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 結局、駅内にあった地味めなおにぎり屋に入った。総菜も種類があったし味噌汁もある。考えていたよりずっと理想に近い。三佳は気を良くして、会計を済ませ、席を捜そうとしたところで。
 ───意外な人物に遭遇した。

「あ」

 と、口にしたのはどちらが先か。
 三佳はトレイを持ったまましばらく固まってしまった。
「櫻…?」
 店内の奥の席、そこには阿達櫻がいた。
(え。なんで?)
「よぉ」
 気さくに声を掛けてきたので三佳は軽く頭を下げる。
「どうも」
 お互い、まったく知らない仲というわけでもない。何度か顔を合わせて言葉も交わしていた。
「七瀬はどうした」
「…そんな年中一緒にいるわけじゃない」
「そうかよ」
 と、櫻は頓着なく笑う。
「今は仕事中なんだ」
「使いっ走りか?」
「あぁ」
「史緒?」
「いや、別件」
「ふぅん。…座ったらどうだ」
 向かいの席を指す。店内は混んでいたので相席は正直助かる。櫻と同席することについて複雑な気持ちが無いでもなかったが、三佳は大人しく櫻の向かいに座った。

 阿達家の騒動の後、櫻とは何度か顔を合わせていた。けれど、これまでは史緒や司、その他にも必ず誰かが一緒にいた。一対一というのはこれが初めてになる。
 櫻が周囲からどう思われているかは解っているつもりだ。そして櫻自身にそれを覆そうとするつもりが無いということも。
 正直、どう接して良いか悩んでる。三佳自身の櫻の評価は固まっていないから。
 だけど困ったことに、三佳にとって櫻は割と喋りやすい人物だった。
 子供扱いしないし、三佳がいつもの調子で生意気言っても気を悪くしない。乱暴な語彙を選択する性質も慣れてくれば気にならない。応答が速く鋭いせいで妙な緊張感があるが、それも楽しめるレベル。馴れ合いを好まないのはこっちも同じだ。
 史緒たちのように過去の諍(いさか)いも無いので、櫻のほうも割と棘のない対応をくれている(と思う)。
 たぶん、櫻は、櫻からの攻撃に負けず、ずけずけと物言ってくる人間を嫌いではないのだろう。
 それなら三佳の得意分野だ。だから三佳は櫻と喋るときは、少し失礼なくらいに、意識的に強く喋るようにしていた。

 櫻のトレイに乗っているのは、おにぎりひとつとお茶だけ。しかも、手をつけるつもりが無いのかテーブルの端に寄せて置かれていた。
(まったく、この兄妹は…)
 こめかみの辺りが痛くなってくる。
「それだけで、体が保つのか?」
 つい口を出してしまった。
「余計なお世話だ」
 確かに、今のは自分でもそう思う。
 櫻のほうも気に障ったわけではなく三佳のお節介に呆れたという様子だった。
「餓死する前には食うよ」
 そういう問題じゃない。と、三佳は大声で返しそうになった。
(似た者兄妹め)
 史緒が聞いたら気を悪くするであろうことを思う。でも本当に、この兄妹を甘やかした環境を恨みたい。
(あれ。そういえば篤志はどうだったっけ…)
(いや、それよりも、櫻と一緒に生活しているノエルもまさか)
 ちらり、と窺うと櫻もこちらを見ていて、ついでに表情を読まれたらしい。
「あれにはちゃんと食べさせてる」
 と、つまらなそうに言った。
 今みたいに、櫻はよく表情から思考を読みとる。司などは櫻のそういうところを酷く苦手としているようだ。三佳も何度かやられてその度に驚いているが、タネは解っている。司も言っていた。論理的帰結。あとは想像力と観察力。だけどそれが解ったからと言って真似できるものでもない。この男の個性としか言いようがなかった。
 その櫻が目の前で小さく笑う。
「史緒の世話は大変そうだな」
 先程の会話から今度は一体何を読みとったのか。三佳はその台詞に大きく頷いた後、冷やかしを込めて言った。
「妹のこと、気になるんだ?」
「いや、まったく。島田さんを労(ねぎら)っただけ」
 微塵の隙も見せずに否定する。素直に受け取って良い物かどうか。
 どちらも本心では無いかもしれない。
 どちらが本心でも、ある意味怖い。
「それはどうも」
 適当な返事をして、三佳は自分の食事に手をつけ始めた。

