/GM/41-50/47
9/16

■06
 咲子から電話があった。
「あー、櫻くん? お久しぶりだね〜」
 脱力してしまうほど能天気な声が受話器から聞こえる。そのまま通話を切ってしまいたかったがそれを思い直した。
「ちょうどよかった、訊きたいことが」
「ストップ! あたしのほうが先。あのね、その家に住まわせたい男の子がいるの。政徳クンの許可はとってあるから、仲良くしてやってね」
 と、唐突にとんでもないことを言った。
「はぁ? 同居なんて冗談じゃない! どうして」
「大学生なんだけどね、史緒の先生をやってもらうの。マキちゃんは家のことで手一杯でしょ? 櫻くんは史緒のこと構ってくれないし。だからあたしの友達に頼んでみたの」
「だからって」
「あっ、櫻くん、あたしにお話があるんだっけ? それなら会いに来てくれると嬉しいな。そのほうがゆっくりお話できるし。ね、そうしよ? 放課後がいい! 中学校の制服を見せてよ。絶対、来てね! ねっ!? じゃ、和くんのこと、あんまりいじめちゃだめだよ〜?」
 ガチャ

 という、突風のような咲子の予告どおり、一条和成(いちじょうかずなり)がやってきた。
 この家から大学に通うつもりらしい。居候という身分をわきまえているのか、それとも根がそうなのか、学生らしい派手さや煩さはなく、同居するという割に逼迫もしてなければ特別裕福でもない、どこにでもいるような学生だった。
 さらにしばらく観察していたが、咲子の紹介という割には普通の男だ。とくに切れるわけでも、裏があるわけでも無い。咲子が何らかの陰謀を託して一条を送り込んできたのかと警戒していたがそれも無い。純粋に、学校へも行けない状態の史緒の面倒を見ることが目的のようだった。
 必要以上に世話焼きでもおせっかいでもないのは長所だ。櫻に対して変に子供扱いもしないし、干渉もしてこない。目障りでは無かった。
 ただ、肝心の史緒には避けられているようで、一条自身、手を焼いていた。
 その様子を見て安心する。長くはいない、すぐに出て行くだろう。

 深夜。2階からいつもの史緒の声が聞こえた。少し遅れて、すぐ隣りの一条の部屋のドアが開く音。
(さて、どう動く)
 櫻は読んでいた本から意識を放し、耳を澄ます。けれど、ドアが開く音を最後に足音は聞こえてこない。事情を知らないせいもあるだろうがフットワークは鈍いようだ。
「あんたの仕事は、まずコレをどうにかすることだよ」
 なにが起こっているか分かっていない様子の一条に、やるべきことを教えてやる。
 この家からすぐに出て行くにしても、せめてこの安眠妨害はどうにかしてもらいたいものだ。


*  *  *


 放課後に咲子のところへ行くと先客がいた。
 咲子と同世代の女性。初めて見る顔だった。窓際の椅子に、きれいな姿勢で腰掛けている。院内の入院患者でない。スーツを着ていた。ストレートの黒髪は肩先で揃えられ、季節の割には厚着。眼鏡を掛けた顔は、櫻を見ると目を細めて微笑んだ。
「櫻くんね?」
 と、湿り気のある声が言う。ベッドの上の咲子が続けて声をあげた。
「よくわかったね!」
「似てるから」
「…え?」
 櫻が問い返すと、
「咲子に」
 笑みを深くして答えた。
 来客中なら外そうかと入り口から離れずにいたら、咲子に手招きされた。
「櫻くんは覚えてないかもしれないけど、初めてじゃないんだよ? すごくちっちゃい頃に一度会ってるから。あらためて、2人とも紹介するね」
 咲子は櫻の手を取って引き寄せる。
「あたしの最愛の子供たちの一番上のコ、櫻くん。…で、こちらはあたしの10年来の親友、和代ちゃん」
「関谷和代(せきやかずよ)です」
 と、丁寧に頭を下げるので倣わないわけにはいかない。櫻はおとなしく頭を下げた。
「和代ちゃんは政徳クンとも友達なんだよ」
「友達…っていうのは、ちょっと。阿達くんは否定すると思うわ」
「でも、和代ちゃんがここに入院してたとき、政徳クンがよくお見舞いに来てたじゃない」
「そのとき、私が咲子と阿達くんを引きあわせたんだっけ」
「紹介してーって、しつこく頼んだよね。その頃のあたしは通院生活だったけど、政徳クンに会いたくて和代ちゃんの病室に入り浸ってたし」
「友情より恋愛だった、と?」
「え、違うよ、そうじゃなくて〜」

