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■02
人の気配を感じて窓の外を見ると、亨が庭先で夜空を見上げていた。
夕食のあと、姿が見えないと思っていたら、そんな所にいたらしい。寒いのに。
窓からの明かりが照らす、暗い庭に亨はひとり立つ。
亨が、今、なにを考えているのか、櫻にはあたりまえのように分かった。
「亨」が「今日」、「夜空」を見上げている。それだけで今の天気も判る。おそらく、雲が少なく、晴れて、月や星が出ている。亨は星を見ている。月や雲や外灯ではなく、星を。
なぜ、分かるのか。
答え。夕食前に2人でSF映画を見ていたから。それも、人類が他の星へ移住する話。
このように、相手の今までの行動を知っていれば、その先の行動の意味を知るのは難しいことじゃない。亨以外の人───毎日、顔を合わせている家族や友達に対しても同じ。ときどき、彼らの言葉の先や行動の予測を口にして驚かれることがあったけど、「ツーと言えばカー」「以心伝心」という言葉もある、特別なことじゃないのに。
驚かれることが面白くて、つい口にしてしまう。
亨は驚かない。同じように解っているからだ。ただ、亨は解っていても言わないようにしているようだった。
僕らは、他の人の言動を必要以上に注視してしまう癖があった。
「宇宙船の中でさ」
庭に下りると、やはり星がよく見えた。白い小石を散りばめたような空が広がっている。
「うん?」
亨は振り返らずに話の先を促す。
「トラブルがあって、地球(ホーム)と連絡が取れなくなって、数百万の移民はどうにか辿り着いた星で、その厳しい環境の中でもどうにか生き延びていて」
「うん」
「450年後に、地球の人間と再会する、と」
「そういう話だったね」
「そこで疑問に思ったんだけど」
「うん」
「そんなに長い間、完全に分かれていた人類が再会したとき、同じ言葉を喋ってるかな」
「……」
「450年っていったら、遡れば日本では織田信長あたりだよ。文字も違うし、言葉だって通じるかわからない。地球と移住星じゃ、文字も言葉もそれぞれ別の方向に変わってるかもしれない」
「同じ形態(からだ)をしているかも危ういよね。その星に見合った独自の進化をするかもしれない」
「あ。同じこと考えてたな」
「まぁね」
「もっと言えば、お互い分かり合えるだけの正しさやルールを持っていないかもしれない。別の歴史を持つわけだから、これはあると思う」
「喧嘩になるね」
「うん」
「映画のように、再会してメデタシというわけにはいかないかな」
見上げている星空が急に不吉の象徴のように思えて、櫻は地面に目をやった。
「…離れてるっていうのは怖いね。僕と亨も、長い間離れていたら、それぞれ変わるのかな」
「今は見分けがつかない人もいるくらいなのにね」
「見て分からないほど変わっちゃうかも」
「でも」
そこで振り返った亨は、思いの外、明るい表情で笑った。
「近くにいても、変わるものは変わる。僕も櫻も、これからどんどん違くなっていくと思うよ」
「淋しいこと言うなぁ」
「どうして? 一緒にいれば、変わっても分かり合える。例え離れても、僕は櫻を見つけられる。心配しなくていいよ」
「…けっこう、楽観的だな、亨は」
「櫻はいろいろ考えすぎなんだよ」
「そうかな」
2人で笑い合う。
背後で引き戸が開く音がした。
「2人とも、そろそろ中に入って。史緒ちゃんが2人のマネして、なかなか寝てくれないから」
* * *
その日も晴れていた。
いつものように、咲子のお見舞へ行く。真木が運転する車の中では3人の大合唱だった。櫻と亨が学校で習った歌を史緒に教えたためだ。暴れすぎて真木の拳が飛ぶ、それでも3人は悪びれもせず笑い合っていた。
途中の花屋さんの店先で見つけた花を買った。咲子のお見舞いに。
きれいな赤い花を、小さな花束にして。
「さきこさん、今日はちゃんとお部屋にいるかなぁ」
「あははっ。信用ないからねぇ、あの人は」
「普段の行いがアレだもんなぁ」
病院について、真木が受け付けを済ませている。もう慣れているので、子供たちはロビーの椅子に座って大人しく待っていた。
「あっ、阿達さんのところの…」
廊下の奥から慌ただしそうに看護婦がやってきた。真木に近づき、深刻そうな顔でなにやら耳打ちをする。
