キ/GM/41-50/49[2]
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■02
本来なら、司にとって、自分の行動を事前に誰かに報告しなきゃいけないなんてことは不本意だ。
そうすることで、これからの自分の行動を否定されるのも嫌だし、今回のように別れを告げることで向けられる同情や哀れみ、悲観されるのはもっと悪い。さっさと次の場所に移って事後報告だけできたらどんなに楽だろう。
───と、思っても、それは本意ではなく、自分のその可愛げのない発想に苦笑するだけ。
でもその通りに、もっと簡単に、この場所を棄てられると、以前は思っていた。
事務所に集まる機会があったので、事前に史緒に言っておいたとおり、皆に説明した。反応は史緒や篤志とだいたい同じ。蘭も(流花から話が行くかと思っていたが)知らなかったようで目を丸くしていた。それぞれから、淋しさを隠しての不満、質問攻めに合う。それをいつもの会話と同じように返す。
司としては本当に面倒くさいのだが、嫌ではない。これが必要な手順だと判っている。
他人を無視して生きてこられなかった。そういう生き方ができた、その軽すぎる代償。
史緒と阿達家を出たばかりの頃は、まだ、愚かにも一人で生きていけると思ってたから。
まぁ、進歩なのだと思う。
皆に言うことで、ひとつ肩の荷が降りた。
ただひとつ。その場に三佳がいなかったことを除いて。
月曜館で打ち明けたあと、せっかく事務所に行ったのに、先に帰った三佳に会わなかったことを後悔することになった。
今日、三佳は不在。史緒が言うにはバイトに行きっぱなし。夜には帰ってくるらしいが、あの日からこっち、ほぼ毎日だという。
「忙しい時期だからって言ってたけど、本当はどうかしら」
史緒の含みは、たぶん、当たっているのだろう。
司のほうも出発の準備で忙しかった。世話になっていた人や病院関係などの挨拶回りに加えて荷物の整理、手続きがいくつもあった。
アパートは家賃を払い続けるアテも無いので引き払うことにした。流花のところへ送る荷物と、それからいくつかの家具は史緒のところにしまわせてもらえることになっている。
普段、司は他人を部屋に入れるのを嫌がるが今回は仕方ない。業者の手を借りて荷物を片づけていく。篤志と健太郎も時間を見つけては手伝いに来てくれた。
それにしても、引っ越しをしてみると解ることがある。
自分の持ち物の量。
「はぁ」
段ボール箱に囲まれた部屋で司は溜め息を吐いた。
ここはもう勝手知ったる自分の部屋じゃない。一歩踏み出すのも困難な、司にとっては事務所までの歩道より危険な場所となってしまった。手探りで移動するのに疲れて、室内でも杖を使い始めた。
できるだけ身軽でいようと心がけていたはずなのに、こうしてまとめてみるとずいぶんな量がある。3年も住んでいれば当然なのかもしれない。そういえば、三佳が出入りするようになってからも家具が増えている。
この段ボール箱の中には、阿達家に住んでいた頃からの荷物もあった。
一方で、見えなくなる以前の荷物はほとんど無い。少なくとも司はそれを数えることができない。もしかしたら司の与り知らぬところで保管されていて、今は無人の阿達家に置かれているものもあるかもしれない。だけど、もし、そんなものがあることを知らされたら、司はすべて処分しに行くだろう。欲しくもないし見たくもない。存在していることも許せないだろうから。
ベッドの端に辿り着くまでも、いつもの20倍は手間と時間が掛かった。さらに10秒掛けて腰を下ろすとそれだけで疲労困憊で、司はもう一度大きな溜め息を吐く。今日はまだ出掛ける予定があったが、先送りにしたいと考え始める。
携帯電話を取り出しボタンを操作し、着信履歴を「聞く」。新しいものは無い。
(避けられてるなぁ…)
引っ越し作業の合間に何度か三佳に電話しているが応答は無い。史緒に訊いてもバイトに行っているというし。結局、あれから一度も会っていなかった。
確かに、司自身も迷っているところはある。別れることが分かっていながら、どう接すればいいか。いつも、当たり前のように一緒にいた相手に。
ただ、もっと、ちゃんと話をしたい。
話を聞きたい。
(三佳───)
この3ヶ月、十分に考えたはずだ。
目が治る可能性に賭けることと引き替えに、失ってしまうもの。
居心地の良い場所、自分を受け入れてくれる人たち。
かけがえのない貴重なものを、軽率な判断ですべて失くしてしまうかもしれない。
いざこざが無かったとは言わないが大きな亀裂も無く、良くも悪くもぬるい、でも、自分を受け入れてくれた、人と居場所。
そこから離れると決めたのは自分自身。
どんなに未来が良いほうへ転がり続けても、今と同じ場所へ戻ることは不可能だ。
また、すべてを失うのかもしれない。見えなくなったときと同じように。今度は自分の意志で。
蓮大人に訊かれたことがある。
──目が見えなくなっても、一緒にいてくれるような人はいたかい?
無条件で味方でいてくれる人。なにがあっても自分を受け入れてくれる人。たとえ世界中が敵になっても、一緒にいてくれる人。
どんな意図を以てそんなことを訊かれたのか今も解らない。
一体、誰にそんな存在がいるというのだろう。
幼かった司はこう答えた。
──お父さんとお母さんがそうだと思ってた
結局、見えなくなってから、一度も会ってない人たち。
(…あぁ)
司はベッドの上に寝ころんで額に手をやる。
(頭が痛い)
ひどい眩暈がして、無意識に三佳の手を捜してしまった。
でも、今ここに彼女はいないし、これからも隣りにいない。
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