CHORuBunGEN/1話/2話/3話/4話/SongOfEarth |
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■10. 生まれた街へ G県K駅。 立ち並ぶ建物の風景は結歌が住む街とさほど変わらない。 駅前の広い駐車場にたむろするタクシーと送迎の自動車。カラオケボックス、コンビニとファーストフード、ステーションホテル。通りには所狭しと車が行き交う。そんなところはどこも同じだなぁ・・・と、呆れながら空を仰ぐ。そして絶句した。 突然、自分の体がとても小さくなったような錯覚に陥る。 「・・・・」 都会育ちの者にとって、ごく普通の街中のすぐ奥に山がそびえ立つ景色は、少なからず異様に見えるのではないだろうか。 (なんか・・・すごーい・・・) 初夏の今、色は深蒼、風は青嵐。気温は東京と変わらないのに、どこか清涼を感じる。吸い込まれそうな青い空と山がタッグを組んで、下界を見下ろしているかのようだ。 森々とした木々がここからもはっきりと望める。深い深い藍色。 きっと秋になれば紅葉、冬には雪景色が見られるのだろう。 ───そして、ここが生まれた街。 中村結歌は十年ぶりに、その地に立っていた。 自宅の最寄り駅から、乗り換えること3回。所要時間3時間半。腰の痛さは3日は残るものと思われる。もう少し要領良く計画を練れば、もっと早く着いていただろう。そもそも今回は計画と呼べるものは無く、思いつきだけでここまできてしまったのだが。 「・・・さて」 駅前で5分ほど景観を眺めると、結歌は荷物を担ぎ直し歩き始めた。 冷涼を求め駅前のコンビニに入る。図々しくも市内の地図を立ち読み、頭の中に叩き込んだ。これは予定通りの行動である。 昔の記憶、とくに土地勘はほとんど残っていない。茅子に聞いてメモしてきた住所だけが頼りだった。 (これくらいなら、歩いていけるかな) おおよその位置と時間を確認する。店員に睨まれながらも堂々と店を出た。 自動ドアと共にひらけるのは、見慣れない街の景色。 それでも少しの懐かしさを感じる。昔、3人でここを歩いていたヴィジョンが想像できて、不思議と幸せな気分になって、結歌は横断歩道を渡った。 (とうとう、還ってきたんだ) 「そこ」は、駅からの通りに平行する道を、まっすぐ北に向かった所にある。 街中、そして住宅地を通り過ぎて、丘へと続く一本道を歩いている時のことだった。 「まったく、突然いなくなったと思ったらこんな所にいたのね」 上空から声が聞こえた。突然のことに結歌はひどく驚いたけれど、声をあげなかった。何となく、ある程度予測していたことだった。 「使い」 声の主はすぐにわかった。 使いは腕を組み───もちろん、その片手には錫杖が握られているが───あきれ顔で結歌を見下ろしていた。 「どういう心境の変化? 一度も帰ってきたこと、なかったでしょう?」 「ちょっとね・・・」 結歌はあいまいな表情を返したが、使いは見抜いているようだった。意味深に笑うと、結歌の隣りに降り立つ。 「・・・私も一緒に行っていい? 智幸の所、行くんでしょ」 結歌は、自分の行動を見透かされていることに照れくさくなって笑った。それが返事だった。 目の前を、電車が通り過ぎていった。 本当に、ある線を境にそこは登り坂だった。先程歩いていた道がずっと続いているだけなのだが、突然かなりの傾斜になる。アスファルトの径、両脇は木漏れ日がこぼれる、木々のアーチ。当然、人家は既に眼下だ。明らかに街中とは大気が違う。まだ、車も通れる山の入り口なのに。 (草いきれ、っていうのかな。こーいうの・・・) むせるような熱気だが清々しい。結歌は急な坂道を一歩一歩登りながら、初めて歩く景色を眺めた。 ふと、ある種の懐かしさを覚える。 (・・・・) もしかしたら、ここにきたのは初めてじゃないのかもしれない。 懐かしい空気を思い出す、というのは不思議な感覚だ。思い出しきれないもどかしさと、全身を震わせる暖かな動悸。少しの幸福感。 木々のアーチは坂の上まで続いていた。人工の並木ではない、まるで吸い込まれそうな道が空に向かってのびている。