キ/GM/41-50/49[1]
≪2/22≫
* * *
事前に聞いていたにもかかわらず、その人物を見て、政徳は大きな驚きを隠せなかった。
「やぁ、お久しぶりです。お父さん。忙しいのに時間をくれてありがとう」
己の秘書である一条和成のあとから入室してきた男は流れるような口調で言った。
約3年ぶりに顔を合わせる。
嵐の日、崖から海に落ち、長期にわたる捜索活動でも発見に至らず行方不明、失踪となっていた。阿達櫻。政徳の実の子供だ。
背が伸びた、と思う。そして、それと判るほど痩せた。けれど背筋を伸ばし立つ姿に危うさや癖は無い。こうして見る限り、体を悪くしているようには見えなかった。そのことに安堵の息を吐くことができた。
「生きてたのか…」
と、思わず呟いてから政徳は後悔する。息子に、そんな言葉を使いたくはない。櫻はとくに気に障った様子は見せず、政徳の言葉に頷く。
「そういうことです。心配お掛けました、申し訳ありません」
その口調は内容の割に軽く淡々としている。長い前髪に隠れがちな目は隙の無い静かさで、口元はゆるく笑んでいる。こちらは最後に見たときと同じだ。目上の者に対して必要最低限の愛想を振りまきながらも排他的、すべてを見透かそうとするような眼。
失踪する前、後継者としてこの場に出入りさせていたときから。もっと昔、夜桜の中、政徳の呼びかけに振り返ったときから変わらない、同じ眼をしていた。
「…ともかく、無事で良かった」
「おかげさまで」
「今までどこにいた? 何故すぐに出て来なかった」
「あの後、知り合った人に同行していました。連絡しなかった理由を説明するつもりはありません、表向きな理由が必要なら、記憶喪失だったとでも言ってください」
「……?」
後継者として育てていた頃、櫻が不満を表すことはなかった。与えた仕事はこなしていたし、いずれその地位につくという自覚は持っていたように思う。実際、あったのだろう。
けれど今の櫻の科白からは、当時には無かった意思が読み取れた。
「こちらの生活に戻るつもりは無さそうだな」
「はい」
と、殊勝な顔を見せた。
「跡取りとして育ててもらっていたのに申し訳ないとは思ってます」
「気にするな」
「血縁の跡取りが必要なら、史緒に適当な男をつけてください」
「今、その立場に関谷篤志がいるんだ」
一転、櫻は飛び上がり大声を出した。
「───はっ!?」
その感情的な反応に政徳のほうも驚く。
「縁戚にあたる関谷篤志だ。昔、家に出入りしていただろう?」
「関谷? なんであいつが…っ」
「史緒と婚約はさせている。この先、どうなるかはわからないが」
「いや…どうしてそこで関谷が…、…え?」
櫻は少し迷った末に、背後に立つ和成を振り返った。和成は顔を強張らせながらも首を横に振る。
「…あぁ、───そう」
視線を戻した櫻は複雑な表情をしていた。
「まさかあいつ…。いや、収まるところに収まったというべきか…」
と、なにやら小声で呟く。けれどすぐに姿勢を但し、櫻は息を吐いた。
「…選ばれたのか、選ばせたのか」
慎重な声で呟き、そして可笑しそうに笑う。
「あいつも意外と腹が黒いな」
櫻の呟きの意味も、和成との無言のやり取りの意味も、政徳には解らなかった。
「お父さん」
「なんだ」
「今日は挨拶だけで失礼します。でも、大事な話がある。近いうちに時間をください。史緒も、それから関谷もふまえて」
明日の午前中、スケジュールの調整が取れた。それを確認するとすぐに帰ろうとする櫻を引き止める。今どこで暮らしているのか、誰といるのかを問うと、それも明日説明すると答えた。
そしてもうひとつ。
「櫻」
「はい?」
背を向けた櫻の足を止めさせる。
もうひとつ、訊きたいことがあった。
「咲子から、なにか預かってないか」
櫻より先に扉の横で控えていた和成が反応した。過去、同じ質問を和成にしたことがある。そしてつい最近、史緒にも訊いた。櫻に訊いたのはこれが初めてだった。
「いいえ?」
母親の名を耳にして意外そうな反応を示した。けれどその返事は和成や史緒と同じもの。政徳は落胆が表情に出ないよう意識した。
「そうか、なんでもない、じゃあ、明日」
「はい」
櫻は踵を返す。
が。またすぐにこちらを振り返った。
「あぁ───」
その表情は笑みが浮かぶ一歩手前、少しの驚きが含まれている。
「それが何だかは知りませんが、そう、おそらく、明日、手に入りますよ」
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