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1話 |
東京都A区───── 「ねぇ。そろそろじゃない?」 昼休みの読書中。唐突に、前の席に座る女子生徒の声が耳に入ってきた。 集中して読んでいたはずの文字を見失い、 「あ。そーじゃん! あと一週間で夏休みだもん。今年も絶対、くるよネ」 「あの歌聴くとさー、夏が来たなぁ、ってカンジしない?」 「するするー。既に風物詩だよー」 教室に響く無邪気な笑い声。彼女たちの会話は、周囲の大人達が言う程、決して画一的ではないけれど、それらのどの会話とも、みゆきは馴染めないでいた。会話について行けないことに落ち込むほど子供ではないし、笑顔を絶やさず聞いていられるほど大人でもない。加えて生まれながらの極度の人見知りと内向的性格と口下手と不器用さが拍車をかけて、クラスの誰とも馴染めない高校生活を送っている。 「ね、叶さんも好き? 『 「……え、な…何? …それ」 振り返ったかと思うと突然話し掛けられ驚いてしまって、それだけしか返せなかった。 「やだー。毎年、この時期に現れるバンドよー。知らないの?」 「メンバー全員、素性不明っていうのもそそるよね」 「ごめんなさい。…私、そういうのよく知らなくて」 「叶さんはあんまりテレビとか見ないかー」 「え…ええ」 「あ、でも、見かけたら聴いてみなね。絶対、イイからね」 それだけ言うと、彼女たちは背中を見せて、また違う話題へと会話を進めた。 なに、叶さんに話かけてるのよー。小さな笑い声が、背中の向こう側から聞こえる。 ほんの少しの屈辱に耐えることも、もちろん身につけているけれど。 「でも、ほんとに、楽しみだねー。もう3度目の夏かー」 その言葉につられて、みゆきは窓の外、空を仰いだ。 スモッグで擦れても青い青い空と、白い入道雲。風はあいかわらず湿っぽいだけで涼しくはないし、日差しも痛いほど眩しいけれど。 嫌いじゃない。 (……夏、かー) 群馬県B郡───── 「いい天気だね───っ」 山の木々が青々と茂っているのがよく見える。その葉までも識別できそうな程に。 ジーンズを膝までめくり、形のよい足を水田に突っ込んで、 水田には田植えを済ませた苗が整然と並び、ささやかな風に揺れている。遥か遠くまで続くその景色に、実也子は満足そうに微笑んだ。 「みんなー、元気に育てよぉー」 秋には黄金の稲穂になる。それを想像すると実也子は胸がドキドキして、じっとしてはいられなくなる。意味不明な叫び声をあげてみたりする。 それが聞こえたのか、水田の向こう側にいる父親が、 「うっせーぞ実也子っ。んなことしてる暇あったら、大学行けっ!」 「夏休みだもん、今」 実也子の家は専業農家である。 四方を山に囲まれた土地。主な農産物は米で、春から秋へかけては年内で一番忙しい。夏へ入るこの時期は、これからが天気との戦いになるのでその準備に追われていた。 実也子は農業が好きだ。過疎地のために、少し離れた町の大学へ通っているが、実のところ学校へ行くより家の手伝いをしていることのほうが多い。農産物の季節を通しての変化を見るのは楽しいし、成長を見るのは嬉しくもある。両親も、稼業を誇に思ってくれているのだからと、例え大学をサボっていても強くは言えないようだ。 「おい実也子、そーいやいつもの。そろそろじゃねーのか? 東京の友達ん家、遊びに行くのって」 「あ! うん! 多分ねー」 一際明るい、汗が浮かぶ笑顔で実也子は言った。 その時、母屋のほうから母親がつっかけを履いてかけてくるのが見えた。 「実也子ー。電話よー」 にやり、と実也子は笑ったようだった。 「父さん、噂をすれば、だよ。近いうち一週間ほど、留守にするから」 「おー、どこへでも行ってこい」 ばしゃばしゃと泥水をはねながら水田から足をあげる。白いTシャツが汚れるのも気にしない娘を見て、父親は苦笑混じりの溜め息をついた。 「ほら、急いで。待たせてるんだから」 「ありがとっ、母さん」 「家に上がる前は、足を洗ってねっ」 「わかってるー」 母屋までのアスファルトに、泥だらけの素足が足跡を残していた。 神奈川県C市───── 閑静な住宅街にたどたどしいピアノの音が響く。 