結歌は右手で太陽の光を遮って、空に続く坂道を見上げた。 「こだち・・・」 「えっ!?」 結歌の何気ない呟きに、使いは極度の反応を示した。 「木立、っていうの? 昔住んでた家の近くにもこういう通りがあってね、それがすごく、好きだったなぁ、って」 ここにきて次々と昔のことが思い出される。結歌はしみじみと、その景色を思い浮かべて真顔で言った。 「・・・」 「どうしたの?」 ふと、妙な沈黙を作り出した使いのほうを向く。結歌と目が合うと、使いは目を逸らした。 「・・・何、赤くなってんの?」 「なっ・・・何でもないっ!」 と、言いつつ挙動不審な態度はそのままに、使いは結歌をおいて、先を飛んでいった。 「ちょっと! 使いは飛んでるからいいけど、坂道を歩いているこっちの身にもなってよね!」 坂を登り切った所にある駐車場、その隣りにそれはある。 塚原霊園。 「確か・・・こっちだっけ?」 きちんと刈られた芝の上を進む。相変わらずの気温だが、丘の上をそよぐ風がその暑さを和らげていた。 木に囲まれた敷地は、街中の騒音は届かない。人の気配もなく、下界から遮断されたような、そう言う場所だった。閑散とした、生活感のない無機的な空間に整然と並んだ墓石。ここに名を刻まれた人間はもうこの世にいない。 その空気を全身に感じて、結歌は目を細めた。 迷うような足取りで歩き出す。使いはその目的の場所を知っているが、あえて口に出さなかった。 (知っている) 十年前の雪の降る日。結歌はここに立っていた。 当時は冬で、両親の納骨の日。───暗い雰囲気しか覚えてない。 黒い服、あざやかな花。─────「使い」。 「・・・そういえば、“私”が使いを初めてみたのはここだったわ」 「えっ? そうなの?」 使いの言葉に結歌は吹き出した。 「隠れて見てたのよ」 十年間探していた結歌に、実は一度、使いは会っていたのだ。会っていた、と言っても結歌が一方的に目にしただけで、使いの方は気づきもしなかったけど。 (・・・・・) あの時のような恐怖感は全くない。 和やかな雰囲気をそのままに郷愁を感じながら、結歌は足を運ぶ。あの日と同じ道を。 「・・・・ここだわ」 その石の前に立つ。刻まれた名は中村智幸、そして中村沙都子。 十年の月日を思わせるその文字を噛み締めて、結歌は誰にともなく話しかけた。 「十年ぶりだね」 結歌の後ろから、その様子を使いは優しく見守っていた。 それだけの期間を経て、この街に還ってきた。 思うところがあるのだろう。結歌はしばらく動かなかった。清浄な大気と、樹木の枝がそよぐ音だけが、その場を満たしていた。 「使いは・・・・お父さんと会ってるんだよね?」 「ええ」 静かに言葉を発した結歌の声は、使いの心情を探るように低く響く。意味ありげな口調だとわかったが、使いはその真意を見抜けなかった。 少しの沈黙の後、結歌は再び口を開く。 「その時、お父さんがこうなるって・・・・知ってたの?」 「!」 責める口調ではなかった。しかしそれは確実に使いの胸に打撃を加える。 結歌がその疑問に辿り着く可能性は十分にあったのに、使いはそう尋ねられる予想を微塵にも感じていなかった。 事実は、結歌が使いをなじる権利があるものである。 「─── ・・・知ってたわ」 「そう・・・」 振り返らずに言う結歌の抑揚のない声が、逆に使いを追いつめた。全身に寒気が走った使いに、弱音と言える台詞を吐かせたくらいに。 「・・・私だって、どうしようもないことなのよ」 智幸に未来を告げてどうなる? もしそうしたなら、彼は逃げただろうか。 自分の天命から逃げ出したつもりでも、それは違う形となって前に現れるだけだ。 最期の秒読みに耐えられる人間が果たしているのだろうか? 正気のまま、その刹那の瞬間まで・・・。 それ以前に、使いにそれを告げることは許されていないけれど。 ───もしかしたら、あんな手紙を残した彼は・・・わかっていたのかもしれない。 微かに震える声で、動揺を隠しきれなかった使いの言葉は、多くを語らなかった。 「・・・ごめん」 意地の悪い質問をしたことを素直に謝る。醜態をさらさせてしまったことを反省した。 