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 峰倉家の食卓はいつも騒がしい。
 騒がしい原因である姉弟は毎日遊び回っていて、どちらかが夕食の席にいないこともしばしば。にもかかわらず、いつも騒がしいのは何故かというと、片方でも十分騒がしいからだ。
「遊んでないって! 地区大会が近いから練習時間が長くなってんだよ」
 弟の峰倉玲於奈(れおな)。三佳と同じ12歳で小学6年生。ふた月前、三佳に身長を超されたことを、未だにぐちぐち言っている。
「あたしも遊んでるんじゃないよぉ。学校のほうが忙しいの。今、生徒会選挙期間なんだよー」
 姉の峰倉凛々子(りりこ)。三佳たちのひとつ上で、私立中学の1年。眼鏡を掛けている。どこかぼんやりしていて、玲於奈や三佳に対し年上振らず、友達のように接してくる。
「生徒会だぁ? 1年のおまえが?」
 そして峰倉徳丸。姉弟の父。三佳のバイト先店長。
「ちが〜う。あたしは候補者じゃなくて、選管なの。選挙管理委員。この時期だけは、生徒会より権力持つんだー。腕章つけてね、一目置かれるカンジ?」
「選挙管理委員って、どんなことするの?」
 と、訊いたのは峰倉加奈。姉弟の母。三佳の家事の先生。
「一番の仕事は投票監督と開票集計だけど、他に賄賂が出回ってないかとか、癒着が無いかとかの見回り、かな」
「癒着って……、中学生が使う単語かよ」
 峰倉が呆れたように言い、三佳も笑った。
 今日みたいに、夕食の席に三佳も座ることは珍しくない。食事の支度を手伝ったり、凛々子や玲於奈と喋ったりもする。彼らの学校生活の話は意外と楽しい。
「そういえば」
 と、三佳は口を挟む。
「一年前、凛々子は受験勉強とやらで大変そうにしてたけど、今年、玲於奈はそうでもないんだな」
「俺は公立行くもん。試験はないよ」
「三佳はー? まだ学校行ってないの?」
「予定はないな」
「そうか! 玲於奈と同い年だってつい忘れちまうぜ。おめーも少しは自分のこと考えたほうがいいぞ」
「と言われても。学校に行ってる自分が想像できない」
「いつも三佳のことこき使ってるくせに、親父がそんなこと言っていいのか〜」
「じゃあ、玲於奈。おまえに言うぞ。おめーも少しは自分のこと考えろ。さすがにテストで9点はないだろ」
「ちょ、それ反則!」
 その後、話題は姉弟の学校の話と、近所の野良犬から時事ネタにまで発展し、笑ったり文句を言い合ったりした。

 峰倉家は家族仲が良い。と、思う。(他に比較できる家族を三佳は知らない。阿達家? あれは問題外だ)
 知り合って3年、もちろん親子間、姉弟間の喧嘩もあって、三佳もそれを見てきた。ついでに三佳が参加した喧嘩もあった。けれど、峰倉家にはそれをちゃんと収束させる習慣もあって、仲介者が双方ともきっちり謝らせることで終わる。変に拗(こじ)れないでそれができるのは、この家族の会話が多いからだと三佳は分析していた。
 凛々子と玲於奈はよそ者の三佳を特別視しないし(親戚かなにかだと思われてる節がある)、峰倉夫妻は三佳のことを3人目の子供のように扱ってくれる。甘えすぎるのは良くないと思っていても、居心地の良い場所だった。
 仲間とはまた違う関係。休む場所。帰る場所。───家族。
(…家族?)

