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≪9/25≫
* * *
篤志は意外な人物の訪問を受けた。
チャイムが鳴ってドアを開けると、七瀬司が立っていた。杖を突いている。三佳はいない。一人だ。時間は22時を回った。こんな時間に彼が出歩くのは珍しいことだった。
それだけではない。近所に住んでいるとはいえ、篤志と司はお互いの部屋に出入りすることなど滅多にない。2人で話をするときも大抵は外で会う。自分のテリトリーを侵(おか)されたくないという気質は、ふたり、よく似ていた(司のほうは三佳という例外がいるが)。
「やぁ、久しぶり」
と、わざとらしいまでに含んだ司の調子に、篤志は少しの自嘲も込めて苦笑した。確かに会うのは久しぶりだ。篤志はずっとA.CO.に顔を出していなかったので。
「いきなり嫌みかよ」
「それも言いたいけど、訊きたいことがあるんだ。今、大丈夫?」
電話の一本もよこさず押しかけておいて、大丈夫もないもんだ。篤志に言い逃れをさせないために、わざとそうしたくせに。
「取り込んでる。手短に頼む」
「亨って誰?」
「本当に短いな!」
司は愛想笑いもしない。馴れ合いを拒む調子で言った。
「蘭のところに行こうと思ったけど、篤志のほうが適任かと思って」
「…櫻に訊いたのか」
「篤志も? 櫻に会ったの?」
これには驚いたようで声を高くした。
「入れよ」
篤志は司の手を引いて部屋に入れ、ロゥテーブルの位置を教えた。司はぎこちない所作でも何かにぶつかることはなく腰を下ろした。
「なんか飲むか?」
「いらない。それより、取り込んでるんでしょ? 手短に回答を頼むよ」
手厳しい司の声を受けて、篤志はふぅと息を吐く。司と真正面から向き合う気にはなれず、机の椅子に腰掛けて足を組んだ。
(さて)
司がどこまで見抜いているのかなんて知りようがない。櫻からなにを聞いたのか、過去に阿達家に居てなにを掴んでいたかは推測もできない。
今まで、こんな風に表立って、司から疑惑を向けられたことはなかった。なのにこうしてやってきたということは、司なりのカードを入手したからだろう。
潮時というやつかもしれない。
「蘭の写真、見たんだろう?」
「うん、三佳から聞いた」
前触れもなく写真の話題を出しても司は訝りもしない。話の方向はやはり解っているらしい、篤志はできるだけ感情を表さないように言った。
「写真に写っているのは、幼い頃の史緒と蘭と、年長の双子。その双子が櫻と───亨だ」
亨、と口にして少しの衝撃があった。その名を音にするのは何年ぶりだろう。その名を耳にすることも、長い間なかった。
一方、そんなことは判っている、と言わんばかりに司は次の質問を口にした。
「阿達家の子供は3人いたってことで間違いない?」
「あぁ」
「何年もあの家にいて、一度も聞いたことなかったよ?」
「櫻の双子の弟で史緒のもう一人の兄、…亨はもう死んでるんだ。司や一条さんがあの家に行くより少し前に」
「どうして…」
「事故、かな」
実際、表向きはそういうことになっているはずだ。
「本当に亡くなってるの?」
「───」
篤志は顔を上げて司を見る。確信があるわけではなさそう、その表情からも戸惑いが読みとれる。でも、司は確かにそう言った。
「…なにが言いたい」
「篤志は、どうして亨のことを知ってるの?」
矛先が少し変わった。質問に一貫性がないのは迷いがある証拠だ。
「俺が知ってると踏んだから、今、ここに来たんだろうが」
「そうだけど…いや、違うな。それを訊きたいわけじゃない。篤志は、亨に会ったことある?」
「それは…難しいな」
質問の捉え方が難しいのか、答え方が難しいのか、司は追求しなかった。
「───僕は自分で思っていたより、蘭の感性を信頼しているらしい」
「?」
「蘭の初恋が亨だって聞いて」
「…あぁ」
「多分、僕は、奇妙なことを考えてるんだと思う」
司は独白のように呟き、そこで喋るのをやめた。篤志も言葉が見つからず、沈黙が続いた。
先入観が無いというのは恐ろしい。想定するのも馬鹿らしいが、櫻と篤志をもし司が見たら、果たして気付いただろうか? いや、司は最初から、篤志を警戒していた。櫻に似ているという理由で。
「───ここまでだ」
「篤志」
「今日は見逃してくれ。近いうちに、ちゃんと話すから」
「史緒にも?」
「あぁ。それが一番、気が重い」
「……」
「史緒のこと頼む。一番恐れているのは、櫻が史緒のところに行くことだ」
* * *
櫻は駅からの夜道を歩く。滞在しているホテルは駅のすぐそばだった。
今日、篤志と別れた後、いくつかの場所へ顔を出してきた。首尾は上々だが、蓮蘭々(川口蘭)を捕まえられてないのは痛い。問いつめるには最適な人間なのに、どうやら逃げ回っているようだ。その他にもいくつか手間取ったことがあり、今日は思っていたより遅くなってしまった。ホテルへ戻る足取りは自然と早くなる。緩い坂道の人混みの中を、櫻は煙草を吸いながら縫っていった。
ホテルの格式は上の下といったところ。自動ドアを抜け、無駄に眩しい照明が照らすロビーを横切りフロントへ向かう。すでに櫻の顔を憶えているフロントマンは軽く頭を下げると『おかえりなさいませ』と英語で言った。軽く挨拶をして部屋のキーを受け取る。踵を返し、エレベーターホールへ向かおうとしたところで、櫻の進行を妨げる人影が現れた。
スーツ姿の女だ。ダークヘアをきっちりまとめ、ブランド物のショルダーバッグと銀色のアタッシュケースを持っている。険しい表情を隠そうとせず、眼鏡の奥から櫻を睨み付けた。
『今、帰り?』
『見りゃ判るだろ』
櫻は足を止めず、ほとんど無視して横を通り過ぎた。
『待ちなさいよ』
腕を掴まれ、櫻は面倒くさそうに振り返る。
『なにか用か』
『どこで何しようが勝手だけど、あの子の面倒を見る役目があることは忘れないでよね。さっき、仕事から帰ってきたらあんたがいなくて大騒ぎよ。きゃんきゃん煩くて、宥めるのが大変だったんだから』
女の恨み言ほど聞くに堪えないものはない。櫻はうんざりして腕を振り払った。
『わかったから、さっさと自分のホテルへ帰れ』
『本当に、頼むわよ? あの子のこと』
『言われなくても』
さらになにか言いかける女をいなして、櫻はエレベーターに乗った。
宿泊している部屋の前。チャイムを鳴らしてから鍵を開ける。ドアを開け部屋に入ったところで名前を呼ばれた。同時に、同居人が飛び出してきて、櫻の胸に抱きついた。顔を埋め、両腕を回し、強く、力を込める。
腕の中に収まる薄茶の髪を、櫻は愛おしそうに撫でた。
『ただいま』
胸の位置にある頭に声をかけると同居人はようやく顔をあげて、潤んだ青い眼を櫻に向けて、嬉しくてしかたないというように微笑った。
『おかえりなさい』
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