「結局、明日自分がどうなってるか・・・それさえも分からないものだもんね」 「少なからず、運命というものはあるよ。いつ生まれ、いつ死ぬか。そんなこと人は誰も知らないけど、大切なのはその間に何をやるかってことね。輪廻転生というものも存在するし・・・」 「私っていう例もあるしね」 使いが語る運命論は真実味があり、何とも奇妙に感じさせたが結歌は話を合わせた。「使い」という常識以外の存在を認知した瞬間から、他の常識以外のものも何となく受け入れられるようになっていた。 使いは木々の向こう側、眼下に広がる街を見て言う。 「結歌みたいに、誰もが以前の記憶を持って生まれてきたらいいのにね。再び生まれてきたとき、全て忘れているから、人間は同じことを繰り返す。教訓を得ずに愚かな発展を遂げる。自分で自分の首を絞めて滅びの道を進んでいる。だから───」 (しまった・・・!) 使いは右手で口を押さえる。台詞の続きが語られることはなかった。 ────言い過ぎたのだ。 「でも、記憶を持って生まれたって、大した人間にはならないよ。・・・同じ事を繰り返すしかないってことじゃない?」 使いの変化には気づかず、結歌は悟ったような口をきく。そして笑顔で続けた。 「でもね、私、人間ってすごいと思う」 「?」 それは英語の授業の時のこと。 教師は教卓についているのに、結歌はいつも通り自習に専念していた。何故なら、英語担当の教師は大学を出たばかりで、おまけに気も弱い。英語教師の注意の声も掻き消されるうるさい教室で、それでも授業を聞こうというほうが愚かというものだ。そんなわけで結歌は、英語教師の声は完全に無視していた。 堂々とした無駄話や、半分寝ている生徒達に見かねて、英語教師はある手段に出た。 リスニング用に持ち込んでいたカセットデッキにテープを差し込み、再生を押す。 懐かしいメロディが流れた。 80年代の名曲として残る、アメリカのフォークソング。 すると、無駄話の嵐が少しずつおさまってきた。生徒達が曲に耳を傾け始めたのだ。 教室に沈黙が訪れた。 結歌はその一連の出来事に素直に驚いていた。英語教師がこの結果を予測していたとは、思えなかったが。 「音楽を造り出すってこと。そしてそれに感動するっていうのは、人間ならではだと思うよ」 自然が“音”を与えてくれて、それを集めて“曲”にする。やはり人間は神に選ばれた知恵を持つ種族なのだろう。 「─────」 使いは目を見張った。 言葉を発せずにいる使いの返答を待たず、結歌は続ける。 「記憶は全て消えても、もう一度生まれても忘れないような、そんな音楽に出会えたらいいね」 その言葉に、使いは遠い昔を思い出していた。 目の前の墓石の名前を見つめる。今の言葉、聞いた? その人物にそう言いたかった。 結歌は知らないだろうが、過去、智幸が言ったことと、先程の結歌の言葉は同質のものなのだろう。 そのことに気づいて、使いはひとり微笑んだ。 「使い」 突然、結歌が振り返り2人の視線が合う。それを逸らさないで、結歌ははっきりと言った。 次の言葉に使いは大きく目を見開いた。 「レクイエム、渡してもいいよ」 「!」 一瞬、耳を疑う。 「実は今日、持ってきてるの」 荷物の口を開けて、中に入っている分厚いノートを使いに見せた。 本気だ。 真剣な眼差しで、使いと視線を交わした。 初め、まだ使いのことを怖がっていた頃。レクイエムを書いてしまうのが恐かった。 使いの目的であるレクイエムを渡した後、使いにとってもう用の無い自分が、果たしてそこに健在していられるのか、不安があったのだ。 しかし使いと会って、レクイエムを書かないでいる理由は、少しずつ変化したと思う。 使いにレクイエムを渡したら、すぐ帰ってしまうだろうから。 悪意のない興味の対象である使いと、もう少し話してみたかったから。 三高祥子の気持ちが分かる気がする。 理由は何であれ、興味の対象は少しでも長く見ていたいものなのだろう。 だけど、いつまでも使いを縛り付けておくわけにもいかない。 十年ぶりに帰還した今日を契機に、また、音楽を始めようと思った。 その手始めとして、使いにレクイエムを渡そうと・・・決心したのだ。 レクイエムを渡すと聞かされた使いは、あからさまに歓喜の表情を見せる。 本当!? と声をあげそうになった時、その顔を覗き込むように結歌が振り返り、にやり、と笑った。 「ただし! 条件があるの」 自分の提示するものがいかに愚挙なものか、そして自虐的なものか結歌は知るべきだった。 そして、訝る使いに、「条件」を告げた。 使いは周りの大気が凍りつき、自分の鼓動が大きく鳴るのを、聴いた。 |
