キ/GM/41-50/49[2]
≪12/17≫
■04
出発前夜。
司がその日の予定をすべて終えられたのは夜8時を回ってからだった。けれど、そのまま一日を終わらせるつもりはなく、司は電車に乗って目的の場所へ移動していた。8時という時間はまだまだ人が多い。周囲の話し声に思考を邪魔されながらも、司は今対面している問題について考えていた。
──大丈夫、心配しないで。私はもう、初めて会った頃とは違う。司の手を取らなくても、平気
そう言った三佳。
(余計なことを考えてそうだけど…、櫻がなにか言ったか)
三佳がなにを考えてるかは大体解っている。
司からの突然の別れの告白に混乱している。その戸惑いを口にすることが、司にとって迷惑になると思っている。迷いや悩みに他人を巻き込みたくないと思っている。
元々、三佳は最初に会ったときからそういう傾向がある。
あのとき、なにを同情したのか史緒は三佳を引き取ると言い、篤志はそれを反対した。そのやりとりを三佳本人に聞かせたのは司だ。そのとき三佳は、“ただの子供”ならここに居られないと判断したらしい。元からの性格も手伝って、大人振って、気を張って、重荷にならないよう、足を引っ張らないよう、酷く気を遣っていたと思う。
(三佳の気遣いに甘えて、彼女の強さに頼っていたのは僕らの落ち度だな)
三佳は“ただの子供”として見られないようにしていた。
でも、三佳は子供だ。
物事を教え育てるのは周囲の人間の役目だろう。
だけど、司も含め、史緒や篤志にその役目を真っ当できるだけの力があったはずもない。
(僕らもまた、子供だったから)
*
司が峰倉家を訪れると、玄関を開けて出てきたのは峰倉徳丸本人だった。
「おぅ、七瀬か」
大袈裟に驚くわけでもなく、気さくに応じてくれた。
時刻は9時になる。予告も無く訪れるのは気が引けたが、連絡すれば逃げられてしまう可能性もある。無礼を承知で司はここに来た。
「夜分にすみません。三佳、いますか?」
いるのは判っている。案の定、峰倉の回答は否定ではなかった。
「あー…。まぁ、上がっていけや」
肯定でもなかったが。
「島田ぁ! 七瀬が来たぞ。顔合わせたくなきゃ上に行ってろ」
峰倉が家の中へ向かって声を張り上げると、奥へと遠ざかる足音がした。三佳だ。
「あ、ひどい」
「サボるなよ。天の岩戸を開かせたきゃ自分で踊ってこい」
司の軽い抗議に峰倉はからかうように答えた。
その後、家の中に迎えられ、廊下を少し入った座敷に通された。峰倉に誘導されるままローテーブルの席に座る。その際、司が一旦座布団を避けて腰を下ろすと、峰倉は「あー、作法とかいーから」と煙たそうに手を払って、さっさと座るよう司に示した。
「最近、島田の様子がおかしかったのは、やっぱりおまえ絡みか」
奥さんが置いていったお茶をあおってから峰倉は切り出した。
司は頷くしかない。
「たぶん、そうなんでしょうね」
「島田に訊いても何も言わねぇし。…放っておいてもいいんだが、うちはお節介が多くてね。なんとかしろって俺が責められてるのよ」
話が重くならないよう茶化して言ってくれる気遣いが司には有り難い。
「で? なにがあった?」
「その件について、峰倉さんにも挨拶しなければと思っていたんです。急で申し訳ありませんが…」
と、司は峰倉に状況を説明した。
司が明日、日本を離れること。目の手術の為だということ。長く帰らないこと。三佳にもその旨伝えてあること。
説明は難しくない。ここ数日の挨拶回りの間に何度も繰り返したことだ。それでも10分は要した。その間、峰倉は一切口を挟まなかった。雰囲気を茶化すこともしない。話し終えてから気付いたが、その間、峰倉は一度もお茶を口にしなかった。そして、一段落すると息を漏らした。
「そりゃまた…、なるほどねぇ」
「はい」
峰倉はまたひとつ大きな息を吐いて、
「ともかく、そうだな、…元気でやれよ。できれば、また、顔を見せてくれ」
「……、───そうですね。ここへ戻ったときには、必ず」
司は返答に一拍遅れた。
微妙な言い回しであることに、峰倉は気付いただろうか。
遠い未来はどうなるか分からない。ここへ戻るのか、たとえ今そのつもりだとしても、無責任な約束はしたくなかった。
「すみません、それで今日は、三佳と話を付けたくてお邪魔しました」
「おぅ。いいんじゃないか? 場所くらいは提供してやる。なんなら泊まって行ってもいいぞ」
「いえ、今日は空港のそばのホテルに泊まる予定です。アパートは今日引き払ってきて、明日、出発なので」
「空港って成田だよな。じゃあ、時間が」
と、そのとき、
「なになに、三佳を泣かせた男が来てるってー?」
廊下を駆ける足音が聞こえた。元気の良い男の子の大きな声に司は虚を突かれる。そして今度は上の階から、
「玲於奈っ、余計なこと言うな!」
と、これは三佳だ。
男の子のほうは扉の向こうで「お話中だから静かにしてなさい」と窘められていた。
「騒がしい家で悪いな」
「いえ」
確か、峰倉家には姉弟がいたはずだ。とすると、さっきの声が三佳と同い年だという弟だろう。
仲の良さそうな家庭を目の当たりにして司は思わず笑ってしまう。
しかし気が重い。
