キ/GM/41-50/49[1]
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(ど…どうしよぉ……)
彼女は駅構内で路線図を見上げて途方に暮れていた。
知らない街。知らない駅。知ってる人なんか当然いない。広い駅の中、人々は目的を持った早足で通り過ぎていく、立ち止まっていると置いてけぼりにされそうな、おおきな人の流れ。
だけど動き出すことができない、彼女には明確な行き場所が無かった。
(えぇと、一旦、ホテルに戻ったほうがいいかな…。え、うそ、携帯電話(モバイル)、忘れてきてる! 公衆電話!? …は、たぶん、掛けられる、よね。でも今ホテルに帰ったら捕まっちゃうし…)
本当なら今日は仕事の日。スーツに着替えてホテルで迎えを待ってなきゃいけなかった。その予定を無視して飛び出してきたものの、ここで立ち往生。行き場所も判らなければ、ホテルへの戻り方も記憶が怪しい。親切に駅までの道順を教えてくれたホテルのフロントマンはここにはいないのだ。
こうやってただ立っていても誰かが助けてくれるはずもないのに。でも、下手に動いたらもっと迷ってしまうかもしれない。
(うぅ〜……どうしよぉ)
見知らぬ街で一人でいることなんてなかった。
いつも彼がいたから。
(どこ行っちゃったの…? どこにいるの?)
心細さに涙が滲んでくる。
『…ハルうぅ〜…』
*
そのとき、祥子は仕事で外出先での打ち合わせの帰りで、健太郎は某企業の統合環境ソフトの講習会(セミナー)の帰り道だった。2人とも普段は通過するだけの駅で、2人はばったりと顔を合わせた。
この後の行き先は同じ、自然と隣りを歩くことになる。
「仕事帰り? 珍しいじゃん、最近は史緒のサポートばっかやってたのに」
「もともと私の仕事はこっちよ。史緒の手伝いは篤志がいないからやってるだけ」
史緒の隣りにいるのが普通だと思われては困る。
「そうだ、篤志。あいつ、なにしてんの? オレ、しばらく顔見てないよ」
それは祥子のほうが聞きたい。
健太郎の言うとおり、篤志は数週間、事務所に顔を出していない。史緒は機嫌を悪くしている。(「つまらない喧嘩のほうがよかった」と言った)篤志はなにを考えているのだろう。史緒はちゃんと把握しているだろうか。実際、あの2人の不仲がさらに続くようなら、そろそろ業務に影響が出始めるだろうに。
(───ぁ)
顔を上げ、祥子は足を止めた。
「健太郎、ちょっと待って」
「あ?」
こんな人の多い場所では必ずいる。いやでも見つけてしまう。
平常時より突出した喜怒哀楽を持つ人。でも喜怒哀楽では祥子に出番はない。その人にどんなことがあったのか想像するのが関の山。問題は、この場にあって、強い不安を持つ人。今、問題が起きていて、他人がなにかできる余地がある人だ。
祥子はぐるりと見回して、すぐにそれを見つけた。券売機から少し離れ、路線表を見上げ、ひとり、途方に暮れている、女の子。
「…あ」
自然と向かおうとして祥子の足が止まる。
その女の子は薄茶のやわらかそうな髪が腰まで流れていて、グレーのワンピースから覗く肌は白く、顔の造詣が日本人のそれとは違う。
(外国人かぁ)
それなら困っていそうなのは言語だろうか。日本語以外できない祥子では役に立てない。
「どした?」
「うん、あれ…」
指をさしその存在を教えると、健太郎はすぐに理解した。
「あぁ。…祥子のお節介は長所だと思うけど、こういうときは本人ももどかしいな」
お節介? 健太郎には言われたくない。
「って、あれ…」
「え?」
健太郎は乗り出すようにその姿を凝視する。
「うわ、まじで? あれ! ノエル・エヴァンズだよ」
と、らしくなく慌てた声を出した。
「知ってる人? …って、あっ! エヴァンズって昨日言ってた」
確か、史緒の兄だという櫻が行方不明だった3年間、同行していたという人物の名前だ。
「えっ? あれがっ?」
「そう、昨日さらに調べてたんだけどさ、なかなかすごい経歴だった。地味にすごい」
「地味に…って」
「派手じゃないってこと」
「単語の意味は訊いてない…」
「だから! 分野そのものが地味なの。地味だけど応用は利く。それこそ軍事医療宇宙まで。それらの業界の現場の立ち会いに呼ばれるような研究者なんだぜ? あの若さで!」
「へ〜」
「と言っても、よく解ってねぇんだけど」
「あっそ」
祥子は改めてその姿を見た。
端から見れば外国人の可愛い女の子。見知らぬ土地で不安なせいもあるんだろうけど、おどおどと落ち着かない仕草。視線が泳いで止まらない、挙動不審、今にも泣き出しそう。
(世界を飛び回る研究者?)
「───…アレが?」
思いっきり不審げな声が出てしまった。
祥子の隣りで同じくノエルのほうを見ていた健太郎も珍しく弱気な声で。
「わりぃ…、ちょっと自信なくなってきたわ」
勘違いで人違いの可能性はもちろんある。
「写真で見るよりさらに若く見えるな。仕草のせいかな〜」
「…………どうする?」
「声かけてみっか? 祥子のおせっかいも片づくだろうし」
「って、ちょっと、健太郎!」
祥子が答えるより先に健太郎はノエルのほうに向かっている。
「別に急いでないだろ? 電車の乗り方わからないんだったら教えてやりゃいいし」ずいぶん楽しそうだ。「もしかしたら櫻氏のこともなんか聞けるかもな」
それは確かに本心かもしれないけど、それ以上に単にノエル・エヴァンズに興味があるだけではないだろうか。
「人違いだったらどうするの?」
「やることは同じだろ。困ってる人におせっかいするだけだよ」
「言葉、通じるわけ?」
「向こうが日本語できるかは知らないけど、俺は英語できないよ?」
「日本語できなかったら?」
「ま、なんとかなるだろ」
「なんとかって…」
その前向きすぎる行動に引きずられて、祥子は健太郎の後をついていった。
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