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■03

 夕方、司は時間を見つけて事務所に顔を出した。
 事務所には篤志がいて、それから、史緒が出掛けるところだった。急な仕事が入ったのだという。
「もう少ししたら、祥子と、あと学生組も来るはずよ」
「三佳は?」
「峰倉さんのところ。最近はずっとそう」
「…そう」
 ここへ来た一番の目的が空振りした。史緒も司の心中を察しているらしく、複雑な表情で苦く笑う。
(さて、どうしよう)
 奥の机に座っていた篤志が顔を上げて目を丸くした。
「え、あの後、まだ会ってないのか?」
 篤志には関係ないよ、と言い掛けたが、それは喉元で止まった。───軽い憎まれ口では済まない気持ちが声に表れてしまう気がして。
(…何で、こんなに苛ついてるんだろう)
 司は、最近の自分の穏やかでない感情をうまく捉えられずにいた。
 生活環境が変わることへの不安やストレスは確かにある。身近な問題として、三佳を捕まえられないことも懸念事項のひとつだ。
 だけど、この気持ちは違う。そこは解っている。───この苛立ちは。
 目の前にいる2人。思いの外、うまく方が付いた、阿達家に対してのものだ。
(しこりが残るだろうと予測してた、それが大きく外れたことがそんなに気にくわないのか?)
 まさか、と司は否定した。それくらいのことで、と思う。嘘ではない。
「ところで篤志はどうしたの? 最近、よく見かけるけど」
 今度はちゃんと“軽い憎まれ口”になった。
 もちろん、篤志がこの先しばらくはアダチとA.CO.を兼業することは知ってる。阿達家の騒動のとき、篤志が長くここを空けていたことへの皮肉だ。
「おいおい。一応、俺はA.CO.(ここ)に所属してるんだが」
「あれ。そうだったっけ」
「おまえな!」
「私、もう少ししたら出掛けるから、留守番頼んだの。頼みたい仕事もあったし」
「へぇ」
「司は? ここで休んでいったら?」
「いや、帰るよ」
「じゃあ、途中まで一緒に行きましょう。もうちょっと待ってて」
「うん」
 事務所に残って篤志と話す気にもならなかったから帰ると言ったのだが、かといって、史緒と話すこともない。けれど、ここで断るのは不自然だし、適当な理由も見つからなかったので司は頷いた。

 史緒と篤志は簡単な打ち合わせをしている。お互いの性格を知った上での事務的な確認事項、相談、主張。
 それはこの数年なんども目の当たりにしたごく日常的なものだ。
 3年前、この3人で事務所を立ち上げた、それ以前からも、そう。
 史緒と篤志のやりとりを司は見てきた。

 ただ、今、妙な違和感があるのは、この2人が兄妹だと知ったからだ。



「───」
 すっ、と脳に切り込むものがあった。

(あぁ)
(…解った)
 解ってしまった。
 一度、「解って」しまったら、もう「解らない」には戻れない。
「…っ」
 嫌悪感と一緒に吐き気が込み上げる。
 安堵感もあった。何に苛立っていたのか、やっと解ったから。
(そうなんだ)

 吹っ切れたような。悔しいような。
 笑ってしまいそうな。泣いてしまいそうな。


 十年以上前に死んだ亨。
 それを長く引きずっていた櫻と史緒。
 後に親戚を名乗って現れた篤志は、己の正体を隠し続けたまま、何食わぬ顔で兄妹のそばにいた。史緒の理解者となり、当たり前のように隣りに居座っていた。
 それからさらに数年。
 自らを亨だと明かした篤志。それを受け入れた史緒、櫻、そして3兄弟の父。
 篤志は「関谷篤志」を名乗ることを選んだけど、それでも彼を亨と認識した上で、それぞれが元の関係、ポジションに落ち着いた。
 驚いたことに、なんの亀裂もないまま。
 長い長いいたずらの行方。
 その間、対立やすれ違いがあって、傷つけ傷ついて。
 それでも、十年以上前の元の形に収まった、阿達の家族。

(認めたくないけど、これは…)

 篤志と史緒、櫻や政徳が和解するまでもっと揉めると思っていた。簡単に許せるはずない。あんなにバラバラだった阿達家がまとまるはずない、と。
 でも、彼らは家族としての結束を果たした。絆、か。

(嫉妬、か)

 見えなくなったばかりの頃、身近にあった不幸な阿達家(かぞく)を同列視して安心していた自分。
 だけど、今、集まった阿達家(かぞく)。

(嫉妬かー……)

 同じことができなかった、己の境遇。


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