キ/GM/41-50/49[1]
≪14/22≫
店を出るとむっとした空気に息が詰まる。蘭はわぁと短い悲鳴をあげた。
(今日も熱いなぁ…)
数日前、櫻と再会したのはこんな熱気の中だった。
線路越し、陽炎の向こう側。死んだと思われていた櫻を見つけて、蘭は叫んでいた。
───櫻はずっと亨を捜していた。
蘭が離脱したあとも、何年も。
確信だけはあったのに、櫻の眼は最後まで見破れなかった。
期待外れだったし、一緒に喜べないことが残念でもあった。でも逆に、安心と、もしかしたらどこかで優越感を持っていたかもしれない。ちゃんとたどり着けたのは自分だけだと、誇らしかったのかもしれない。
(あたしはずるい)
胸が痛くなる。
(ごめんなさい、櫻さん)
櫻はいつも、なにを感じていたんだろう。
いつだって櫻は楽しそうじゃなかった。その中で、どこか辛そうに、亨の存在を追いかけていた。
(もしあたしがすべて話していたら、なにか変わっていた?)
誰彼構わず傷つける櫻は、幸せになろうとしない人だ。
ずっとそうやって生きていくのは、悲しい。
だけどそんな櫻が、この、ノエルと出会った。
『ね、ノエルさん。ハルさんってどんな人?』
『ハル? やさしいよね』
『そう…ですか?』
『あはは。誤解されやすいんだよね。きっついしさ』
『きびしい人ですよね』
『そうそう! ハルは自分や周囲にきびしい。ん〜、…でもやっぱりそれは、やさしいっていうことだと思う』
ノエルはまっすぐ前を見ながら、くすぐったそうに笑う。
『ハルはね、見捨てられないの。勝手に期待しすぎて、思い通りにならないと怒って、八つ当たりして。期待を裏切られても、でも、捨てられないの。…なんていうのかなー、ハルって無駄に眼がいいから、本音と建前の違いにすっごく神経質なの。───知ってる? ハルが一番嫌いなのは、善意の嘘』
『善意の、嘘?』
『ちょっと違うかな? 本心を隠して笑顔を向けられることが嫌い、なのかな。ハル自身を傷つけることでも、本音で接して欲しいと思ってる。その本心が、強く優しく正しくあって欲しいと思ってる。───だけど、そんなの贅沢だよね。ハルは理想が高すぎるんだ』
『…』
『だからあたしはできるだけ口にするようにしてるんだ。嬉しいことは嬉しい。楽しいことは楽しい。不満も悲しいことも怒りたいことも。…それでハルを困らせることも多いけど、笑ってくれるからいいかなって。でも難しいよね。だって好きな人にはやっぱり心配かけたくないし。悩みとか不調とか、言いたくないんだけど、でも結局見抜かれちゃうのがハルのヤなところ』
ノエルは無邪気に笑う。
『なんか、嬉しい! ハルのこと、こんな風に喋れる人、今までいなかったもん。マーサは、ハルのことなんか聞きたくない〜って言うし。ホーキンズは無口な上にハルと結託してるようなとこあるから、下手に話題をふれないの』
蘭は相槌すら忘れて聞き入っていた。
(櫻さん)
胸があたたかくなって、呼吸がむずかしくなる。
(よかった)
気に掛けていたことは、願った以上に良いほうへ進んでいた。
一体、今まで誰が、櫻のことをそんな風に評しただろう。蘭が知る限り、櫻は幼い頃から周囲に敵ばかり作っていたし、その結果が招いた己への評価を正そうとしなかった。櫻は周囲なんか見ていなかった。もっとずっと、遠くを見ていた。だけど今はすぐそばにノエルがいる。
『ハルは、なにを捜してるのかなぁ』
『えっ?』
ギクッとした。
そのキーワードはとても重要なものだったので。
『この3年間、あたしと一緒にいてくれたけど、でもずっとなにかを捜してた。たぶん、なにかを待ってた。ときどきね、遠い目をするの。空を見上げたり、人混みを見つめたり。そういうときのハルはなんだか辛そうで、あたしはそれがすごくヤだったんだけど、でも、ハルにとってはとても大切なことみたいだったから』
『…捜して、ました?』
『うん』
蘭が亨を捜していたのは、また会いたいからだ。笑い合って、できるだけ同じ時間を共有したかったから。
では、櫻は? 己の直感の正しさを証明したいから? それだけで何年も追い続けていられるだろうか。それとももっと他の、櫻にとって重要な動機があるのだろうか。
蘭が嘘を吐いた日から長い時間が過ぎた。その間も櫻は一人でずっと捜し続けていた。
ノエルと出会った後でさえ。
『だからね、それ以外の時間は、あたしが幸せにしてあげるんだ』
「……っ」
鼻先が熱くなった。泣きそうになるのを抑えるために首を振る。
長い間、櫻を彷徨わせてしまった罪悪感と、それ以上に、櫻と出会ってくれたノエルへの感謝で。
(よかった…)
すぅっと鼻から息を吸って、
『大丈夫ですっ!』
ノエルの両手を取って握りしめた。
『ラン?』
『櫻…ハルさんは、今回日本に来たことで、それを見つけましたから!』
ぽかんとしていたノエルは蘭の力強い言葉に目を輝かせる。
『…ほんとにぃ!?』
『ええ!』
『ハル…、よかった…っ』
『さぁ! 早くハルさんに会いに行きましょう』
『うん!』
ノエルと蘭はどちらも少し涙混じりの目で笑い合った。
「おーい、2人とも、おせーぞー。ノエルは切符の買い方わかるかー?」
『え、切符? あの、カードでいい?』
「切符買うのにカード!?」
『えぇっ、ダメなの?』
「いや、買えないことはないだろうけど、…160円だぞ」
「窓口なら、買えるんじゃない? でも、小銭持ってないと不便だよ? いつもはどうしてるの?」
『あのね…っ、いつもはハルかマーサが一緒にて、買ってくれるの。…日本はチップ払っちゃいけないって言うし、なんか、あたしがお金持つとあぶないって』
「あー、いーいー。俺が出すから」
『ごめんなさい、あとできちんと返すから』
「いいって。櫻氏に請求しておく」
『ありがと。……みんな、親切で良かった』
『ノエルさん?』
『前にもね、ハルの知り合いの人に会ったんだけど、すごくヤな人だったから』
『櫻さ…じゃなくて、ハルさんのお知り合い? 日本の方ですか?』
『んー、どこの人かはわかんない。でも東洋系、ジンっていう男の人』
『え』
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