キ/GM/41-50/49[2]
≪4/17≫
* * *
「実はね、長い間、ここを離れることになったんだ」
台詞は用意していた。感情を込めずに、司はそれを言った。
三佳は司との長い付き合いの中で、声に出して返事をする習慣が着いてる。にも係わらず、今、目の前にいる三佳から、その聞き慣れた声はなかなか返らない。
反応を待つ気は無かったが、司のほうも次の言葉が出てこなかった。この場の張り付いた空気をもう少し受け止めていたかった。その空気を招いた義務感、そして、なにかが変わる気配に、戻れないと解っていても躊躇いがあったから。
季節は秋に向かうといっても、まだ冷たい物を注文する季節。テーブルの上のグラスの中で、氷が細い音を立てた。まるでなにかの、始まりの合図のようだった。
「具体的にどこへ行かされるかはまだ聞いてないんだけど、しばらくは流花さんの所に居座ることになると思う」
「………ぇ?」
ようやく、声が聴けた。
「どういうこと?」
「ごめん、唐突に。びっくりするよね」
「……ちょっと、話についていけなかった」
「急にこんな話をする僕のせいだよ」
「ここを離れるってなに? すぐ、帰ってくるんじゃなくて?」
「うん、ちょっと長く」
「どれくらい?」
「短くて1年、長くて3年くらい。今はなんとも言えない」
「そんなにっ!?」
三佳にしては咄嗟な大きな声。それを恥じたのか、次の言葉がなかなか出てこない。取り繕うような間があった。
「───、…どうして?」
「大半は検査になるかな。あとは手術。と、リハビリ」
「手術って!? どこか悪くしてたのか?」
心配と不安が混じる悲痛な声。
悪いと思いつつ、司は苦笑してしまった。
「わからない?」
「え?」
「ここ」
「!」
司が人差し指で眉尻を叩くと、三佳が息を飲むのが判った。長い間があって、ゆっくりと重い息を吐いたあと、椅子にもたれる音がする。
「…治る、のか?」
緊張を残しながらのかすれた細い声。こちらを見ているであろう三佳に笑って返した。
「まだ可能性の段階。あまり期待するなって言われてるし…」
司は見えないはずの窓の外に遠い目を向ける。
「僕も、結果が欲しいわけじゃないんだ」
* * *
「と、いうわけなんだけど」
史緒と篤志は声も出ないようだった。
あと何回、この手のやりとりをしなければならないのかを思うと、司は小さく息を吐いた。
「いつ出発だって?」
「再来週」
「そんなに急に…っ!?」
「それほど急ってわけじゃないんだ。最初に話をもらったのは去年だし。6月頃から、早く来いって急かされてた」
「どうして相談…、……する奴じゃないな」
「そういうとこ、助かるよ」
無駄で面白くもない説明を省けるのは本当に助かる。
「もっと早く言えよ」
「早く言ってたら、何かあったの?」
「おい」
「ごめん」
茶化すつもりは無かったが、人付き合いにおいて不適切な切り返しだという自覚はあった。でも、謝ったものの、司の本心は翻意しない。
別れの言葉を早く言ったからといって、気まずくなる関係以外に何が変わるというのだろう。
「三佳にも言ってなかったの?」
(あぁ…、───イライラする)
最近の史緒(と篤志)に感じていた苛立ちが一気に再燃した。
以前の史緒なら思っていてもそんなこと訊かなかったはずだ。もっと前の史緒なら思いもしなかったろう。
出会った頃の史緒は人間関係など気にも留めなかったし、他人に口出しするような関心も持っていなかった。変化が見えた仕事を始めた当初だって、司との関係はもっとドライだったはずだ。
それなのに、他人との馴れ合いを当たり前のように肯定する言葉を吐く。さらに、それを心配までしている。
もちろん、昨日今日でそんな風になったわけじゃない。そうなるまでの過程、出会った他人と、取り巻く環境に司も関わっていたのだから納得はできる。ただ、最近、阿達家の騒動を終えて、何故か、それらを煩わしく感じるようになったのだ。
史緒を責めたいわけじゃない。初めて会った頃に比べたら、史緒は大きく変わった。司と史緒の関係も変わった。
きっと、司だけが、どこか大元の部分が変われていないのだろう。
「そうだよ、三佳にも、今日、言った。他のみんなにも説明したいから、次に集まったときにでも話をさせてよ」
「司…」
「自分のこととはいえ、勝手に話を進めてごめん。もしかしたら何か迷惑掛けるかもしれないけど」
「それは、いいんだけど…」
淋しくなるわね、と呟いた史緒に、司は同情するように笑ってみせる。
多分、昔と比べたら良い関係になったのだと思う。史緒の心情も解るし、そう言ってもらえるのは有り難いことなのだろう。
けど、どこかお手本じみたやりとりに、気持ち悪さも感じていた。
相談しなかったことを、三佳は責めないだろう。そんな風に思いつきもしないかもしれない。
「見えるように、なるかもしれないんだ?」
「うん」
「行くこと、もう、決めたんだろ?」
「うん」
「…ごめん」
「え?」
「いきなりだから、びっくりしてる。うん、でも、……いってらっしゃい」
先に帰ると言って席を立った三佳。無理に引き留めることもできたけど、それはしなかった。
この瞬間に2人の関係が変わることは解っていた。
いつも一緒にいた相手に別れを切り出した。
その後、どうすればいい? なにを話せばいい? なにを話す必要がある?
なにかを要求するにしても、どうして欲しいのか、司自身が解らないでいるのに。
時間はない。
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