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■02

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「失礼しますっ」
 篤志はドアノブを力任せに押して叫んだ。
 本来なら、こんな乱暴に入れる部屋ではない。今日は仕事ではないのだから本来なら正式な手続きを踏んで、秘書課の誰かに中継ぎしてもらうべきなのだが、篤志にそんな余裕は無かった。直接このフロアに入れたのは、社員証を持っていたからだ。
「よぉ、ずいぶん早かったな」
 眩しいわけではないのに、室内の光景に一瞬目が眩む。
 ブラインドが閉じた窓際、書棚の影に櫻。そして櫻の正面に立つ史緒がこちらに背を向けている。奥の机に座る政徳。そして篤志から一番近い、扉のすぐそばに和成がいた。
「……っ」
 篤志の右手には携帯電話が握られている。数十分前、こちらに向かう電車に乗っているとき和成からメールが来た。そのメールで篤志は櫻に嵌められたことに気付く。駅から暑い中を走ってきた。汗を掻いて、息がまだ整わなかった。
「櫻っ、おまえっ」
 昨夜、櫻から指定された時間にはまだ余裕がある。わざと時間指定をずらされたらしい。おそらく、自分だけ。
 室内に足を踏み出すと、その足音に反応して史緒の背中が揺れた。それは微かな反応だったけれど、篤志は大きく動揺する。
(くそ…っ)
「櫻」
「うるせぇ、気安く呼ぶな」
 櫻の正面に立つ史緒のすぐそばまで寄っても、史緒はこちらを見ようとしない。うつむいてその顔は見えない。ゆっくりと肩で息をしていた。
「史緒…」
 声をかけるも応えようとしない。篤志が手を伸ばすとそれを拒否するように史緒は背中を見せた。
「!」
 歩き、膝の力が抜けたようにソファに腰掛ける。やはり篤志のほうに目を向けることはなく、膝の上の両手に視線を落としていた。
「…っ」
 篤志は歯を噛み締める。和成を見る。けれど彼の表情はなにも教えてくれなかった。彼にフォローを期待しすぎるのは過ぎた要求なのだろう。次に政徳を見た。目が合う。普段から感情を見せる人ではないし、また、容易に読ませる人ではないがその表情には戸惑いが感じられた。そしてもう一度、史緒、相変わらずうつむいている。
 櫻。目が合うと薄く笑った。篤志は睨み返して、
「…勝手なことするなよ」
 史緒と政徳が櫻から何を聞いたのかは確認するまでもない。事が起こってからでは考えても意味がないが避けたい展開だった。
「非難されるいわれはないな。おまえだって、俺が言うのを期待していたんだろう?」
「馬鹿言うなっ」
「違うのか? 10年以上、口を割らなかったおまえが、今更、どのツラ下げてなにを語るっていうんだ」
「10年以上気付かずにいた櫻に代弁してもらうことじゃない」
「言葉に気を付けろ。見抜けなかったことを責めるのか? ここで?」
「話を逸らすな、責めてるわけじゃないっ」
「じゃあ、訊くけど。今回、ここで俺が言わなかったら、いつまで黙っているつもりだったんだ?」
「…っ、それは」
 カツン、と硬い音がして言い合いが止まった。
「!」
 政徳が万年筆で机を叩く音だった。
 口を閉じた篤志と櫻がそろって顔を向けると、政徳は眩しそうに目元を歪めた。そのまま何かを口にすることは無かったけれど、その意志は明白。気まずい沈黙があった。
 櫻はつまらなそうに顎をしゃくって、篤志に発言を促した。他に喋る者はいない。篤志が喋るのをそれぞれが待っている。

(……)
 ここには櫻がいて、史緒がいて、政徳がいる。
 感動するくらいそれは望んだ場所だったけど、今、味方はいない。長い間、隠してきたことが中途半端に明かされて、不審を抱かれている。
 こうなることは覚悟していたはずなのに、この場に来ても口が動かない。これから話すことを受け入れてもらえるのか、非難されはしないか。それを恐れているのだと、頭で理解することができた。
(俺は櫻が言ってくれることを望んでいたのか?)
 櫻の言うとおり、10年以上、口を閉ざしていた。
 咲子はいたずらを明かす時期を定めなかった。咲子が望んだのは、
 ──櫻がちゃんと自分のために生きているか
 ──史緒が幸せになってくれているか
 ──そしてもちろんあなたも…
 いつでも良かったはずだ。咲子の葬儀の日、櫻と再会したときだって構わなかった。あのときはもう、篤志と、そして櫻は、殺したり殺されたりするような、弱い子供じゃなかった。
(どうして言わなかった?)
 いつ言っても良かった。不都合なんてひとつも無かった。
 あの時でなくてもいくらでも時間はあった。それこそ、何年も。
(どうして?)
 思いの外、関谷篤志というポジションは居心地が良かった。
 なんの因縁もなく櫻に接して、史緒の手を取って。
 2人から見たら、家族ほど近くではなく、他人ほど遠くはない。とても居心地の良い距離で。
 時間が経つとそこに「関谷篤志」という居場所ができて、彼らのなかに「関谷篤志」という存在が形成されていく。言葉を交わし、時間を共有して、少しずつ関係が作られていく。お互いの過去を知らず(隠し、知らないふりをして)、新しい関係を築いていくのは楽しかった。
 気が付くと長い時間が過ぎていた。
 そして、櫻がいなくなったとき、初めて後悔する。真実を隠していた罪悪感と漠然とした焦燥が生まれた。次に会えたら、言おうと決めた。
 それが、今、この瞬間だというのに。
「関谷って、何歳?」
 痺れを切らしたのか、室内の沈黙を破って櫻が言った。
「…? 22だけど」
「俺は24」
「!」
 篤志はそこでようやく櫻の言いたいことに気付く。政徳も意外そうに顔を上げ、こちらを見た。
「18で高校を卒業したよな」
「…ああ」
「“関谷篤志”は中学生の頃、一年以上入院している記録がある。普通は留年するだろ。年齢を偽っているのか、生まれ年を偽っているのか。どっちなんだ?」
 答えは解っている、櫻の眼はそう言っている。
「それに、関谷家には子供がいないはずだ」
「…おいッ」
 今のは聞き逃せない。篤志は櫻の腕を掴んだ。
「まさかウチに来てそれ言ったんじゃないだろうなっ」
「離せっ。説明するのはおまえだ、話が進まないだろ」
 不愉快を露わにして腕を引く。政徳も櫻の言葉に同意するように息を吐き、篤志に発言を促した。
「…どういうことだ?」
「俺、は……」
 史緒に目を向ける。変わらずうつむいたままで、こちらを見ようとはしない。櫻は熱のない目を向けて篤志が喋るのを待っている。そして政徳も。
「…関谷夫妻に子供はいません。俺は、養子です」
 目をきつく閉じる。深呼吸はうまくいかなかった。
 一度だけ、息を飲んで。
「櫻が言ったとおり、俺は中学生の頃、怪我をして入院していました。───そしてその少し前、同じ病院に、阿達亨が運ばれています」


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