キ/GM/41-50/47
≪13/16≫
■10
その日、桜が散っていた。
集まる人々が皆黒い服を着ているなか、花だけが鮮やかに映る。櫻の目でもそうなのだから、他の人はもっと顕著に見えているはずだ。
櫻はついさっきまで参列者たちの相手をしていたが、一段落したところで抜け出してきていた。人の中にいることに少々疲れたようだ。
桜の花が舞っている。
五分咲きの花に伸ばした咲子の手は、満開の桜に触れることができなかった。本人もそれが判っていて、それでもあんな風に笑っていた。覚悟という言葉の重さをしばらく考えた。
背後から名前を呼ばれた。
「櫻」
ずいぶんと馴れ馴れしい、人懐こい声。
(この声…)
振り返ると、花が降る景色の中に男が立っていた。
歳は櫻と同じくらい。長い髪を束ねている。聞き覚えがあると思ったのは間違いで、知らない男だった。
その男は櫻と目が合うと、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「…?」
ややあって、男の背後から意外な人物が現れた。
「お久しぶりです。櫻くん」
と、控えめに笑ったのは関谷和代。
過去に会ったのは咲子の病室で一度だけ。咲子の親友だという。
その彼女が表情を改めて頭を下げた。
「このたびはご愁傷さまです。…お悔やみ、申し上げます」
「お忙しいところありがとうございます」
本当なら故人の親友であったという和代に対してもう少し言葉続けなければいけないところだ。けれど櫻はさっきまで父親の会社の人ばかり相手にしていたので咄嗟に言葉が出てこない。それ以上に意外な人物の登場に驚いていた。
「私のこと、覚えていてくれてありがとう」
「こちらこそ。…あの」
櫻は和代の後ろにいる男が気になっていた。視線でそれを伝えると、
「あぁ、会うのは初めてだったわね」
和代は男を自分の隣りに立たせた。
「私の息子なの」
男は不敵とも思える表情で笑う。
「関谷篤志(せきやあつし)です」
関谷篤志の性格は鬱陶しいの一言に尽きる。
咲子の葬儀の日を境に、関谷は家に出入りするようになった。
しかも、はとこだと言う。父親同士が従兄弟に当たるらしい。咲子はそんなこと言ってなかったのに。
扱いにくい人間だとかそういう問題じゃない。とにかく馴れ馴れしいのだ。
家に訪れるたびに櫻の部屋のドアを叩いてうるさく話しかけてくる。嫌味を言っても気にしない。言葉を選んで揺さぶりをかけてもけろりとしている。
無神経なわけじゃない。それは見ていればわかる。馴れ馴れしいのはわざとなのだ。
「どういうつもりだ」
「挨拶くらいさせろよ」
「おまえ、もう来ンな。邪魔」
癇に触る人間だった。一度、はっきりと迷惑だと言ったところ、それでも大人しくならない。
このうるさいほどの馴れ馴れしさは誰かに似ていた。
「おまえに似た人間を知ってるよ。俺が殺したけど」
「あ、大丈夫。俺は殺されないから。鍛えてるし、櫻よりは強いと思うよ」
関谷が出入りするようになった頃、入れ替わるように一条が家を出ることになった。アダチに入社するのだという。
そうなると一番影響が出てくるのはやはり史緒だった。
2人のあいだに一揉め二揉めあった後、驚いたことに史緒も家を出て海外留学をしてしまった。それだけの行動力を培うのに関谷が関わっていたかは判らない。
たった一年で史緒は戻ってきた。もちろん多少の成長はあったのだろうが、櫻の眼にはそれが大きなものとは思えなかった。
* * *
ぴんぽーん
来客を告げるチャイムが鳴ったとき、櫻は自室で本を読んでいたところだった。
「……」
真木は買い物に出掛けている。七瀬は2階だ。
仕方なく部屋を出て、玄関を開けに行く。
「どちらさん?」
「関谷だよ」
「───」
櫻は大きく溜め息をもらした。
歓迎したい人物ではないが、閉め出すわけにもいかない。嫌々鍵を開けると、もう見慣れてしまった長髪の男が立っていた。
「おす。マキさん、いないのか?」
「ああ」
関谷の馴れ馴れしさは、どれだけ突き放しても止まない。櫻は煙たそうに手を払った。
「七瀬に用があるんだろ、さっさと行けよ」
「あ、櫻、今度宿題教えてくれ。櫻が行ってた高校(トコ)と同じ教科書なんだ」
「…おい」
「課題も多くてさ。手伝う気ない? 一食くらいなら奢るから」
「さっさと行けって!」
櫻が声を荒げても悪びれもしない。関谷は軽い捨て台詞を残して、ようやく2階へと上がっていった。
疲労だけが残る。櫻はもう一度溜め息を吐いた。
本当に関谷篤志の相手をするのは疲れる。以前、この家に住んでいた一条や、今もいる七瀬は必要以上に干渉してこない。だから同じ家にいることも許せる。それなのに。
気を取り直して櫻は自分用にコーヒーを淹れ、そのままリビングで読書を続行した。
ぴんぽーん
再び本に集中し始めたところで2度目の来客。
「……」
真木が早く戻ってくれることを祈りつつ、櫻はもう一度玄関へ足を向けた。
「どちらさん?」
来客相手にも声が険しくなってしまうのは致し方ない。
「あ、あの…」
妙に高い声が低い位置から返る。見ると、髪をふたつに結んだ子供が立っていた。確か今は12歳のはずだ。
「なんだ、蓮家の末っ子か。しばらくぶりだな」
香港在住、フットワークが軽いのは血筋。バッグひとつという軽装で現れても驚きはしない。
「爺さんは元気か?」
「ええ、おかげさまで」
まずは社交辞令。そしていつもの挨拶。
「“捜しもの”は見つかったか?」
「櫻さんは?」
「まだだよ」
「あたしも、同じです」
本当に、呆れるほど繰り返されたやりとり。2人とも子供だった頃の約束をよく覚えているものだ。
あれからもう、7年。
七瀬に会いに来たというので2階へ通す。櫻はふたたびリビングへ戻った。
そして本を手にとり、ソファに身を沈めたとき、2階から、末娘の大声が響いてきた。
「あたしっ、篤志さんに惚れましたっ!」
思わず馬鹿笑いしてしまった。
さすがの関谷も言葉をなくしたことだろう(おそらく七瀬も)。その顔を見られないのは残念だ。
蓮家の末娘の直情的なところは嫌いじゃない。これで頭が無いなら近寄る気にもならないが、あの末娘には人と状況を見る目があった。その目に射止められるとは関谷も只者ではないかも。
けれど面白がってばかりもいられなかった。
「あたし、捜しものするの、やめます」
末娘はどこか影をおびた目で言う。
「関谷に鞍替えしたからか?」
「そうです」
「どうやら、おまえのことを過大評価していたようだ」
蓮家の末娘は手を引いた。捜し物をすることから。
亨を諦めた。
失望を隠せない。櫻はそれを自覚する。その目に期待していた、それは否定しない。あわよくば自分より先に彼女の目が見つけるかもしれないと思っていた。
でもその目はもう、亨を諦めたと言う。
これで亨を捜しているのは自分ひとりになった。
* * *
≪13/16≫
キ/GM/41-50/47