キ/GM/41-50/46
≪4/13≫
■3.
「うーっす」
「こんにちはーっ」
健太郎と蘭が事務所に入ってきたとき、メンバーのほとんどがすでに集まっていた。
史緒と祥子は鼻をつき合わせて、机の上の書類についてなにやら言い合っている。祥子の小脇には、いつもは篤志が使っているサブパソコン。史緒がなにかを説明し、祥子が少し圧されているようだった。一方、いつからここにいるのか、司と三佳はソファでカードをしている。
「あっ、三佳、今度再戦な」
カード勝負で負けが続いている健太郎。自信満々の宣誓を受けても三佳は涼しい顔だ。
「黒星稼ぎご苦労」
「うるせー、カウンター覚悟しな」
蘭は祥子の背後にそそっと近づき声をかけた。
「祥子さん、なにやってるんですか?」
答えたのは史緒のほうだった。
「事務作業を覚えてもらってるの」
「無理やり手伝わせてるくせに〜」
祥子は書類に突っ伏したまま唸った。
「史緒さんのお仕事のお手伝いですか? 今まで篤志さんがやってたような?」
「そういや、篤志いねーじゃん。ていうか、最近、あんまり顔見ないな」
「そうね。ちょっと学校のほうが忙しいみたい」
史緒は笑って答える。祥子はなにも言わなかった。
「なんだぁ、残念」
と、言葉と同じ表情の蘭。
「へぇ、やっと卒業する気になったのか」
カードをまとめていた三佳は冷やかし交じりに笑う。
「おんやー? そういう三佳こそ、小学校卒業できるのかよ」
大げさな素振りで健太郎がからかう。
「そういえば、三佳は今、6年生だよね」
「最終学歴小学校中退とは衝撃的だな」
堪えきれずに笑っている健太郎を黙って見ている趣味はない。三佳は大きな音でカードを置くと、ソファごしに振り返った。
「他人のことより自分の心配をしたらどうだ。相も変わらず遊び回っているようだが単位落としても知らないからな」
「三佳に心配されちゃおしまいだ。あいにく計算にぬかりはないよ」
「どうだか。受験に受かったものの、日数足りなくて卒業しそこないそうになったくせに」
「なんでおまえが知ってんだよっ!」
「センター試験の自己採点で私より低かったくせに」
「1科目の1分野だけだろーがっ! って、しかも今は関係ないだろ」
けんけんごーごーの応酬が始まっても誰も止めなかった。いつものことなのだ。
「なにやってんだか…」
毎度飽きもせずエネルギーを消費しあっている2人の言い合いが耳に届いて祥子は息を吐く。
午前中、事務所に入ると同時に「これ、やって」と史緒から書類を突きつけられた。急な仕事の押し付けに祥子は反論したが、いつもどおり史緒の二言三言で撃沈させられてしまう。
慣れない事務作業は分からないことも多く、ところどころを史緒に訊きながら作業を進める。(これって篤志の仕事じゃないのっ?)恨み言を吐きつつも作業に没頭していく。
けれどそれは健太郎と三佳の口喧嘩に邪魔された。サブパソコンに集中しかけていた意識が途切れ、祥子は嘆息して疲れた頭を上げる。史緒も作業の手を休め、健太郎と三佳のやりあいを見て微笑っていた。目を細めて、歯を見せて。それは珍しく素直な笑い方で、つい祥子は見入ってしまった。
(…あれ?)
額から後頭部に細い糸が抜けていくような感覚。なにかを思い出しかける。史緒の笑顔に、なにかを。
「わかったぁ!」
思わず大声をあげてしまった。そのせいで健太郎と三佳の口喧嘩は中断、司と蘭、そして史緒も祥子に視線を集めた。そのことに慌てもしたが、今は自分が思い出したことを確認するほうが先決だった。こちらを向いているうちの一人、蘭に正解を求める。
「あの写真のもう一人の女の子って、史緒でしょっ!?」
すぐそばで祥子が叫ぶと同時に蘭が瞠るのを史緒は見た。そしてそのまま、ぎこちなくこちらに顔を向けるのを。
(写真───?)