真木は表情を変えた。一度、子供たちのほうに目をやってから、看護婦に深く頷いて返す。
「なにかあったのかな」
「看護婦さん、怖い顔してたね」
櫻と亨が首を傾げていると、真木がこちらにやってきて、明るい声で言った。
「みんな、今日はお見舞いだめだって。このまま帰りましょう」
「えーっ!」
「どうして?」
「今日は難しい検査をしているらしいの。ほら、今までも何度かあったでしょ? 検査は夜までかかるから、今日は病室に入っちゃだめなの。今日は帰って、明日か明後日、また来ましょう?」
「顔を見るくらいいいじゃん!」
「そうだよ、ちょっとだけ!」
「───だめよっ」
真木が厳しい声を出して、子供たちは肩をすくめる。史緒は亨の手にしがみついた。
ひとつため息の後、真木は表情を和らげて言う。
「病院の先生たちに迷惑かけない、ちゃんと分かってるでしょ?」
「…はーい」
「ごめんなさい」
しぶしぶと返事をする櫻と亨。
受付のほうから看護婦が手を振ってきた。
「真木さん、ちょっといいですか? お話が」
「はい、ちょっと待っててください。…いい? ここにいてね」
そう言い添えて、真木は受付のほうへ行ってしまった。
「さきこさん、会えないの?」
史緒があきらかに不満そうな表情で言う。
「うん、今日はだめだってさ」
亨は史緒の手をとって宥めた。
櫻は手の中にある花束を見た。それからそっと真木のほうを伺う。
「───亨、史緒を見てて」
「え? おいっ、…櫻!」
「すぐ戻るから!」
櫻は受付から見えないようにして走り出していた。
お見舞いに買った赤い花束を手にして。
病室の前まで来ると、ちょうど看護婦が一人、出てきた。櫻は慌てて椅子の影に隠れる。看護婦は怖い顔で、櫻と反対方向へ足早に駆けていった。
(あれ? いつもは走ってると叱られるのに)
さっきの受付の人もそう。
なんだか、いつもと様子が違う。
そっとドアに近づき、音を立てないように、ゆっくりと開ける。
「…咲子さん?」
「がは…っ!」
ベッドの上の人影が跳ね上がった。
「───」
ベッドの周りには大きな機械がたくさん置かれている。それらは息苦しくなるような掠れた音と、奇妙な電子音が規則的に鳴っていた。その機械から細いケーブルが無数に伸び、咲子が眠るベッドへと伸びている。
咲子はベッドの上にいた。聞いているほうが胸焼けを起こしそうな、耳が痛くなる、激しい咳を繰り返す。その合間の浅い呼吸が痛ましい。
仰向けの姿勢が辛いのか、上体をあげ、毛布を握りしめ、呼吸器をむしり取る。壊れた操り人形のように肩が揺れて、姿勢が歪む。涙を滲ませて、まるでこの大気そのものが毒であるように苦しみ、藻掻いた。
それは櫻が知る母とは異なる姿だった。
「咲子さん…っ!」
その背中をさすってやりたくて、櫻はドアを開け放った。
「───櫻!?」
咲子の声は音にならない。咲子の口から出たとは思えない奇妙な音を喉が鳴らした。櫻は赤い花束を捨てて、機械のあいだをすり抜けてベッドに駆け寄る。
「大丈夫っ?」
「櫻っ、来ちゃだめっ! ───…見ないで!」
咲子は櫻の手から逃れるようにベッドの端へ寄る。
「ぃ…っ、───っ」
「咲子さんっ! 苦しいのっ?」
いつも笑っていた顔が苦しみに歪む。喘ぎながら伸ばした手はなにかを求めているのに、櫻の手を拒む。
櫻は強引にその手を取った。
「咲子さんッ!」
「さく…、…───ぐっ」
声帯が破れるような音が鳴って、咲子は吐血した。
視界が赤く染まる。
「───」
視界が効かなくなった。
顔に温かいものがかかった。そう、それは熱い。
咲子の顔が見えなくなる。
強く抱きしめられた。その腕と胸の温かさはよく知っている。
「さ…くら、…っ、がッ、…ふ」
びしゃ、と液体が鳴る。正体がわからないのに、それはおぞましいものだった。
強く抱きしめられたまま、頭に熱い液体がかかる。
「…、…さくら…っ、ごめ、なさい…っ」
咲子の声───もう、それは声ではない───に悲鳴が混じる。
母の手が震える。離れない。
まるで秋風のように肺が鳴っている。
耳のそばにある心臓は、不器用に強く動いていた。
視界が赤く染まる。黒と見まごう赤。───熱い。
「───」
目を閉じることができない。
思考さえ、赤く染まった。
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