速度は速くなったり遅くなったり。たまにつっかえたところで音はとまり、初めから鳴り始めたりした。 山田ピアノ教室。そう看板が出ている家から聞こえてくる。 「せんせー、これ、むずかしいよー」 「大丈夫、大丈夫。ここの左手のところ、もう一回やってみて。……おや、もう時間ですね。では、今日はここまで」 「ありがとうございましたー」 「はい、来週もよろしく」 「ばいばーい」 「気を付けてね」 長髪でひょろりと背の高い青年は細い目をいっそう細くさせた笑顔で少女を送り出した。 玄関の閉まる音が廊下に響くのを確認すると、 でもすぐにやめた。 ふー、と煙を吐き出して、目の前のカレンダーを見る。 (梅雨が開けますねぇ……) そろそろ呼び出しがかかるかもしれない。 そんな事を考えた矢先に、電話のベルが鳴った。 「もしもし、山田です」 「祐輔? 俺だけど」 「なんだ。慎也ですか」 「なんだとはなんだよっ。折角帰ってきたのによー」 「あ、帰ってきてるんですか。おかえりなさい」 「向こうで他の連中にも会ったぞ。おまえのこと噂してたぜー。なんでプロの世界目指さなかったんだろうって」 「言っときますけど、ピアノ教室の講師もプロはプロですよ」 「わーってるって。でもおまえも、俺らの言いたいこと、わかってるんだろ?」 「子供、って、好きなんですよ」 「ロリコン?」 「殴りますよ」 「………」 「可能性……、があるでしょ」 そんな会話の後、慎也はどこかで会おうと言い出した。 「近いうち、一週間程出かける用事が入る予定なんです。後で僕のほうから連絡しますよ。…ええ、じゃあ」 受話器を置くと、祐輔は2本目の煙草に手をかけた。 再び電話のベルが鳴った。 今度はすぐ取らずに、二回、煙を吐いてからゆっくりと手を伸ばした。 「はい、山田です」 愛知県D市───── 「はよーっス」 始業5分前。予鈴直後が 「あ、来た来たぁ。小林くーん、おはよー!」 「………っ」 女生徒の甲高い声が耳を直撃し、激しい頭痛に絶える暇も無く、圭は勢いよく立ち上がった。 「うっるせーなっ! 朝からがなりたてるんじゃねーっ」 容赦のない怒声を浴びせたつもりなのに、彼女らは更なる奇声をあげた。 「きゃーっ、相変わらず可愛い声ー」 「…あのなぁ」 実際、小林圭の声は同級生の男子と比べ、異様に高いのだ。中学3年の7月現在も声変わりは未だなく、背丈もこうして並んだ女子よりも低い。容姿も生来女顔なのでクラスの中でも可愛がられてしまう存在だった。 「ねぇねぇ、夏休みの予定決まった? 海でも行こうよ」 「受験生の台詞じゃねーよな、それ」 「何言ってんのっ? 何の為に花の小6時代をふいにしたと思ってるのよっ! 苦労してこの中学に入ったのは3年後───つまり今、公立中の皆様が人生初の受験戦争で苦しんでいる頃、見せ付けるかのように遊ぶ為に決まってるじゃないっ」 「そのとーりっ! 外の友達なんて、今、すごく大変なんだから。補習と塾で遊ぶどころかテレビを見る暇もないって。…あっ、もしかして小林くん、高校は外に出る気だなんて言わないよねっ?」 相変わらずの女子たちの勢いには言葉を失ってしまう。ポーズまで決めて力説する姿に呆気にとられ、突然話を振られても圭はすぐに答えられなかった。 「……あ、いや。エスカレーター乗ってくつもりだけど」 学校法人鈴鹿学園。中学から大学までエスカレーター式の私立学校である。一言でエスカレーターと言っても、高等部に進学する際、外からの入学希望者も居るので定員数の枠から外されない為にはそれ相当の成績をとっていなければならない。しかしやはりそれは、世の中の受験生に比べれば段違いに楽な努力なのだが。 「ねっ? 海行こー」 「パス」 「どーしてよぉ」 「夏休みは駄目。少なくても7月は予定があるんだ」 「じゃ、8月」 「んな残暑が厳しい時期に海なんか行ったら地獄だ」 「なによー、結局駄目なんじゃない」 「…ほら、本鈴鳴ったぜ?」 多分、結局は何かに付き合わされるのだろうけど、圭は意地悪も含めて話を逸らす。 鐘が鳴り止むと同時に、教室のドアが開き、担任教師が入ってきた。がたがたと慌ただしく席に戻る生徒たちで教室内の喧燥が高まった。 「あー、じゃあ、もうカラオケっ!! これならいいでしょうっ!?」 