「あの…」
蘭は気まずそうな表情でなにかを言い掛けた。しかしそれより早く祥子が補足する。
「ほら、前に見せてもらった…、パスケースに入ってるやつ」
「あ、俺も見たアレか。駅で落としたときに」
「そうそう。確か、子供4人で写ってて、蘭の他にもう一人女の子がいて」
子供4人、と聞けば思い当たるものはある。
祥子と健太郎が盛り上がる横で、史緒と蘭のあいだだけは空気が冷えていた。
「…なんの写真?」
「あの、史緒さん…」
蘭は泣きそうな顔で、視線でなにかを訴えようとする。それだけで確定。写っている4人は史緒の想像どおりだろう。蘭は史緒の気持ちを汲んで、その話題を避けたいと思ってくれている。けれど今は写真を出さないわけにはいかない状況だ。史緒は苦笑して、蘭にやわらかく言った。
「いいわよ、見せて?」
「……はい」
蘭はおずおずとバッグからパスケースを取り出した。すかさず祥子と健太郎のチェックが入る。
「ほら、やっぱりそうよ」
「あー、なるほど、そういえば」
そしてパスケースは史緒に渡った。
「───」
写真には4人の子供が写っている。女の子2人の後ろに、少年が2人。
左の女の子は口を大きくあけて無邪気に笑っている。確かに今でも一目で判る。これは蘭だ。その隣りで、蘭より少し年上の、今の三佳よりいくつか年下に見える女の子がかしこまってやっぱり笑っている。後ろの少年もう少し年上で、この2人は双子だ。そう言い切れるほど、2人はよく似ていた。
「…ごめんなさい」
蘭は申し訳なさそうに小さく声を震わせる。
「どうして? 懐かしいわね」
そんなに気を遣う必要はない、と笑ってみせたが、それでも蘭は不安そうな面持ちをしていた。
パスケースはそのまま三佳へ。
「ねぇ、やっぱ史緒なの?」
「ええ。私が7歳、蘭が5歳かしら」
「うわぁ、貴重なもの見ちゃった」
祥子は熱っぽく拳を握った。
三佳が司に写真の説明をしている。蘭はそれをハラハラと見守っていたが、史緒はそれほど心配はしてない。
「ついでに右の男の子は蘭の初恋の人」
「!」
史緒の発言に蘭は飛び上がった。
「初恋!? 蘭の!?」
「爆弾発言!」
「し、史緒さん!」
「へぇ」
「篤志じゃなかったんだ?」
それぞれの反応に蘭は頭を抱えた。
「うわーん、史緒さん、ひどいですー」
「ごめんごめん。そんなに怒らないで? 昔のことじゃない」
そのとき、ドアが開いた。
「悪い、遅れた」
最後の一人、篤志だ。どういう事情か、篤志は濃紺のスーツを着ていた。
今日は篤志の仕事は入ってない。仕事に遅れる理由も聞いてない。さきほど健太郎に「学校のほうが忙しいみたい」と言ったのは嘘だ。いつもは篤志が担当している作業も史緒に残して(祥子に振ったけど)、篤志はどこかへ出掛けている。スーツを着るような場所へ。
「篤志! これ見ろよ。蘭の初恋の相手だって」
健太郎がパスケースを篤志に見せる。が、
「だめぇーっ!!」
蘭は必死の形相で健太郎からパスケースを奪い返した。篤志に見られる前に。
「びっくりした…、なんだよ」
パスケースを固く握りしめている蘭は肩で息をしながら言った。
「ぇ…だ、だって、むむむ昔好きだった男の子の写真なんて、あ、篤志さんに見せられません!」
「いいじゃん、見せてくれよ」
「もぉー、篤志さんまでー」
蘭は泣きそうだ。
「乙女心がわからない男性はもてませんよ!」
「はい、そこまで」
史緒が場を沈める。
「全員揃ったことだし、予定通り、月曜館でミーティングよ」
蘭を助けるかたちで史緒の号令がかかり、写真の話は中断された。それぞれがとくに異を唱えることもなく腰を上げる。
史緒は書類をまとめて席を立ち、おろおろしている蘭の前を通り過ぎざまに笑いかける。「気にするな」とでも言うように。けれど視線を外したあとの史緒の表情は硬かった。
蘭は篤志の袖を掴んだ。
「ん?」
最後に事務所を出た史緒との距離を取る。史緒が1階の玄関を抜けたことを目と耳で確認して、蘭は篤志を廊下の端に引き寄せた。
「あの…っ」
一大決心をしてパスケースを篤志に見せた。
「ええと、その…コレ、あたしの初恋の人の写真なんです」
篤志は首を傾げながらもそれを受け取る。そして写真を見るとやわらかく笑った。
笑ってくれた。蘭はそのことに心から安堵する。
「…なるほど。見せられないわけだ」
写真には4人の子供が写っている。そのうち3人の名前を、関谷篤志は言うことができた。史緒、蘭、櫻。そしてもう一人。
4人目の名前を、関谷篤志は知らない。
関谷篤志は阿達櫻に双子の兄弟がいるとは知らない。
だから、史緒の前でこの写真を見せられたら、どう反応すればわからなかった。「櫻以外に兄がいたのか」という話題を篤志はしたくない。意図は違うが史緒だってそうだろう。さっき、蘭だけでなく史緒も、篤志に写真が渡るのを止めようとしていた。(司は写真に櫻が写っていることに気付かなかった。説明した三佳が櫻を知らないからだ)
「ごめんなさい」
「謝るのは俺のほうだよ」
「どうしてですか?」
「蘭を巻き込むつもりはなかった。嘘を吐かせて、ごめん」
遅すぎるけどな、と篤志は苦笑する。蘭は力強く首を振る。
「そんなこと…」
「でもそろそろ潮時だ」
「…え?」
「たぶん、時機は今が一番いい」
最近の篤志の行動に、史緒ももう勘づいているようだから。
史緒に、家を出た頃の不安定さはもうない。
仲間がいて、仕事があって、それ以外にも沢山の理解者がいて、支え支えられて、この先もやっていけるだろう。
もう大丈夫。
だから篤志も動き出す。
本当にやりたいことの準備。そのために通らなければならない、告白。
≪4/13≫
キ/GM/41-50/46