■11. kadenz 一つ、誰の為のレクイエムなのか。 一つ、「主人」とは誰なのか。 全てはそこからだったはずだから。 「ちょっとまってよっ!」 結歌は泣き叫ぶような悲鳴を聞いた。耳を疑ったが、それは使いのものだった。 驚愕と動揺。 愕然となる。 その豹変ぶりに結歌はたじろいだ。 ・・・・触れてはいけないことだったのかもしれない。 激しく訴えるような剣幕、蒼白になった使いを見て一歩退いたものの、結歌は強気の発言を続ける。 「とりあえず2つだけど、3つほど私の質問に答えてくれたら、レクイエムをあげる」 結歌には聞く権利があることだ。・・・しかし、少々勝手が過ぎたのも事実だった。 使いの唇が微かに動く。けど言葉は出てこない。 当然だが結歌は使いの事情を知らない。何故、ここまで動揺を見せるのかわかるはずもなかった。 使いは何とか回避すべく道を模索する。 「主人のことは聞かない約束だったはずよっ」 「その約束で契約をしたのは『彼』。その『彼』じゃなく私にレクイエムを頼みに来たのは使いのほうでしょ?」 結歌がこれほどまでに我を通す理由は、場の勢いとしか言いようがなかった。 この2つの条件は確かに知りたいことでもある。けど結歌にとって、これらは3つ目の条件の前置きでしかないのだ。とくに確執があるわけでもない。 ・・・・照れ隠し、とも言えるかもしれない。 使いにとってそれは、身を削るほどの、残酷な質問であったにもかかわらず。 どう説明すればいいのか。詳細を語らず結歌を説得するのは不可能に等しいだろう。 善意(*事情を知らないこと)は罪ではない。しかし時にそれは人を傷つける。 「・・・・っ」 どうしよう。使いは思う。 ゆきのの前以外で、弱気になっている自分を自覚する。 (ちがう!) (こんな結果は予想外だ) 胸をつく圧力。逡巡に浸っている暇はない。 訴えればいい。それは禁忌なのだと。 人間が知ってはいけないことなのだと。 そう反論することさえ、許されていないのが辛い。 ・・・どうしよう。 できるだけ長い時間、迷っていられたらいい。 悩んでいられたらいい。 しかし。 ────冷酷にも“答え”はあるのだった。 《私たち聖の“使い”が人間と接触するときの制約。・・・わかってるな?》 わかってる。使いはそう答えた。当たり前のように、それは決まりだった。 禁忌。 しかし物事には優先順位というものがある。 レクイエムは持ち帰らなければならない。どんなことがあっても。 禁忌を犯しても、それは優先される。・・・それに伴う始末、それが“答え”。 使いは『聖』を裏切ることはできないのだ。 「・・・・」 すぅ、と突然使いは頭の中で、感情の波が引いていくのを感じた。動悸がおさまり、冷静さを取り戻す。 本当は迷う必要などないのに、何があってもレクイエムを持ちかえることが第一なのに、・・・・使いは何を悩むのだろう? 使いは自覚していない。 「幸せになってもらいたい」。 その感情の名前を、使いは知らない。 使いのなかで名前の無いその感情は、“答え”によって潰される。 使いは制約に従うしかない。 錫杖が象る形、自分の地位を表す紋章もそれを語っていた。 「本当に、その3つに答えたら・・・レクイエムを渡してくれるのね?」 ゆきのはいつものように地上を見下ろしていた。 母なる大地と海。父なる大気と風。もう悲鳴さえ聞こえない。そのちからさえ無いのか。それとも怒りを堪えているのか。 どちらにしろ、もう声は届かない。 「・・・・」 同情にも近い視線を、ゆきのは地上へ向ける。それは自然に対してか、もしくは人間へのものかはわからなかった。 それらとは全く別の声が、ゆきのの頭に響いた。 