最後に誰かが言った。 圭は想像してなかった発言に一瞬視線を止めたが、次に嫌みなくらい誇らしげに口の両端をもたげた。 「ばーか。俺の超ハイクオリティな歌声をそんな場所で聞かせられるかよ」 新潟県E郡───── 「じゃあ、これ、配達していただけるかしら」 「毎度ありがとうざいまーす。ここに住所とお電話番号、お願いできますか?」 「あ、ねぇ。お宅の旦那さん、ちょっと飲み過ぎじゃない? 気を付けたほうがいいですよー」 「やっぱり? お互い、もう齢だし、体も丈夫とは言えないから、私も気になってたんだけど」 「流石。私が言うまでもないですね。でも本当に、お酒は程々が一番おいしいですよ。旦那さんにも言っておいて」 豪傑な笑顔を見せて、佐知子はぴっと切った伝票を客に渡した。 「本日、夕方にお届けいたします。ありがとうございましたー」 深々と頭を下げる佐知子に佐川婦人も軽く会釈を返す。そして店を出ようとした、矢先。 出ようとした自動ドアの向こう側からぬっと現れた背の高い人物に驚き、佐川婦人は小さい悲鳴をあげた。 「あ、すみません」 危うくぶつかりそうに鳴り、背の高い男は咄嗟に謝った。 「 佐知子の怒鳴り声にも、佐川婦人は驚いた。 「お袋、2丁目配達終わった」 「おう、お疲れさん」 「え…、息子さん、なの?」 二人の会話に気圧されつつも、佐川婦人は呟いた。 「ええ、そうなんですよ。三十四にもなって、ふらふらしてるバカ息子。配達やらせてるんで、あまり店には居ないんですけど。よろしくお願いしますね」 「稼業の修行中なんです」 「うるさいね。この私がお前ごときに店を譲るつもりだとでも思ってるのかい? それよりとっとと嫁さん見つけてきな、この甲斐性無しっ」 店長の喧嘩腰の言葉に佐川婦人は本当に驚いて、適当になだめると、足早に店から出ていった。 「ありがとうございましたーっ」 二人の重なった声が外まで響いていた。 「次、配達どこ?」 「ああ、それより。さっき、お隣のケン坊がお前を呼んでたよ。……ほら、来た」 再び自動ドアが開き、小さな男の子が半泣きで入ってきた。 「知己兄ちゃーん」 「どうした? 何かあったか?」 知己はその場に座り込んで、男の子の頭を撫でた。 「おうちのゲーム機が壊れちゃったよー」 それだけ言うと後は言葉にならず、男の子は大声で泣き始めた。 「おい、泣くなよ。男だろー。俺が直してやるからさ」 「…え。ほんとに?」 「ああ」 「すぐ? ねぇ、すぐ?」 「道具持って、すぐ行くから。自分ん家で待ってろ。わかったか?」 「うん!」 「それと、最近暑いから、外へ出るときは帽子かぶんなきゃだめだ。お母さんも言ってたろ?」 「わかった!」 男の子は目を腫らしたまま笑って、回れ右をして走り出した。早く来てねー、という言葉が残った。 知己が立ち上がると一部始終を見ていた佐知子は、 「配達はいいから、とっとと行ってやんな」 と言った。 「わかってる」 工具を取りに二階へと向かう知己に、佐知子はもう一つ言葉を投げた。 「そういえば、さっきお前に電話があったよ。東京のなにがし…って言ってたけど」 「……お袋ー」 「なんだい」 「近いうち1週間程出てくるけど」 「はいはい。毎年何やってんだか知らないけど、お気をつけて」 東京都F区───── 「あれー。浩太、珍しいじゃん。こんな日に学校来るなんて」 意外な人物を教室に見付け、大場は驚嘆の声をあげた。 「どーゆう意味だ」 3年7組の教室の中、 都立三上高校では今日、終業式が行われる。別の言い方をすると一学期最後の日で、更に今の大場の心境的に言うと授業の無い、多くの意味であまり内容のない日なのだ。 「だって浩太、学校の行事ってほとんどサボってるじゃん。イベントや始業式・終業式はおろか入学卒業式も。お前、態度でかくて悪くて、団結力皆無の優等生だからなー」 ギリギリ二枚目と表現していい顔だが、ぶっちょう面。生活態度は最悪。しかし成績は常に上位。中野浩太はそんな生徒だった。 「…たたみかけるように言うな」 大場の言に心当たりがあるどころか、そのまま全て事実なので否定する余地もなかった。 では何故今日、学校に来ているのか。 ──4日前、電話がかかってきた。 7月××日。午前十時。東京駅丸の内口集合───。 (かったりー。今日は顔合わせだけだろうし…。かまやしねーだろ) そんな風に自分を納得させても、電話の指示通り集合したくないのは、普段は休む日に学校へ来ることの理由にはならない。家で寝ているという選択肢ももちろんあるのだ。が、浩太のなかでそれを深く考える習慣はなかった。 浩太は机に頭を伏せた。寝不足が祟っているようだ。 「B.R.が騒がれ始めてるぜ」 「……はぁ?」 大場の発した話題に気合の無い声を返す。 「例のバンドだよ。夏恒例の。オレはそろそろ自然消滅してるんじゃないかとか思うんだけどねぇ」 「…へえ」 「年一しか現れないのに、3年も人気が保てば立派なほうだよ。そろそろ廃れるんじゃないかな」 「今年もB.R.が出てくるか賭ける?」 「んじゃ。出てこないほうに五百円」 大場は慎重な賭け方をする。一方、浩太は顔を上げたかと思うと、真顔で、 「出てくるほうに五千円」 と、言った。 「えっ。あ…おいっ!」 大場が大声を出したのは、浩太の賭け金に驚いたわけではなく、浩太が突然立ち上がり帰り支度を始めたからだ。 「わりぃ、俺帰る」 「来たばっかじゃん」 「気が変わった。それより大場、さっきの賭け、忘れんなよ」 じゃーな、と言って浩太は朝の教室を飛び出した。 (東京駅に十時…、間に合うか) 別に、今日自分が行かなくても大場の賭けに負けるわけではないのだ。どうせ明日には合流するつもりだったし。 そう、ただ。体育館でマイクを通しての教師陣のつまらない話を聞いているよりは、あいつらの音を聞いていたほうがマシだと思ったのだ。 東京駅───── 朝の通勤ラッシュも一段落。無機的な駅の通路には疎らに人が歩いて行く。疎らと言ってもそれは、片桐実也子が地元で経験するより数倍の人口密度ではある。 そして、皆、歩く速度はかなり速い。それは実也子自身、例外ではなかった。ほとんど走っていると言っていい。息をあげて、ショルダーバッグ一つで通路を駆ける。 早く会いたいのだ。彼らと。 「はぁ……はぁ…。あれー、皆まだかー」 目的の改札をくぐって辺りを見渡すが、それらしき人物は居ない。少なからず拍子抜けして、実也子は改札前の空間で邪魔にならないよう壁際に寄った。 駅構内の時計で時間は九時四十分。 (ちょっと早すぎたかなー) あと十分も待てば誰か来るのは分かっているが、それでもそわそわ落ち着かない。他の皆も、こんな気持ちじゃないのかな。そんな風に思ってみるが、例え同じように思っていても、それを素直に表現する奴等ではないことは知ってる。何故か損した気分になりつつも、思わず口元が緩んでしまうのはどうしようもなかった。 三十秒に一回、右手の腕時計に目を落としただろうか。五回目のそれで、 「実也子」 頭上から名前を呼ばれた。 「 勢いよく顔を上げると、そこには長壁知己の顔があることは声だけでわかっていた。背が高く日除け用のレイバンをかけた顔が目の前にあった。背中には決して少なくない一週間ぶんの荷物があり、それを軽々と抱えている。 「やー、久しぶりっ」 パン、とお互いの手が鳴った。 「早かったな。てっきり同じ新幹線に乗ってると思ってたけど」 「楽器があるんで、知り合いの運送屋さんに車で乗せてきてもらったの。荷物はホテルに預けて、そこから電車で来た」 「そか。ま、とりあえず今年もよろしく」 「よろしくっ」 「他の奴らは?」 「まだだよー。早く会いたいのにさ」 「そうむくれるなって。すぐ来るだろ。特に西側連中はそろそろじゃないのか?」 「早く来ーい」 恨みがましい声を出す実也子の横顔を見て、知己は苦笑した。 長壁知己は現在三十四歳。片桐実也子は二十一歳である。これからやって来るであろう他の面々も、住んでいる場所や年齢は皆ばらばらで、こうして付き合っていることが不思議に思えてくる。 「あ、見てみて、電車の中で読んでたんだけど、この週刊誌。特集で『B.R.』やってるの」 実也子は傍らにあった雑誌を差し出す。 「何だ。実也子『B.R.』好きなのか?」 煙草に火をつけながら、知己はそっけなく言った。 『B.R.』とは3年前の夏に突然現れたメジャーバンドの名前である。デビュー曲はその年の終わりまでヒットチャートに名を列ねていた。