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 双子は別の部屋を与えられていたけど、よく同じベッドで眠る。
 夜更かしをして、たくさんのことを話す。
 家族のこと。学校のこと。友達のこと。
 そして未来のことを。



 社長室室内は冷房がしっかり効いている。ブラインドも閉じている。それでも、窓際にいると外の熱気が伝わってきた。不快になるほどではないが、外の異常と思えるほどの気温の高さが判る。いや、自然に逆らっているという意味で、室内のほうが異常なのだけど。
 今日は快晴。窓際にいる櫻は気まぐれでもブラインドの隙間から外を見ようとは思わない。空なんか見たくもない。こんな日はとくに。
 櫻が見る世界の色は咲子の血の色だ。
 空は、それが、より一層際立つから。
 同じものを見ない亨を憎らしく思ったのは遥か昔のこと。衝動的とはいえ、その存在がなくなればいいと思い、それを実行したのは本当。その余韻が冷めやらぬうちにまだ生きてると気付いた直後も同じことを考えていたけど、時間が経ってみればただ見つけたいだけ。
 咲子が残したものを確認したかっただけだ。

「───証拠はあるのか」
 史緒を追い掛けようとした篤志を呼び止め、政徳が訊いた。
 未だ信じてないわけじゃない。他に切り出しようがないのだ。もしかしたら、そういう証拠(もの)で納得し、混乱を収めたいのかもしれない。
「書類ならいくらでも。それから、こういう物もあります」
 ことり。
 篤志はポケットから小箱を取り出し、政徳の前に丁寧に置いた。
「───」
 政徳は大きく息を吸って、きつく目を閉じる。
 櫻はそれが、昨日、政徳が言っていた「咲子から預かった」ものだとは解っても中身までは判らない。
「咲子さんが残したものです」
 篤志がゆっくりと手を引いて、その小箱は政徳に託される。
 政徳は手を出そうとしなかった。中身を確認しようとしない。見なくても、判ったようだ。
(…指輪?)
 それを見ていると、突然、篤志がこちらを向いた。
「櫻には伝言」
「なんだよ」
「“ちゃんと返したから”」
「!」
「これってどういう意味なんだ?」
 意味がわからないまま伝言を頼まれていたようだ。すべてを明かさずに託した咲子も咲子だが、すべてを知らなくてもそれを受けた篤志も篤志だ。
「いらねーよ、今更」
 ──櫻の半身はあたしの分身になったから
 ──ちゃんと返すから。探さないで。誰とも比べないで、幸せでいて

 今でも、青くない空にうんざりする。
 幼い頃は同じものを見ない亨に腹を立てていたけど、今になって解ることがある。
 たとえこの眼が空を青く映したとしても、自分ではない亨が、同じものを見ているとは限らない。色を見ているのか、物を見ているのか、天頂か地平線か、そこに何を見ているのか。同じであるとは限らない。そんなの誰でもそうだ。
 我ながら馬鹿だとは思う。この3年間、いろいろな場所で、たくさんの人間と会って、やっとそれを納得できるようになったのだから。
 この色が戻るときがくるのか? 期待はしない。
 今でもたまに、本当にどうしようもなく、幼い頃に見ていた空を見たくなるときがある。だけど。
 今は別の青があるから、強く望みはしない。
「関谷」
「なに?」
「背中に傷あんのか?」
「傷?」
 訊き返してきたがすぐに解ったようで、
「あぁ、あんなのほとんど消えてるよ」
 と、頓着無く笑う。
「俺が生きてるって判ってたのか?」
「当然。櫻が気付いて俺が気付かないはずないだろ」
 不愉快なほど自信ありそうな表情に腹が立つ。
 確かに、目の前の男は亨なのだと認識させられる。
「おい、おまえがアダチ(ここ)を継ぎたい理由はまさか───」
 思いついて口にしたものの、最後まで言うのは躊躇(ためら)われた。それを口にすることで、櫻がそれを覚えていたことを、篤志が喜びそうな気がして。
 案の定、篤志は歯を見せて笑う。
「ああ、そうだよ」
「…俺は、とっくに忘れたぞ」
「いいって。───でも、いつまで覚えてた?」
「ノエルに会うまで」
「ノエルって?」
 答えるつもりはない。無視しようとしたところで、───胸元の携帯電話が鳴った。

