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 史緒は空港の展望デッキに上った。司が乗る便のフライトまでは時間がある。そのあいだ、景色の良い場所で休むつもりだった。
 エレベータから出ると広い視界に青い空が広がる。普段、建物だらけの街中で生活しているので、視力が捉えるもののギャップに目が眩んだ。窓に近づくと滑走路と旅客機が見える。さらにそばに寄ろうとしたとき───
「……えっ?」
 ふと目が合ってしまった人物、それが誰か気付き、史緒は声を上げてしまった。目を瞠り、口を開けて呆けてしまうほど驚いた。
「櫻…っ?」
 展望デッキの端にある喫煙所から出てきた痩せ形の男、櫻だ。史緒の声で向こうも気付いたらしく、どうでもよさそうに声を返す。
「よぉ」
「な…、なんでここにいるのっ?」
 史緒は狼狽えながらも櫻の出国予定を思い出した。
「…ノエルさんの仕事は確か来月まででしょ?」
「あぁ」
 櫻の反応はいちいち素っ気ないが無視するつもりは無いようだ。
 あれから史緒と櫻の関係はあまり変わっていない。険悪になることも無ければ世間話をするようなことも無い。父親に呼ばれた席で顔を合わせても、篤志が取り持っても、事務的なやりとりをするだけだ。そういえば、父親も篤志もいない場所で櫻と会うことなど無かった。
 それがまさかこんな場所で鉢合わせするとは。
「…司の見送りなんて言わないでね」
「あたりまえだ」
「じゃあ…」
 櫻は肩をすくめて息を吐く。
「この俺を足(アシ)に使うとはね。大物になるよ、あのお嬢さんは」
「お嬢さんって…?、───ぁ」
 史緒はつい振りかえってしまった。けれど、もう、フロアが違う。
 もう一度、櫻に視線を戻す。その表情はなにも教えてくれなかった。
(来たの…?)
 櫻がここまで連れてきたという“お嬢さん”、思い当たるのは一人しかいない。
 自然と笑みがこぼれた。
 ふたりは、会えただろうか。
「───って、え? まさか車で? 免許なんて持ってた?」
「昔な」
 ハルの名前で取ったのだろうか。いや、櫻は昔持っていた憶えがある。でもそれはとっくに失効しているはずだ。最近、政徳が「阿達櫻」についていろいろ手続きしていたので、その際に更新したのかもしれない。え、じゃあ、車は? と思ったのが読まれたらしく、
「レンタカーだよ。おまえも乗ってくか?」
「結構です」
 即答して顔をそむける。櫻だって史緒の返事は判っていただろうに。
 そのとき。
 前触れもなく櫻の手が伸びてきて、なんの躊躇いも力加減も無く───
「いたぁ!」
 史緒の長い髪を掴み、ひっぱった。
 場所もわきまえず史緒は大きな悲鳴をあげた。だって、本当に痛かった。
「……っ」
 頭を抱えて痛みをやり過ごした後、顔を上げて櫻を睨みつける。
「なに…っ?」
「悪かったな」
 と、全く悪いと思ってない口調で櫻が言った。
「そう思ってるなら、やらないでっ」
「そうじゃなくて」
 と、櫻は言葉を句切る。でも表情は変わらず、関心の無さそうな目で。
「根性焼き」
「───…」
 その意味を掴み損ねて史緒は眉根を寄せる。5秒以上かかって、ようやくその単語が示すものに気付いた。
「…今更なに?」
 嫌悪感は無い。ただ櫻からの突然の謝罪に驚く。
「関谷に殴られたから」
「篤志?」
 無意識に首筋に手を当てて史緒は首を傾げる。篤志に知られた憶えはなかった。
(…え、殴られた!?)
 史緒の知らないところでこの2人はなにをやってるのだろう。
「じゃあな。島田さんはちゃんと送り届けるよ」
 と、櫻は背を向けてしまう。なにがなんだか判らない史緒は歩き出す櫻にどうにか声を返した。
「ええと…、私はもう気にしてないから」
 櫻は背中ごしに軽く手を振っていた。


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