 ──七瀬は親に棄てられたと思ってるから

「───…」
 視界が滲んで、あっという間に涙がこぼれた。
 なにが起こったか一瞬判らなかった。
 ぼやけた視界。頭のどこかで涙が出たと解ったけど、両手にご飯茶碗と箸を持っていたので拭うことができなかった。
「えっ、三佳、なんで泣いてんのっ」
 と、大声をあげたのは正面に座っていた玲於奈。こっちが訊きたい。三佳の思考はマヒしたように鈍く、次の行動に移れない。意志とは関係なく、涙だけがぽろぽろ溢れて止まらなかった。
「へっ? 島田? ど、どど、どうしたっ!?」
「三佳〜」
 注意して茶碗と箸をテーブルに置いて、三佳は手で顔を拭く。自分のせいで場の雰囲気を壊してしまったことを申し訳なく思う。
「ごめ…、なんでもない」
 でも涙が止まらなかった。
 司が子供の頃に失ったもの、その悲しみが解ったような気がして。
「…っ」
 こんな同情を司は嫌うだろう。
 だけど、彼のことを思うと、悲しくてしかたなかった。
「はいはーい!」
 ぐっと肩を掴まれたかと思うと、ふわりとやわらかい腕に抱きしめられた。
「みんなはちゃっちゃとごはん食べちゃって。───三佳はこっちにいらっしゃい」
 峰倉母に手を引かれて椅子から立ち上がる。
「おい…、おまえ」
「年頃の女の子の泣き顔を覗くなんて趣味が悪いわよ」
 心配そうなそれぞれを残し、峰倉母に肩を押されキッチンを出る。そのまま別室へ連れていかれた。ソファに並んで座り、軽く背中を叩かれる。
「念のため訊くけど、どこか痛いわけじゃないわね?」
 頷いて答えた。
「そう、良かったわ」
「ごめ…、ごめんなさい」
「謝ることじゃないでしょ? 泣きたいときは泣いちゃえばいいの」
「ぅ〜」
 声を我慢しようとしたら呻き声になってしまった。やさしく頭を撫でられる。
「三佳もね〜、もうちょっと甘え上手だといいんだけど」
 やれやれ、と三佳の頭の上で峰倉母が笑った。



  *

 夜も更けて三佳が帰宅すると事務所に明かりが点いていた。とりあえず帰ったことを伝えようと顔を出すと、室内に史緒はいなかった。代わりに何故か篤志がいた。
「よぉ、おかえり」
「…ただいま」
「まさかこの時間に一人で帰ってきたのか?」
「加奈さんに送ってもらった。───史緒は?」
「出掛けてるよ。今日は遅くなる」
「私用?」
「仕事」
 そう答える篤志も、なんだか忙しそうにしていた。確かに、大学に通いながら(卒業はするつもりらしい)仕事を2つ兼業するのは大変だろう。
 気を利かせて下がろうとしたが、ふと、思いついたことを口にしてみた。
「今日、櫻に会った」
「え…っ!」
 篤志は必要以上のリアクションで顔を向ける。
「……なんだ、急に」
「いや、何時頃?」
「正午」
「あぁ、…なんだ」
「なんだ、ってなんだ」
「その後、俺も櫻と会ったんだ。そのとき一悶着あったから…」
「喧嘩?」
 三佳は冗談半分で言ったのに、
「まぁ、そんなとこだ」
 篤志は苦笑しながら肯定した。
「喧嘩なんて、おまえらもそんな普通の兄弟らしいことできるんだな」
「うるせーよ」
「まぁ、仲良くやってるよりは、らしいかもしれないけど」
「そういうおまえこそ」
 ふと、篤志の表情から笑いが消える。(あ、余計なこと言われる)と、三佳は直感的に思った。
「会ってやらないと司が気の毒だぞ」
 予想どおり、余計なことを言われる。
(…篤志たちはなんで平気なんだ)
 ここから司がいなくなること、篤志や史緒はどう受け止めているのだろう。そんな簡単に納得できるものなのだろうか。
 篤志は淡々と続けた。
「二度と会えないわけじゃないんだから」
「……っ」

 ───そうだっけ?

 二度と会えないわけじゃない?
 本当に?
 ちゃんと会えるんだっけ? ───会えたこと、ある?

 だって、私には。
 あの日、屋上で司と初めて会った日、それ以前に知り合った人は誰一人
 今、そばにいない。


 二度と会えないわけじゃない?
(そんなの、嘘だ)


「私は、…二度会えた人なんていない」
 思ったことは声になってしまったらしい。
「え?」
「もう休む」
「おいっ」
 篤志の制止を聞かず、三佳はドアを閉め、階段を駆け上がった。


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