、まだそんなことを考えている。いや、意味なく自問しているだけであって、本当は最初から解っている。
 胸元に忍ばせているナイフに、服の上からそっと触れる。そして目を閉じた。
 危惧していたよりは、ずっと冷静だった。
(大丈夫)
(やれる)
 もちろん、藤子はこんなこと望んでない。
 ──守らなきゃいけないもの、わかってるよね?
 彼女の制止は史緒の足を止めるだけの力は無かったようだ。
 藤子は望んでない。
 では、なんのために?
 自分の憂さを晴らすため。この喪失感を重くするため。
(綺麗な理由を付ける必要はない。それだけで充分だ)
 そうしているあいだに、ドアが開いて男が現れる。
 史緒はそれを笑顔で迎えた。


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