「そういえば。どうして私のことはさん付けなんだ? 司や篤志のことは呼び捨てにするのに」
 ふと、思い立ったことを訊いてみた。
 櫻は初対面のときから、三佳のことを「島田さん」と呼んだ。
 単に、知り合ってまだ日が浅いからとか些細な理由かもしれないが、こちらが呼び捨てにしている手前、なんとなく決まりが悪い。
「あぁ、それは」
 櫻は眼鏡を押し上げて薄く笑った。
「七瀬を手懐(てなず)けたことに敬意を表して」
「……?」
 首を傾げて意味が解らないことを伝えても、櫻はすぐには答えない。三佳がどう解釈したかを測ろうとしているようだった。
「手懐けるって…」
 櫻は含みのある表情をそのままに椅子に寄っ掛かり息を吐く。
「昔から、あいつは見ていて面白いよ。蓮家の二番目がそう教育したんだろうが、己のハンデをよく理解して、周囲に頼らなければやっていけないことも判ってる。他人に依存して、共存して、甘やかされて生きなきゃならないことを屈辱と感じながらも、そうするしかないと諦めてるんだ。───でも結局、七瀬は、誰一人、信用なんてしない。愛想良く見えても警戒を怠らない。今は大勢と連んでるようだが、長く付き合おうなんて思ってないだろう。一蓮托生なんてのも絶対考えない。少しでも危険を察知したら、一人でも逃げられるよう計算し始めるよ」
「───」
 櫻は一体何の話をしているのか、三佳は再確認しなければならなかった。
 櫻は七瀬司について語っているはずだ。けれど、三佳は首を捻りたくなるほどの違和感を感じていた。それは、三佳が知る司とは違う。
(知り合う前の、司のこと、なんだろうけど…)
「七瀬自身も、己のそういう性質を解ってるんだろう。周囲は自分を裏切るかもしれない。でも頼らなきゃいけない。それがストレスで、昔はいつも疲れたようにしていた」
「……」
「島田さんが思ってるよりずっと、七瀬は周囲と距離を空けてるし、緊張した毎日を送っているということだ」
 ずき、と胸が痛む。
 櫻が語る司の過去が痛々しいのか。
 それとも、三佳と司の距離を指摘されたことが悔しいのか。
(……あ。これ、聞いてていいのかな)
 司の知らないところで、司の昔の話を聞くのは、よくない事ではないだろうか。これ以上、この話題を続けるのは危険な気がする。でも、
「それは、昔の話だろ?」
「うん?」
 三佳は否定したかった。
 櫻が語っているのは、今の司ではないと。
 「手懐けた」というのが「変わった」という意味なら、それは三佳とは関係無く、彼が成長した結果だ。だって、三佳が知る司は、そんな殺伐としてない。いつも余裕があるように笑っていて、仲間のことも気に掛けている。確かに、計算高い面もあるけど、それが周囲を信用してないということには直結しない、はずだ。
「私はその頃の司を知らないけど、今はみんなとうまくやってる、…と、思う」
 語尾が小さくなってしまった。自信が無いことを読みとられてしまう。
 櫻はテーブルの上に片肘突いて可笑しそうに笑った。
「島田さんは、自分は七瀬に信用されてる、と思ってるわけだ」
「それは…っ」
 もちろん、と答えてもいいと思う。司だって、「そうだね」と笑って肯定してくれると思う。
 でも、今の話を聞いた後にそれを即答するのは、なんだかとても考え無しのような気がして三佳は口篭もってしまった。
 その様子を櫻はじっと見ていた。
「確かに───まぁ、島田さんは例外だろうな」
「え?」
「七瀬と手を繋ぐだろう」
「は? ……手?」
「なんのため?」
「…なんのためって」
 櫻は話題を転じたのか。それともちゃんと継いでいるのか。
 三佳は話題の主旨を見失っている。収束点が判らないまま、櫻に訊かれたことを、ただ考えることしかできなかった。
(手が……、なに?)
 三佳と司はよく一緒に出掛ける。その際、普通に手を繋いでいる。それが何故かと問われるなら、
「杖代わり?」
 道案内したり、危険物を知らせたり。一言で表すならそういうことだと思う。
 櫻は肩をすくめた。
「意志のある杖なんか、あいつは欲しがらねぇよ」
「じゃあ、はぐれないようにする為」
「まぁ、それもあるか。でも七瀬は、相手が関谷や史緒なら肩を借りる。他の人間なら頼ろうともしないだろう」
「……?」
「咄嗟のとき、相手を突き放して一方的に離れられるからだ」
「───」
 どこまで本気か判らない。でも櫻はからかうわけでもなく、当たり前のように言う。
 手を握らせている三佳は例外なのだと。
「そういうやつだよ。今も、昔から何も変わってない。外面で笑ってても自分を守るのに必死。失明直後に身内に裏切られたから、他人を信用するのが怖い」
(身内に…?)
 司は家族のことを全然話さない。でも一度だけ。
 ──僕の両親は8年前から行方不明なんだ
 ──事故の責任を取るのが怖くなって逃げたんだろう、っていうのが、関係者の中では一番有力な説かな
 そう言ったとき、司はもう吹っ切れてるというように笑っていたけれど。
「七瀬は親に棄てられたと思ってるから」
「……棄てられたと思ってる、ていうのは? 本当は違うのか?」
「さぁ。それを否定できる人間がいないなら、あいつにとってはそれが真実だ」
 櫻の言うことはいちいち端的で断定的だ。話すことで三佳の反応を観察している。
 全部を信じるのは良くないと解っていても、三佳は櫻の発言に飲まれていた。
「七瀬の用心深さは気に入ってたけど、その七瀬を手懐けた島田さんにも俺は一目置いてるということで、説明終了」


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