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 政徳は目の前で展開される、櫻と史緒の対峙というシチュエーションに驚き、さらにそこで交わされる話の内容にも驚かされている。
 「母親を呼びつけにするのはやめろ」と櫻に言いたかったけれど、そんな口を挟む余裕がないほど、動揺していた。
 一体、なんの話だ、と思う。
 亨だって? 
 政徳に3人の子供がいた。目の前の2人と、さらにもう一人。
 もう何年もその名を耳にせず、口にすることもなかったが。
 けれど今日、今になって、その名前を持つものが生きていると櫻は言う。
 咲子が、亨を死んだように見せかけたと。
 咲子はそんな画策をみじんも感じさせていなかった。亨の名がでると哀しみを見せ、口を閉ざしていた。あれは亨を悼んでいたのではないのか?
 いや違う。政徳はなにかを感じ取っていた。核心には程遠い、予感だったけれど
 何か企んでるだろ、と咲子に訊いたのは他でもない政徳だった。
 白い、病室の中で。
 ──どうしてわかったの? 政徳クン
 ──あたしね、陰謀してるの。それを抱えたまま死ぬわ
 ──あたしは見届けることができないけど、あたしの分身がちゃんと、それを収めてくれる
 あの陰謀というのはこのことだったのか?
 分身とは誰か。咲子の親友の和代か、と訊いたら咲子は否定した。
 じゃあ、誰が?
 誰が咲子の意志を継いでいるというのか。
 和代はなにか知っているのか? 関谷高雄は?
 咲子のいたずらを収めるという「分身」とは。
 まさかそれが、亨?





 櫻には、亨に手をかける動機があった。
 櫻は実行した。
 でも亨は生きてた?
 咲子は櫻の動機を知っていた。だから、亨を本当に殺した。───いや、死んだことにさせた。
「どうして…」
「それくらいは解れよ。俺に再び同じことをさせないためだろ」
 櫻に、亨に対して危害を加えさせないため? 亨を守るため。…そして櫻を守るため?
「もちろん、咲子が単独で人間一人の存在を隠すことは難しい。だから協力者はいたはずだ。まず、亨の法的な死亡に医者。咲子なら病院関係者に知人は多くいる。頼み込めば無理を聞いてくれる医者がいたかもしれない。そして、一条」
(───え?)
 完全に虚をつかれて史緒は反応が遅れた。
「おまえもグルだったんだろう?」
(一条さん? なんで?)
 和成のほうに目をやる。すると和成は顔をゆがめて、視線をそらした。
「和成、本当なのか?」
 という政徳からの声にも和成は答えられない。強く歯を噛んでいる。
(なに…?)
 和成が阿達家に来たのは、亨が死んだすぐ後だ。それはそうだろう、閉じこもるようになった史緒の家庭教師という名目だったのだから。
「一条がうちに来たのは咲子の紹介だった。史緒の面倒を見るだけじゃない、俺から守れとでも言われてたんじゃないのか。あまり役には立たなかったみたいだけどな」
「…っ」
 古傷を抉られたように和成は顔を歪め、櫻を睨み付けた。なにか言葉にしかけたが、それは飲み込み、苦しそうに呟く。
「…咲子さんからはなにも聞いていませんでした」
「どうかな。少なくとも、おまえは亨が誰なのか、とっくに判っているだろう?」
(“誰なのか、判っている”……?)
(なに、それ)
(亨くんが生きてる? それが本当だとしたら)
(彼は今、どこにいるの?)
「協力者とは違うけど、亨がまだいると気付いたのはなにも俺だけじゃない。蓮家の末娘もそうだ」
「蘭っ?」
「あいつは俺と同じように、亨が死んでないことに勘付いていた。そして数年の後、亨と再会したとき、一目で判ったんだ。それを誰にも言わなかったから、今、こういうことになってるんだけどな」
「……蘭?」
 ──櫻さんが何年も、子供の頃からずっとずっと、捜し続けていたもの、あたし知ってます。
 ──どれだけ長い年月をかけてそれを捜し続けていたかは、本当に、よく知ってるんです。
 櫻が捜し続けていたもの。
 亨?
 ──それなのにあたしが、その気持ちを裏切るような嘘を吐いたから
 蘭だけじゃない。司もなにか知っているようだった。
 ──その嘘って、蘭が先に見つけたことだね
 蘭が、先に亨を見つけて。
 でも、黙ってた?
 どくん、と胸が鳴る。
(亨くんが生きてる? 蘭は会ってる? どうして黙ってた? ほんとに会ったの?)
(私はなにも、今日までそんなこと微塵も考えないで生きてた。あの桜の日に、死んだとばかり思ってた…っ)
(───)
 体の中を渦巻く驚きの波の隙間に、なにかが見えた気がする。
 けれど、まだ、はっきりと見えない。
 胸が大きく鳴った。驚きだけじゃない。なにか、予感めいたものが。
(なに…?)
(いま、なにか……)
 なんのトリガも無く、ゆっくりと顔を上げると、櫻と目が合った。
 笑ってはいない。ただ、憐れむような。
「ここまで言っても解らないか?」
「……え?」
「蓮家の末娘は、亨と再会した。別の名前を名乗っていたけど、ヤツだと気付いた。だから子供の頃と同じように、恋愛ごっこをしてるんだろ?」
 ぞくり。
 背筋が寒くなる。まさか、とはまだ思えない。まだ遠い。本当におぼろげな、影しか見えなくて。
(なに……?)
 足がよろけて、足がソファの背に当たる。手を掛け、体重を預けた。震える腕の、爪がソファに食い込んでいる。
(……どういうこと?)
 さっき、和成に会ったとき、
 ──最近、……くんに会いました?
 さっき、政徳が櫻に、
 ──……も呼んだんじゃないのか?
 どうしてその名前が出てくるの!?
 顔の筋肉がひきつって表情を保つことができない。
 バンッ
「…ッ」
 室内に大きな音が響いた。史緒はその音を背中に聞いた。
 ノックもなく扉を開け、誰かが飛び込んできた。
「失礼します!」
「───」
 史緒は目を見開く。振り返れなかった。
 聞き慣れた、よく知っている声だ。
 その声は懐かしいわけじゃない。だっていつもそばにいたし、普通に顔を合わせ、言葉を交わしていた。
 懐かしくない。何年も一緒に在(あ)った声だ。
「よぉ、ずいぶん早かったな」
 と、史緒の正面にいる櫻が、史緒の背後に向かって声をかける。
「櫻っ、おまえっ」
 息を切った声。
 史緒は振り返れなかった。うつむいたまま、顔を上げられなかった。
 眉間が激しく震えるのを、止めることができなかった。


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