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■6.
「ノエル・エヴァンズが来日ッ!?」
健太郎がそのニュースを知ったのは自宅アパートの居間、テーブルの上にあった兄の職場の機関誌からだった。
思わず叫んでしまった声の内訳は純粋な驚きが8割、野次馬的な歓喜が2割といったところ。本日の食事当番である兄がコンロの前で振り返った(うるさい、と叱ろうとしたのだろう)が、それに応える余裕もない、新聞紙の半分ほどの大きさの機関誌に顔を埋めて記事の詳細に目を走らせる。
兄の職場の月イチの機関誌は健太郎も毎回目を通している。内容は職場の広報がメインで、ニュースやコラム、イベント情報などが書かれている。原稿当番がリレーされるコーナーでは、当番による微笑ましくも不器用な家族自慢が時折見られた。
今月号の2面の上半分を占めるニュース、それがノエル・エヴァンズの来日だった。白黒なのが惜しいが写真も2枚並べられ、過去の実績、来日の目的などが続く。そのうち健太郎が驚いたのは写真だ。
「…って、この人、女? しかもすげー若い!」
2枚の写真のうち片方は経歴書からとってきたような無表情な顔写真。彫りは深いが丸みのある輪郭、大きな目。柔らかそうなふわふわした長い髪が肩に落ちている。性別は見間違うことなく女、年齢は10代でもおかしくない相貌だった。
「おまえ、それ、外で言ったら恥かくぞ」
今日の夕食である手抜きカレーをテーブルに並べながら兄は笑った。
「と言っても、一部の業界以外ではほとんど知られてないけどな」
そうは言っても一介の学生である健太郎でもエヴァンズの名は知っている。
ノエル・エヴァンズ。イギリス人で、暗号技術や短波通信の研究者だ。関係特許を数多く持ち、それらの技術は医療、軍事、航空宇宙の分野でも応用されている。特定の大学や研究機関には所属しておらず、学会や技術サポート、短気の研究プロジェクトに参加するなど世界中で活躍しているらしい。ネットでの噂話を健太郎はよく目にした。この写真では若く見えるが、エヴァンズは20代半ばのはずだ。
「男だと思ってたのか?」
「だって、ノエルって男の名前じゃん」
「どちらにもつける名前だよ」
「ネットでも写真は見たことなかった」
「まぁ、本人は頑固な取材嫌いらしいからほとんど顔出さないらしいからな」
「そうそう。あ、でも40くらいの眼鏡のおばさんがスポークスマンなのは知ってる」
エヴァンズ本人は表に出るのが嫌いだからとインタビューや取材には滅多に応じない。けれどメディアをおざなりにして自由契約者(フリーランサー)が務まるはずもない。だからエヴァンズには優秀なマネージャー兼スポークスマンがいた。名前は確かマーサ・ハクスリー。こちらは学会での演説のときの写真などが出回っている。
「おい、見入ってないでメシ食えよ。そりゃ確かに美人だけど」
冷やかすように笑う兄に、「違うって」健太郎は記事を指して見せた。
「こっちの写真」
2枚目の写真は顔の判別ができないくらい遠目のものだ。なにかのパーティだろうか、エヴァンズは膝丈のドレスを着てシャンパングラスを持っている。目線が合ってないので本人に許可を得ないでの撮影なのかもしれない。隣のスーツの男に顔を近づけて話しかけているようだった。
「先月までイスラエルの企業でプロジェクトに参加していたらしい。写真はその祝賀会だってさ。欧州(あちら)はTPOにはうるさいから正装のパーティも珍しくないよ」
「となりにいる男は?」
「さぁな」
健太郎はもう一度紙面を目の前に広げる。印刷は粗く、近すぎるとドットにしか見えない。目との距離を調整してみる。どうも、なにかひっかかるものがあった。
「誰かに似てない?」
「そんな白黒ピンボケで、誰に似てるって?」
「いや、なんとなく」
もう一度写真を見る。しかし今度はもうなにが気になっていたか判らなくなってしまった。
写真の男は濃い色の髪で(モノクロなので正確な色は判らない)、背が高く(少なくともエヴァンズよりは頭ひとつ分)、痩せ型で、前髪は長く目が隠れていた。
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