 電子音が室内に響く。
 篤志と政徳の視線を受けた後、櫻は「失礼」と短く言って、迷い無く電話を取り出す。
 表示されているのは櫻が予測したナンバーでは無かった。
 そのことに櫻は表情を険しくして、
『おいっ、ノエルはどうしたっ?』
 通話ボタンを押すと同時に声を荒げた。
『それはこっちの台詞よーッ!!!』
「……ッ」
 倍返し、と言わんばかりの声量に櫻は耳を塞ぐ。その声は篤志と政徳にも届き、2人を驚かせた。
 櫻が電話の大音量から立ち直るより先に、さらに急くようながなり声が続く。
『ノエルはっ? いないの? どうなの? 聞いてるの!? 答えなさいよッ』
『今日は仕事だろ、そっちに…』
 櫻が答えると、それを最後まで聞かないうちに次の声が耳を貫通しにきた。
『一緒じゃないのね!? 一体、どういうつもり? 迎えに来てみたら、ノエルもあんたもいないじゃない! 聞けばあんたは朝早く出て行ったっていうし、ノエルもその後外出したって』
『どこに?』
『馬鹿じゃないの? あの子が一人で観光に行くとでも思うわけ? あんたを捜してるに決まってるでしょ?』
『俺を捜す…って、ノエル一人じゃ無茶だろ、日本語も喋れない。それに俺は書き置きを残し』
『はぁあぁああ? なにそれ、言い訳のつもり? ただでさえ日本に来てからあの子、ナーバスになってるのよ。あんたのホームグラウンドだから、いなくなるかもって不安なの』
『そんなことにはならないって、何度も言ってる』
『あらそう! じゃあ、あんたの言うことなんて信じてないのね。いいから、さっさとノエルを捜して! 先方になんて言えばいいの? 万が一、ノエルになにかあったら、あんたなんか大西洋に沈めてやるから!』
『言われなくてもノエルは捜す! そっちはどうにかするのがおまえの仕事だっ』
 次の言葉を聞く前に櫻は電話を切る。間を置かず振り返って、
「すみません、急用ができたので失礼します」
 儀礼的に政徳に言うと、櫻はすぐに踵を返す。政徳は慌てて引き留めた。
「櫻」
「俺からの用はだいたい済みました」
「こちらはまだ残っている」
「また連絡します。では」
 ほとんど耳を貸さずに櫻は背を向けて部屋から出て行った。


 慌ただしく櫻が去った扉を、篤志と政徳はしばらく眺めていた。
 電話の内容は英語、早口すぎて篤志には端々しか聞き取れなかった。政徳は解ったようだが。
「まったくあいつは連絡先も言わずに」
 怒っているのか呆れているのか。政徳はそう言うけど、篤志は笑ってしまうのを抑えられなかった。
「篤志?」
「ああ、すみません。櫻と怒鳴り合う人なんて、今までいなかったから」
「…そうだな」
 と、政徳も妙に納得したように緩く笑う。
「今、そういう人と一緒にいるなら、安心していいと思います。───俺も行ってきます。史緒と話がしたい」
 軽く頭を下げて篤志も部屋を出る。今度は政徳は止めなかった。
 政徳は一人残された室内の余韻を味わう。場所はオフィス、部下達と怒鳴り合うこともある部屋だが、プライベートで身辺がこんなに賑やかなのは本当に珍しい。
 櫻、亨(篤志)、史緒。
 ──僕にはなにを残してくれるんだい?
 ──子供達がいるわ。3人も
「……咲子め、やってくれたな」
 机の上には指輪が光っている。
 やっと、戻ってきた。


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