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「付き合って欲しいところがあるんです」
和成が再びやってきたのは2日後だった。ちょうど退院する日で、史緒が返事をする間もなく和成は退院手続きを済ませ、半ば強引に史緒を車の助手席に押し込んだ。
「マキさん!?」
興奮のあまり史緒は思わず大声を出していた。
車が郊外に出た頃、和成はようやく事情を説明した。
「ええ。少し前から連絡を取り合ってたんです」
「マキさんと? わぁ…、本当に懐かしい。ずっと会ってないし」
「時間があるときに顔を見せろと言われたので、史緒さんを誘ってみました。よろしかったですか?」
「ええ、もちろん。すごく驚いたけど、楽しみです」
「きっと恨み言を言われますよ。ずっと音信不通だったから」
和成はハンドルを操作しながら苦笑した。
「それを一人で聞きたくなかったから史緒さんも巻き込んだ、というのが本音です」
助手席で史緒も笑う。
真木敬子は阿達家の家政婦をしていた人物だ。史緒が物心つく前から、ほぼ毎日、通いで来てくれていた。食事を作ってくれていたのも、掃除をしてくれていたのも彼女だ。
けれど櫻が死んだ後、史緒と司が強引に家を出てあの家は誰もいなくなった。彼女ともそれっきり。
実家は現在も無人で、ときどきクリーニングが入っているはずだが、もちろんそこに彼女の仕事は無い。史緒が家を出たせいで彼女には迷惑を掛けてしまった。
「マキさん、今、どこにいるの?」
「社長の計らいで、別荘の管理人をしているそうです」
「別荘? どこの?」
「逗子です。今、向かっているのもそこです」
史緒の父親は定住先を持たない。その代わり、不動産を多く所有している。全国の別荘地に、それから都内にもいくつかマンションを所有していて、本人はそれらを転々としているようだ。
史緒も幼い頃は各地の別荘に遊びに行ったものだが、逗子と聞いてもピンとくるものはなかった。行ったことがあるかもしれない、という程度だ。
「マキさんって結婚してましたよね。ご家族は?」
「逗子の別荘の管理人といっても、マキさんは都内に住んでますよ。別荘のほうは社長や史緒さんが使わなければいつも無人ですし、週1に訪れて掃除などしてくださってるようです」
数時間の後、やがて車は止まった。
「ここからは歩きです」
アスファルトが途切れた場所に、こじんまりとした駐車場があった。標高はあまり高くないようだが、周囲は高い樹木に覆われている。
「林道を歩いた先に別荘地があるんです」
そう言って和成が指し示す方向には、幅5メートルほどの林道の入り口があった。公道だが車は進入できない。道は芝肌だ。よく整備されていた。
街からはかなり離れているようで他に車の音も聞こえない。ただ鳥の鳴き声だけがこだましている。史緒は和成に誘導されて林道に足を向けた。
平坦な林道を2人は並んで歩く。他に人影はなかった。乾いた芝は、カサリ、カサリと音を立てる。空気は冷たく本当に静かで、人里離れた、という言葉を実感する。
注意してみると、歩道の両脇は同じ木が並んでいた。並木道なのかもしれない。この季節、葉は無いが、花が咲くのだろうか。史緒は幹から木の名を知ることはできなかった。
体調が完全でないところで、久々の日差しはこたえる。体力が落ちているのか、少し歩いただけで息切れがした。
「手を貸しましょうか?」
「…結構です」
確かに身体は辛いがこれ以上醜態を晒したくない。数日前から和成には格好悪いところばかり見せてしまっている。
深呼吸すると少し楽になった。木が多いので空気が良いのだろう。木漏れ日が芝の上に落ちる。それはまるで絵画のようだった。
ふと、誰かとすれ違ったような風を感じて、史緒は振り返った。
しかしそこには誰もいない。駐車場からここまでの、冬の枯れ木の林道が続いているだけだ。
木々は、葉無しの枝が擦れ合い、雑踏のような音を立てていた。その音が、胸をざわめかせる。
(…なに?)
もう一度、今度は確かな風が吹いて、髪を持っていかれた。視界が隠れ、そして霞む。
史緒は幻惑される。
ザザァァァア
風に背中を押されるような浮遊感があった。
薄紅の霞が視界を覆う。
その向こうに、色とりどりの花。青々とした芝の褥。
あたたかい陽光が差し、景色を包み込む。
「…っ」
史緒は愕然として目を瞠(みは)った。
(この場所は知ってる)
(この木は───)
この並木路は。
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