【今回の件、うまくいくと思うか?】 威厳のある、低い声。誰か、は考えるまでもなかった。 ゆきのや使いの最高権力者、『聖』である。 「・・・いいえ。・・・・恐らく」 恐らく、危惧していた通りの結果に終わるであろうことを『聖』に告げた。 しかし確かに危惧していたことではあるが、レクイエムさえここに戻れば、こちらの都合に何ら支障は生じない。 ・・・もしかしたら、『聖』はこうなることを望んでいたのかもしれない。 ゆきのは声だけでなく顔にも出さないで、そう思った。 もし支障あるとすれば、今、中村結歌と対している使いの心に傷が残ることくらいだろうか。そんな、たかが端末の人物ごときに気を配ることを許される『聖』ではないけれど。 少しの沈黙の後、再び『聖』の声が響く。 【これで、全ての準備は整った。後は2年後・・・・・ゆきの、おまえの仕事だな】 ヒクッ、とゆきのの顔が歪んだ。その表情を見られないように、ゆきのは目を伏せた。 「・・・わかっています」 返した声は、いつもと同じように響いたようだった。 そのことに安心した。 時計は四時を回ったところだった。この季節ではまだまだ太陽は高みに浮かんでいる。静かな時間が流れた。 「・・・その3つに答えればいいのね」 いつもと違う、使いの冷たい声。 何度も念を押す使いの言葉に、何となく反射的に結歌は頷いてしまう。 それは取り返しのつかない、軽率なことだった。 「地球」 ぼそっと呟いた使いの一言。 それは簡潔すぎて、逆に結歌の思考に辿り着くまでに時間がかかった。 「はぁ?」 おもいっきり疑わしげに結歌は声をあげる。 使いは笑った。 それは初めて会ったときの、笑い方だった。 「かたち在るものはいつか壊れるよ。・・・それが十年後か百年後か千年後かは、その人の使い方しだいだけどね」 「ちょ・・・ちょっと待ってよ。え? 何? どういうこと? ・・・つまり、えーと・・・その為のレクイエムなの?」 使いの答えは結歌の想像をはるかに超えていた。答えをもらった今でも、うまく考えることはできない。頭で処理できる範囲を超えている。混乱する思考をまとめる暇もなく、使いは言葉を続けた。 「結歌が今、立っている物も、46億年前にできたんだよ。いつかなくなってもおかしくないでしょ? ここは恒久の大地じゃないもの」 すらすらと語られる使いの台詞は妙によそよそしい。結歌はその内容の大きさに圧倒されて、使いの雰囲気に変化があったことを見抜けなかった。 「それって・・・人類が滅びる、ってこと?」 信じられない、と言いたそうな結歌の言葉に、思わず使いは失笑しそうになった。 『人類が』とは、ずいぶん傲慢な考え方ではないか。 結歌にしてみればそんな細かいところにまで気を使っていられない心情なのだろう。それはわからなくもないが、使いはわざと、自分の中でそれを指摘、中傷する。 中村結歌に感情移入しすぎない為に。 「いつかは、ね。・・・・・結歌が心配することじゃないよ」 使いはそう言った。この台詞には幾重にも意味が含まれる。これは、「結歌が生きている時代の話ではないから」という意味では、決してない。 「でも・・・」 結歌は何かいいかけてやめた。話の大きさに面食らって、少しの間考え込む。 ふと、口に手をやって、結歌は新たな疑問を口にした。 「使いって・・・・何者なの?」 人間ではないことくらい、もうわかってる。 何者なの? そう尋ねてはみたものの、結歌の本心は答えを望んだわけではなかった。 それを聞いてしまうのは恐い。 「それが、3つ目の条件?」 結歌に確認するように使いが問う。 うっ、と言葉に詰まって、結歌は、 「ち・・・違うっ」 と答えるしかなかった。 3つ目の質問はすでに用意されている。突発的な疑問でそれを反古されるなど敵わない。 (4つにしておけばよかったーっ) いまさらながら、数を限定してしまったことが悔やまれる。 使いが何者か? それを確かめないまま、話が進むのだが、2つ目の質問はそれに関係しているとも思われた。 「・・・主人、っていうのは?」 それが2つ目の質問であり、条件である。 「そうねぇ・・・」 どう説明すればいいかわからず、使いはしばし考え込む。