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 2−3


 泣き声が収まってしばらくたった。そのまま寝たのかと思ったが、和成の手を握る細い指にはまだ確かな力がある。
「幸せになって───って、言うんです」
 か細い声が聞こえてきた。
「誰が?」
「…友達。それに、咲子さんも」
 そこで史緒は喉を詰まらせた。「ひどいと、思いません?」
「どうして?」
「2人とも、いなくなるって判ってて言ったんです」
「?」
「自分がいなくなるって判ってるのに、私のこと好きだって、幸せになって、って…。ほんとに、ひどい。そう言ってくれた人を失くして、どうして私が幸せになれると思うの?」
 史緒の爪が和成の手に食い込んだ。毛布の上からでも判るほど体が震えている。
「私は、もう誰も失いたくない。それだけなのに。それだけよ? 過ぎた願いじゃない、贅沢なこと言ってない。それなのにどうして…?」掠(かす)れた声で絞り出すように。「亨くんも咲子さんもネコも、藤子も! どうして? ヒドイ…、ヒドイ…っ!」


 あれはひとつめを失くした夢だ。
 はじめて、失くすことを知った夢。
 とても大切で、大好きなもの。それが突然に、思いも寄らず、まるで景色を切り裂くように、失われてしまった。もうこんな痛みは欲しくない。だから、もうなにも失わずに済むように、強く、守ってきたつもりだったのに。
 またひとつ。
「…藤子…っ」
 もう会えないことが寂しいんじゃない。
 もうこの世界のどこにも、藤子はいない。
 もうなにもしてあげられないことが悲しい。彼女のためにできることがない、それが辛い。
 ぽん、と頭を叩かれた。
「私も、史緒さんのこと好きですよ」
 穏やかな和成の声が降ってくる。一瞬、なにを言われたのか判らず現実感が薄れた。
「──…え?」
 おそるおそる顔を上げると、和成の優しい表情と目が合った。
「幸せになって欲しいと思ってます」
 一気に熱が冷めた。
「勝手なこと言わないで!」
「私はいなくなる予定はありません」
「嘘つき…ッ!」
 自分の声に目が霞む。「あなただって、私を置き去りにしたじゃないッ!」
「───」
 言って、驚いた顔をしたのは和成だけじゃない。史緒も瞠(みは)り、口を塞いで目を逸らした。
「史緒さん?」
「…すみません、今のは」
 ずっと握っていた和成の手から指を離す。しかし今度は手首を掴まれた。
「待ってください」
「なんでもないっ」
「僕が」
「離して」
「僕がアダチに就職したこと?」「ちが」「あのときはもう、史緒さんのそばには、篤志くんや司さんがいたでしょう?」
 カチン
「だからなに? 彼らがいたからなんなの? 誰も代わりにはならない。全然、違うでしょう…っ?」
 止めなきゃいけない。そう思っても堰を切った言葉は喉で止まらなかった。
「留学したのだってそう! 逃げたの! 和くんがいなくなって、櫻と同じ家にいられるわけないじゃない!」



「───櫻?」
 和成は史緒の言葉を聞き逃さなかった。「眠れないのはそれが原因?」
 あの頃と同じ?
 どうして今になって?
「史緒さん」
 呼びかけても史緒は首を振るだけで喋ろうとしない。
 振りほどきはしないまでも、和成が掴んだままの手はどこか退き気味で。そして震えている。その姿は10年前の史緒と重なる。
「櫻は、なにをしたんですか?」
 史緒はかたく口を閉じて黙って首を振る。
 これでは本当に初めて会った頃と同じだ。
 もう10年経つ。それなのに。
 もういない櫻は、どうやって史緒を苦しめているのだろう。


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