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≪22/25≫
* * *
櫻は宿泊しているホテルのレストランにいた。食欲は無かったのでここに足を運ぶ必要はなかったが、同居人にはちゃんと食べさせないともう一人の同行者がうるさい。ひとりで食事をさせるわけにもいかないので、結局、櫻も同じものを注文した。ほとんど手を付けてないが。
レストランは2階にある。特別、景色が良いわけじゃない。周りはビルに囲まれて、もう日は暮れているし視界も悪い。夜景といえば、無秩序なビルの灯りと、眼下に人の流れが見えるくらい。それなのに、向かいに座る同居人───ノエル・エヴァンズは、食事の手を休めて、興味深そうに窓の外を眺めていた。
『もう8時になるのに、人が多いね』
『そうだな』
『お店もにぎやか…何時まで営業してるのかな。もう、おうちに帰る時間じゃないの?』
『この時間に家にいる気が無い人間がここにいるんだろ』
『ふーん…』
分かったのか分かってないのか曖昧な相づちが返った。
『あたし、この国って、電柱がたくさんあって空に電線が走ってるイメージがあったんだけど、全然ないね』
PLCの漏洩電磁波の問題が盛り上がってるって聞いてたから、とノエルは付け加えた。
『電柱くらいどこの国だって、…ノエルの町だってあるだろ』
『でもロンドンにはないよ。あとパリにも』
『ここも同じ、都会から地中化が進んでるだけだ。ひとつ外れればいくらでもある』
『ふーん、この辺には無いんだ。ざんねん。───子供の頃ね、電線がどこに続くのかなって、辿っていって、よく迷子になったんだ。でね、日が暮れたあとに迎えに来てもらうの』
と、ノエルは楽しそうに話す。
『…それはおもしろいのか?』
『おもしろいよ! 行く先々でいろんな人に会えるんだよ?』
今ここにはいないがもう一人の同行者曰く、───あの子から目を離さないでよ? 誰にでもついて行っちゃうんだから。
警戒心の無さと人なつこさは、その子供時代が原因なのかもしれない。
『それにね、やっぱり気になるな、仕事柄かな。電線のφとか電圧とか碍子とか、設備を見てるだけで楽しいよ。…そうそう! ここって確か、地方によって商用電源の周波数が違うんだよね。それって、世界的に見てかなり珍しいんだよ。どっちでも動く電化製品を作らなきゃいけなかったおかげで、この国の電工技術が発展したんだって』
盛り上がって喋るノエルはまだ窓の外を眺めている。もしかしたらまだ電柱を捜しているのかもしれない。
その一生懸命な横顔を見て、櫻は小さく笑った。
『ねぇ。この街、好き?』
と、ノエルが訊いてきた。
『考えたこともない。どうでもいい』
『でも、…ここが生まれた街なんでしょ?』
『さぁ』
いつも通りの言葉で濁すと、その答えが気に入らなかったのか、ノエルは表情を曇らせた。
『自分の生まれた土地を嫌いなんて言う人は、あたしは、…嫌いだよ』
『ノエルの理想は関係ないよ。俺にとっては、どうでもいいことだ』
そうとしか答えようがない。ノエルのために嘘を吐いてやるには内容がくだらなすぎる。
少しの沈黙のあと、ノエルはまったく別の質問をした。
『…さっき、誰に電話してたの?』
『知り合い』
『こっちに来てからの?』
『そうだよ』
『…ねぇ、約束したよね? 次の仕事先にも、一緒に行ってくれるって』
「───…」
櫻は改めてノエルのほうを見る。不安そうな表情でこちらを見ていた。
『…ノエル、それ、いい加減しつこい』
『っ』
『俺は何度も答えてる。なにが不満なんだ』
『あたしだってわかんないよ! …だって!』
ノエルは意を決したように声を出す。
『ここに、家族がいるんじゃないの?』
『───。…さぁ』
『せっかくここに来たんだから、会えるなら会って欲しいの。家族じゃなくても、会いたい人がいるなら、やっぱり…会えたほうがいいと思う』
胸が詰まったのか泣き出す一歩手前で、そしてなにやらいつもの癇癪のようにもなってきていた。
『だから?』
『そうなったら、ずっとここにいたいって思うかもしれないじゃん』
『…俺が?』
『そうだよっ。でもあたしは、これからもずっと一緒にいたいって思ってるんだよ! だから不安なんじゃんっ』
言うことは言った、と、ノエルは上目遣いで唸るように視線を向けてくる。
櫻は額を抑えた。思考回路が違いすぎるというのは、時折本当に疲れる。その一方で、ノエルが不機嫌になっていたのはそんな理由かと安堵した。
『まず』
『…なに?』
『約束した通り、俺はこの先もノエルについていくよ。ノエルから拒否されない限りそうするつもりだ』
『……うん』
『それから、家族云々はさておき、ある意味会いたいと思っていた人間は確かにいた。でもそれを見つけたからといって、ここから離れたくないとは絶対に思わない』
気持ち悪い、と櫻は呟いたのだが言語が違ったためにノエルには通じない。
『…ほんとに?』
『また、しつこいと言わせたいのか』
まだ不安そうなノエルに返すと、ノエルは大きく首を振った。
懐かしい人に会ってしまったら離れられなくなる、とノエルは言いたいらしい。
そんなわけあるか、と思う。家族も、ずっと捜していた人間もそう。一緒に居たいなどと思わない。
きっと、ノエルと櫻では、家族というものの定義が違うのだ。
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