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≪3/16≫
阿達櫻が物心ついた頃から、父は家にいなかった。母もいなかった。
同じ家にいた家族はひとりだけ。
双子の弟、亨。
僕らがお互いを「別の存在」だと理解するまでには時間がかかったという。
一緒に産まれて、一緒に育って、一緒に遊んで、ごはんを食べて、寝て、学校に通って。外で友達と遊んでも、同じ部屋に帰る。
目をつむっていてもわかる。隣にいる存在。それでも他のどの人間とも違う、近しい人間。
だからこそ、同じなのにどうして伝わらないのか、他人なのにどうして解るのか、そのはざまのすれ違いがよくケンカになった。「櫻と亨のケンカは意味が解らない」と友達によく言われた。僕らからすれば、どうして解らないのか、そっちのほうが不思議だ。どうやら僕らは周囲から奇妙に思われるらしい。それは幼い頃から意識に染み付いていた。
「家族」という概念を知ったのも、かなり遅れていた。
「お父さん」はときどき会いに来てくれる人だ。優しい。おみやげをくれる。でも忙しいらしく、次の日にはもういない。「お母さん」という存在はいない。咲子は自分のことをそう呼ばせなかったから。なんでも、彼女は小さい頃から体が弱く、入院ばかりで、友達がいないのだという。「子供をたくさん産んで、友達になるのが夢だったの」。別のところで寝泊まりしている。僕らはそこに遊びに行く。いつも笑って迎えてくれる。
他に家族といえば、マキ。家にいてごはんをつくってくれる。怒ると怖い。ケンカの仲裁役。イタズラをして叩かれたこともある。
遅れて生まれた妹、史緒。一気に家がにぎやかになった。
───父と母がいないことが淋しくなかった訳じゃない。他の多くの友達の家と違うことで悩まなかったわけじゃない。それでも仲の良い弟と妹がいたし、病院へ行けば母とも会えたし、父もできるかぎり時間を取ってくれた。恵まれているという自覚はあったし、悲観することもない。家族に対して、声を大きくして言うほどの不満はなかった。
夜。櫻と亨はベッドの中で宿題をしていた。並んで毛布をかぶり、胸の下に枕をおいて、教科書とノートを突き合わせる。灯りは枕元のスタンドだけ。マキに見つかると「ちゃんと机でやりなさい」と叱られるのだが、「この姿勢がいいんだよね」と2人は密かに笑い合う。
宿題が一段落すると2人は毛布の中でお喋りを始めた。いつもそれで夜更かしして、やっぱりマキに叱られるのだ。
「今日、お父さん来たじゃん?」
「うん、びっくりした」
「僕らのどっちかに仕事を手伝って欲しいって言ってたけど」
「大きくなったら?」
「あれって、2人でやればいいよね」
「それイイ! お手伝いは多いほうがいいに決まってるもん」
「うん」
「2人でなら面白そう」
「じゃあ、約束」
「いいよ」
「一緒に、お父さんの仕事を手伝おう」
わずかな明かりの元で、2人、頷き合う。
こうして交わした約束は違(たが)わない。
今までそうしてきたように。
「…シッ」
遠くで声がした。
それが妹の史緒の声だとわかると、顔を見合わせて同時に布団を剥いだ。
部屋を抜け出して、冷たい廊下を素足で走る。
史緒は2階のマキの部屋にいる。もうとっくに寝ている時間なのに。
「マキさんっ」
ノックをしてから2人でなだれ込むと、マキは眉を吊り上げた。「まだ起きてたの?」
ぐずる史緒を腕に抱いてあやしていた。
「史緒、どうしたの?」
「怖い夢でも見た?」
声と息を詰まらせていた史緒は、2人の姿を見ると火がついたように泣き出した。マキはその小さな体をやさしく抱いて頭を撫でる、それでも史緒は泣きやまない。
「…とーるくん、…さくらくん」
「ん?」
顔を覗き込んでも、史緒の声は言葉にならなかった。マキが困ったように言う。
「今日、病院に行ったから、咲子さんが恋しいみたいで」
櫻と亨は顔を見合わせる。頷く。
「史緒」
「僕らの部屋に来る?」
「…え?」
「一緒に寝ようよ」
「…、うん!」
「寒いから上着を着て」
「スリッパも」
動き始める双子。それに手を引かれて史緒。
仲の良い兄妹にマキは笑う。
「あまり夜更かししないで、早く寝るんですよ」
「はーい!」
櫻と亨は眠気も吹っ飛ぶ元気の良さで答えて、史緒を連れてマキの部屋を出た。
2人の部屋に戻ると寝床を整える。史緒を挟んで3人は並んで布団にもぐった。
「とーるくんとさくらくんは、おとうさんのところへ行っちゃうの?」
ようやく泣きやんだ史緒が、暗闇の中で不安そうに尋ねる。
「は?」
「ほんこんへも連れて行ってくれないし。ひとりになっちゃう!」
「それを心配してたの?」
「お父さんの仕事を手伝うのは大きくなってからだよ」
「香港へ行っても、すぐに帰ってくるって」
「ほんとに?」
「ほんと」
「ほんとにほんと?」
「ほんとだってば。僕らはずっと、この家にいるよ。史緒もそうだろ?」
「うん。一緒にいようね」
史緒は布団の中で2人の腕に触れた。
「とーるくんと、さくらくんと、しおで」
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