(三佳を泣かせた男、か)
「あの」
言い難いという気持ちがそのまま声に出てしまった。
「どした?」
峰倉は頓着なく訊き返してくる。
一度、声にしてしまったのにまだ躊躇いがある。つい先日、屋上で三佳と別れた後、生まれた疑問。いや、それよりずっと前から、見送ってきた疑問を。
「訊きたいことがあるんですけど」
「おぅ」
訊いていいのか、聞いていいのか。
「三佳の家族って、どうなってるか知ってますか」
「知らないのか?」
「はい、全く」
「…まぁ、知ってるっちゃー知ってるけど。ていうか、阿達やもう一人の兄ちゃんも知ってるはずだけど」
「彼らからも、聞いていません」
「なんで?」
「以前は、知りたいと思わなかったから。それに、三佳と付き合っていくのに、知る必要もなかったので」
「はぁ、なるほど。じゃあ、今、知りたくなった理由は」
「それは…」
屋上で最後に三佳が言った言葉を思い出す。
──もしかしたら、忘れてしまうのかも、…昔と同じように
──死んだ家族のことさえ忘れるくらい薄情だから
三佳の口から三佳の家族について語られることは滅多に無い。
記憶にあるのは一度だけ、柳井恵にあった日、三佳は父親の名前を口にした。確か、島田芳野。その父親が写っているという写真を見て、三佳は泣いていた。
三佳の家族について知りたくなった理由は、
「なんとなく、です」
「はーん、まぁいいけどさ。───言っておくけど、俺は島田から家族のことなんて聞いたことないぞ」
「でも、知ってるんですね」
「あぁ」
「知ったのは、3年前の三佳がうちに来ることになった事件のときですか?」
「いや、俺はそのへんの事情はさっぱり。ただ、島田の親父は一部で名が通った人だったから」
峰倉は小さく唸って言葉に迷った。
「そう、島田には父親がいたよ。それだけ。あいつの家族ってーと、それくらいなはずだ」
「…母親は?」
「聞いたことねぇな。島田自身も知らないんじゃないか? 芳野さんは結婚もしてなかったはずだし。他に兄弟もいねぇ」
「父親は…もう?」
「あぁ、死んでる」
「いつ?」
「そろそろ10年経つな。島田が3歳とか4歳とか、それくらいだろう」
「…」
想像していたことが外れて司は口を閉ざす。
三佳が来た3年前、その事件のときに父親が亡くなったのではないかと推測していたので。
「あれ。じゃあ、父親が亡くなったあと、三佳はどこで?」
父親が亡くなったのが3,4歳のとき。
司が初めて会ったとき、三佳は9歳だった。
その、約5年間の空白。
峰倉は呆れ果てたという表情で司を見た。
「…。おまえ、あの事件のことも何も知らねーのかよ」
「はい」
「よくそれで島田の相手やれてたなぁ」
「知らないから、務まっていたんでしょう」
少々、大人気ない切り替えしだったかもしれない。居心地の悪い沈黙が降りる。
気にしなかったのか、それとも見逃してくれたのか、峰倉は余計な反応を示さずに話を続けた。
「父親が亡くなった後、島田は父親の友人に引き取られたんだ。言っておくけど、そいつは今も生きてる。3年前、そいつがちょっとやらかしちまったから、島田がこっちに来た、というわけだな」
「史緒が引き取った、と」
「それを望んだのは島田自身だ」
そのあたりの事情は司もリアルタイムで見ていた。史緒と篤志が三佳の処遇で揉めている場に本人が突撃し、幼いながらに見事な啖呵を切ったのは司も見ていたから。
三佳にはいくつかの選択肢があった。史緒に引き取られること、警察の薦めに従って施設に入ること、それから。
「やっぱり、あなたが引き取ったほうが良かったのでは?」
あのとき、そういう話があったことは知ってる。
今日、峰倉の家族を見て考えてしまった。どう客観的に見ても真っ当では無いA.CO.(うち)に関わるより、峰倉の家で普通の子供らしく生活したほうが良かったのではないかと。
「だから、選んだのは島田だって」
「子供にそこまで、決断とその結果の責任を負う覚悟を求めていいんでしょうか」
「島田には選べる環境と自由があった。他人の決断に後悔するよりは良かったんじゃないか?」
「…」
「それに比較は意味が無い。選べるのはひとつ、結果が見られるのもひとつ。どれが一番良い選択だったかなんて、最後になっても誰も判らないんだからな。───おい、七瀬」
微かに苛立ちを含んだ低い声で名前を呼ばれる。
「あまり、現在(いま)を疑うな。あいつが悲しむ。それに、おまえだって迷ってるだけで、どうせ本心じゃないんだろう?」
「……、はい」
弱音を吐きすぎた。
うまくいってない現状の原因を過去の選択に押しつけようとしてしまった。
ただ、今は、三佳の言葉を聴きたいだけなんだと思う。
いつもの物怖じしない物言い。言い負かされるほどのはきはきした声───その声で、今、考えていることを聞かせて欲しいだけ。
でも。
三佳は“ただの子供”として見られないようにしていた。
僕らも無意識のうちに、三佳にそういうキャラクタを要求していた。
それなのに、別れるときになってわがままを言って欲しいなんて、ずいぶん勝手な話だ。
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