 櫻はそれらの会話を、雰囲気を壊さない程度に聞き流していた。女2人で盛り上がっている中、櫻が置いてきぼりにならないよう、関谷和代は細かく気を配ってくれた。
 幼い頃会っているというなら亨のことを知らないはずない。それから、亨が死んだことを知らないはずもない。今、ここで話題に出さずに明るく笑っているのは気を遣っているからだろうが、先程の「似てるから」には一瞬どきっとした。
 亨のことかと思った。
「そろそろ行くわ。帰って夕飯を作らなきゃ」
 そう言って椅子から立った関谷和代に、咲子は名残惜しそうに声をかけた。
「高雄(たかお)くんは? お留守番してるの?」
「ええ。普段は主夫してもらってるけど、今日は私が当番だから」
「たまには会いたいって伝えてね」
「今度は2人で来るわ」
 関谷和代は最後に櫻に笑顔を見せた。
「じゃあ、櫻くん。またね」
 軽く手を振って、病室を出て行った。
 ドアが閉まると同時に咲子が騒ぎ出す。
「和代ちゃんって、かっこいいと思わない? 彼女、おっきな会社で働いててね、一家の大黒柱なの。自慢の友達なんだ」
「あの人、結婚してるの?」
「してるよー。旦那様は高雄くんっていってね、おもしろい人なの」
「子供は?」
「───いるよ」
「へぇ」
 櫻は和代の消えたドアを見た。もう少し観察しておけば良かったと少し思う。
「ん? どうして?」
「咲子さんとは全然雰囲気違うから」
「ぐはぁ。それを言われるとツラいよ、比べないで〜」
「あんまり母親っていう感じもしないし」
「そんなこと、ないよ?」
 咲子は複雑な表情で声を落とした。わざとらしいハイテンションはいつものことだが、それを落としたところを櫻の前で見せるのは珍しい。
 咲子は苦笑する。櫻の目を覗き込んできた。
「なんかね、たまに思うんだけど」
「うん?」
「櫻くんの目に、あたしはどう映ってるのかな、って」
 どきり。
 眼の異常は誰にも言ってない。気付かれてないはずだ。
「鋭いっていうか、見透かされてるような気がするの。もしかしたら、あたしに見えないものも見てるのかなって思っちゃう」
(なんだ)
 吹き出した汗が一瞬で退いていった。
 咲子に言われたことは昔からよく言われていたことだ。今に始まったことじゃない。
「心は見透かそうとするんじゃなくて、開いてもらわなきゃね。あ、でも櫻くんだけじゃないか。亨くんも同じような───」
 そこではっとして、咲子は言葉を閉じた。
 櫻は聞き逃さなかった。あの桜の日以来、咲子が亨の名を口にしたのを初めて耳にした。亨が死んで悲しみを表さず、わざとらしく明るく振る舞っていた咲子が今亨の名を口にして青ざめる。やはりわざと口にしないようにしていたのだろう。
 咲子は滞った雰囲気を振り切るように笑った。
「ところで、櫻くんのお話ってなぁに? 学校のこと?」
「咲子さん」
「ん?」
「亨って、本当に死んだの?」

 死んだのに今もどこかにいるなら、そこに誰かの思惑があるはずだった。
 この謎を作った犯人とまでは言わない。けれど亨がひとりで大がかりに存在を消せるはずはない。少なくとも誰かの協力があるはずだ。
 それは咲子以外考えられない。
 他には誰もいない。糸口は彼女しかいない。足がかりになるのも、彼女しか思い当たらない。亨の葬儀の前後、咲子が外出ばかりしていたのも怪しい。
 本当にさりげなく切り出したので、咲子は驚きを隠せなかったようだ。笑いを収め、櫻の目を覗く。真意を探りにくる。
 ──亨って、本当に死んだの?
 櫻がその問いの答えをすでに見つけていることは、咲子には伝わったはずだ。咲子の強ばった顔が小刻みに揺れる。櫻の暴言を悲しんでいるのか、それとも図星を突かれて動揺しているのかは分からない。
 咲子が黒か白かはまだ判断できない。簡単に尻尾を掴ませるようなこともないだろう。なにしろ、子供の前では笑い続け、自分の体調を隠してきた人だから。
「…さ」
「ごめん。なんでもないよ、言ってみただけ」
 緊張を解くふりをして、探りを入れる方法を考える。
「…櫻くん?」
「咲子さん。実は僕、あるものを無くしちゃって」
「え? …うん?」
 突然の話題変換に咲子はきょとんとした。
「ずっと、本当に長いあいだ、手元にあったんだ。それが無くなった。無くしたこと自体は構わないんだ、持ってても腹が立つだけだから、自分で壊そうとしたし」
「?」
「実際、今、それは僕の目の届く場所には無いんだけど」
「…」
「でも、実は、まだどこか、近くにある気がする」
「───」
「心当たりはない?」
 咲子は笑って返した。
「───ないよ」
 少しはボロが出すかと思ったがそう簡単にはいかないらしい。
「どこかにあるなら見つけて、壊したいって思ってるんだけど」
「どうして?」
「まだあると思うと気味悪いから」
「…取り戻したいって思ってるわけじゃないんだ?」
「違う。傍にあっても苛立つだけだし」
「それって無駄じゃない? 本当に近くにあるかも判らないんでしょう?」
「うん」
「傍にあったら苛立つから壊す、無くしたから構わない、でも近くにある気がする? …そんなの、無くしたんだから気にしなければいいじゃない。捜さなければいいじゃない」
「でも捜せばありそうだよ」
 喋りすぎだ。これは当たりかな、と思う。
「そうかぁ。───で? 櫻くんが無くしたものってなに? 教えて?」
「…」
 櫻の意図がちゃんと伝わっているならそんな風に訊いてこないはずだ。でもそれを見越してわざと訊いてるのかも。咲子の表情からは読めない。
 咲子はどこまで櫻を操っているか、そして櫻はどこまで咲子を操れているか。いつも笑っているだけの咲子をもしかしたら侮っていたのかもしれない。こんな駆け引きを展開する羽目になるとは思ってなかった。
「うん。咲子さんには秘密」
 今、交錯する視線に意味があると思っているのは自分だけ? 咲子はしらばっくれているのか? 亨を隠してるのか? それとも本当に知らないのか?
「あら。残念」
 咲子は眉を寄せて、ゆるく笑った。


9/16
/GM/41-50/47