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 アダチ本社ビルを出て、早足で駅に向かっていた櫻は前方に史緒の後ろ姿を見つけた。
「頭冷やすのに何時間かかってるんだ」
 声を掛けると肩が揺れ、振り返る。櫻の顔を見るとあからさまに顔を強張らせた。それでも逃げ出さないのは大した進歩だと思う。櫻の背後を気にしたのは篤志もいるのかと気にしたらしい。いないことに安心したのか失望したのか、口元が微妙に動いた。
「無駄に考えてないで、さっさと関谷に引導渡してやれよ」
「誰のせいだと…」
「咲子と関谷だろ」
「…っ」
 一言で黙ってしまった。元々、史緒に張り合いなど求めていない。
 櫻は史緒の横をすり抜けた。
「どこ行くのっ?」
「おまえに構ってる暇は無い」
「待って…っ!」
 意外なほど必死な声に呼び止められる。
「なに」
「…亨くんを捜してたの? ずっと? なんの根拠も、手掛かりもないまま?」
「その可能性を疑いもしなかったおまえが、今更、訊いてどうする」
「───…っ、悪かったわねッ!」
「!」
 噛み付かれ、睨まれる。
「どうせ私は…、亨くんのことはほとんど憶えてないし、何年も一緒にいた篤志と重ねもしなかった。今日まで、一度だって。…私は櫻や蘭とは違う、気付くことができなかった、でも、じゃあ、なにを知っていれば、亨くんと咲子さんのことを見抜くことができたのっ?」
 史緒の視線と言葉を受け、櫻は少しだけ反応が遅れた。それでもいつもと同じ、突き放すような声で答える。
「根拠は無いけど、手掛かりはあったろ。蓮家の末娘もそれに気付いてた」
「…どんな?」
「おまえだよ」
「私?」
「まだあの家にいた頃、俺がこうなった後も、亨はうるさく近寄ってきてたな。嫌がらせかと思うほどしつこく。まぁ、その結果、ああいう目に遭ったんだけど」
「……っ」
「亨は俺のことを心配してたよ。でも、それ以上に亨が恐れていたのは、俺がおまえに危害を加えることだ」
「ぇ?」
「もし亨が生きているなら、俺の前に現れてうるさく付きまとって、俺からおまえを守るだろ。あいつはそういう奴だよ。俺も蓮家の末娘も、おまえを見張っていれば亨が釣れるのは分かっていたんだ。───予想以上に遅かったけどな」


 ──あなたを守ってくれる人が現れるわ
 そう言ったのは咲子。
 ──俺からおまえを守るだろ
 そう言ったのは櫻。
(篤志……?)
 史緒は、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
 ついさっきまで理解することを必死に拒んでいたものが、すとん、と頭の隅に丁寧に置かれた気がして。
「……篤志が、父さんの仕事を継ぎたい、って言ってることについては、なにか知ってる?」
「あぁ、それは俺との約束があったからな」
「…約束?」
 オウム返しに聞き返すと櫻は失笑した。
「ガキの頃の話だ。2人で親父の仕事をやろうって、言ったな、確かに。律儀なやつだよ」
(あぁ…)
 なんだか妙に納得してしまう。
(───そうなんだ)
 亨は関谷篤志として再び阿達家に現れた。
 咲子との約束も、櫻との約束も忘れてなかった。史緒を守っていた。助けてくれた。亨の名を隠して。
 らしい、と思う。
 史緒がよく知っている篤志だ。
 なにも、偽りのない。
『あ! ハル!!』
 前触れもなくビルの谷間に高い声が響いた。
 それはまるでまっすぐな槍でも投げられたように綺麗に鳴った。その声を背中から受け、史緒は前につんのめりそうになった。
「…なに?」
 驚いて振り返ると、1ブロック先の反対側の歩道、こちらに向かってくる4人の人影が見えた。
 そのうちの一人、髪色が薄い女がこちらに向かって走り出す。その顔に見覚えはない。けれど、後ろの3人に気付き史緒は目を丸くした。
「なんでここに…」
『───ノエル』
「え?」
 呟きを耳にして見上げると、少し呆けた表情で、櫻は駆け寄ってくる女───ノエルを見ていた。
『ハルー』
 ノエルはまるで弾丸のようにこちらに走ってくる。
 史緒たちがいる場所とは車道を挟んでいる。その車道は車通りが少ないとは言えゼロではない。反対側の歩道を駆けてくるノエルを追い越すように、車が向かってきていた。
「───っ」
 櫻と史緒はほぼ同時に危機感を覚える。
「え…ちょっと」
『ノエルっ! 飛び出すなっ』
 ほとんど同時に走り出した。

 櫻は史緒も動いていることを横目に入れていた。
 けれど気に掛けたのは一瞬。
 後ろから来る人物が、史緒を止めるから。

 車が接近する。
 ノエルはまだそれに気付いてない。
 ドライバーも歩行者に気付いていない。
 櫻はもう声を出す余裕はない。考える余裕も、躊躇する余裕もない。
 ノエルが車道に飛び出した。
 櫻は街路樹を利用して方向転換。
 アスファルトを蹴る。
 耳と脳天を貫く車のブレーキ音が響いた。


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