その後なかなか次の曲を出してこないので、俗に言う一発屋とも言われていたが、その次の年の夏。思い出させるかのようにセカンド・シングルを発表。これも前作を超えるヒット曲となった。いつしか、夏にしか曲を出さない、という噂が広まり、3度目の夏の今、話題が高まっているのだ。 特筆すべき点は『B.R.』はどのメディアにも顔を出していないということである。テレビ・ラジオ・雑誌・ライブ…。その他を含む全て、『B.R.』は姿を現さない。それどころか、メンバーも公表しておらず、その謎めいたところが人気に拍車をかけていた。ただ一つだけ、作詞作曲者はクレジットによると「Kanon」ということになっている。ボーカルの声は男声とも女声とも言えず、ただその歌唱力は芸能関係者も絶賛していた。レコード会社は事務所の名前を黙秘しており、噂では個人による持ち込みでインディーズ上がりかもしれないという意見もあるが定かではない。 『B.R.』好きなのか? という知己の疑問に、実也子は笑って答えた。 「そう。特にドラムの人なんて好きだなー」 「言ってろ。…記事、なんだって?」 「えーとね……、あ。『今年こそ公開! B.R.の素顔!』だって。あとはー…『B.R.、評論家に聞く』とか…」 「B.R.の素顔…ねぇ」 「見せる程のものじゃないのにね」 ぶはっ、と今度は声をあげて知己は笑った。落ちそうになった煙草を慌てて支える。それでもすぐには収まらず、しばらく肩を震わせていた。 ふと、改札のほうへ目を移したとき、知己は言った。 「その意見、少なくともあの自信家の坊やは反対するだろうな」 「え…? …あっ!」 実也子は知己の視線を辿ると、改札を出たばかりの見知った人影を見止めた。 「圭ちゃん! 祐輔!」 場所も憚らず大声で叫ぶ。 名を呼ばれた二人もこちらに気付いたらしく軽く手を振った。 「おおー、ミヤ。ひっさしぶりぃ」 まだ「少年」と呼ぶしかない容姿と体型の小林圭、十五歳。 「お久しぶりです。実也子さん、長さん」 長髪で細目、背の高いほうが二十四歳の山田祐輔だ。 「二人とも、同じ新幹線で来たのか?」 「そう。僕が途中で便乗したかたちですね」 知己の問いに祐輔が穏やかに答えた。そして含み笑いをもたせて続ける。 「今年もよろしく、と、特に長さんには言っておきますよ」 「どーいう意味だよ」 「いつものことじゃないですか。このメンバーをまとめるのは、かのんさんじゃ少々荷が重いでしょうし、適任は長さんしかいないでしょ?」 くすくすと笑う祐輔に、知己はささやかな反撃を言葉にしようとした。 「他人ごとじゃ…」 「あーっ! 圭ちゃんたら、背ぇ伸びてるっ」 実也子の決して小さくない声が響く。 「当たり前だっ。…けど、これだけ伸びてもクラスで一番低いんだよっ」 「来年は私より高くなってるんじゃないの? もー、これだから年頃の男の子は」 年長組の会話を無視して二人は騒ぎ立てていた。知己は何か言いかけが、知己が声を発するより先に、同等の意味を持つ言葉が背後から投げかけられた。 「公共の場で騒いでんじゃねーよ。他人のふりしたくなるだろうが」 苦々しい声と共に最後に現れたのは中野浩太だ。背中には一本のエレキ・ギター。 「浩太。おひさしぶりです」 「ああ」 「中野っ、遅いじゃないっ」 「何言ってんだ。時間ちょうどだろ。ほら、10時ジャスト」 「相変わらずだねー。浩太のその性格も」 「圭…、おまえ年上に対する態度がまーだわかんねぇようだな」 「あた、いたた」 圭の頭を抱え、腕に少し力を加えると圭はあっさりと投降した。 二人を宥めるつもりではなかったが、知己は間に割って入る。 「おい、全員揃ったことだし、早く行こーぜ。かのんが待ちくたびれてるぞ」 それから三十分後。都内某所。 noa音楽企画本社前。 彼らは再会することになる。 「B.R.プロジェクト」の要、発案者にして責任者、「Kanon」に。 「あ。おーい、かのんちゃーん!」 実也子の声に、エントランスに背をもたせていた人物が振り返った。 「…皆、お久しぶりです」 少しぎこちない笑顔で、叶みゆきは彼ら5人を迎えた。 また、夏が始まろうとしている。 |
1話 END |
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