そのうち、ぽん、と手を叩いて結歌のほうへ向き直った。 「あなたの“父”っていうのは、どぉ?」 どぉ? と聞かれても結歌には答えようがない。 「・・・お父さん?」 「あ、智幸じゃないよ。・・・そうじゃなくて。ほら、モーツァルトのミドルネームである[A]。どういう意味があるか、知らない?」 「え?」 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。 (アマデウス・・・・?) ────神の子───── (え──?) 今度こそ、おもいっきり疑惑の目を使いに向けてしまったかもしれない。 使いは微笑んで、その視線を受けとめた。混乱する思考をまとめようと、結歌は頭を振った。 (どういうこと?) もし、『それ』が使いの主人であるとしたら、使いは・・・? 「・・・・使いって、何者なの?」 無意識のうちに結歌は呟いていた。 「わからない?」 一度かわされた2度目の質問であるが、1回目とは違う返答が返ってきた。 わざとらしいまでの使いの笑顔にそう長く対峙していられるわけもなく、結歌は自分から目を逸らした。 「・・・いい。何でもない」 知ってる気がする。 この時、すでに結歌の心にひとすじの影がさしていた。しかしそれでも、それを気のせいだとする気持ちのほうが大差で勝っていた。それは頭の隅で囁く、使いへの恐怖を否定したいからかもしれない。 結歌は先を促した。 「3つ目だけど・・・」 「ええ。・・・何が聞きたいの?」 使いはもう投げ遣りで、なんでもいい、早く終わってほしいと願う。もう何を言われても、訪れる結果は同じものだから。 早く終わってほしい。 《早く処理しろ》 そう警告したのは、ほかでもないゆきのだった。 それの本当の意味を、使いは分かっていなかったのだ。 「えーとね。・・・使いの名前、教えてくれる?」 結歌はそう言った。 「え?」 反射的にそう聞き返してしまった。何を言ったのか本当にわからなかったのだ。 目を見張る。使いは十秒かけてその言葉の音を確かめた。 そしてさらに同じ時間をかけて、その言葉の意味を理解する。 「・・・・・・」 (名前─────?) それこそが3つ目の条件。 照れ臭そうに言った結歌の表情を見て、使いは経験にない感覚に、全身を侵された。 名前。 条件というより、ただ純粋な質問。どんな難題がくると思っていたのに。 結歌のなかで、はじめの2つの条件と、使いの名前を尋ねることは等価値なのだ。 「・・・・どうして」 呟いた声は結歌には届きそうになかった。 使いは今度こそ本当に泣きそうになった。8割の後悔と、2割の幸福感。 不可解だと思う。人の価値観など、それぞれ違って当然なのに。それでも使いにとって、全く予想しなかった、驚くべきことだった。 「ばか・・・」 そう言わずにはいられない。 結歌は知らない。 2つの条件がどんな結果を招くのか。 3つ目の質問がどれだけ、たわいもないことか。 いつの世も、後悔は先に立たない。 人は己れの愚かさを気づかないまま、結末を迎える。2年後にそれが近付いているように。 「なっ、何よ・・・」 ばか、と評されて結歌が何か言い返そうとする。それを無視して、使いはさらにたたみかける。 「本当にばか」 どうして? (・・・そんなことなら) そんなことなら。 「そんなことなら、いつでも教えてあげたのに」 いつでも。もし尋ねられたなら、気軽に答えられることだったのに。 名乗らなかったのは自分自身。そんなことはどうでもいいと思っていたから。 それがこんな事態に陥ろうとは。 (ゆきのは予想していたのかもしれない) もしかしたらこんな結末になるということを。 《『聖』の思い通りになるのは嫌なのっ》 けど、『聖』の下を離れることもできない。 《『聖』の「使い」である私たちが人間と接触する時の制約、わかってるな?》 (わかってるったら!) その力の行使こそが、私の仕事だから。 突然だった。 「・・・っ」 結歌は使いに抱きつかれる。痛いほどに強く。 使いに触れたのは、これが初めてかもしれない。 「な・・・何?」 返事はない。 風に揺れる枝の音が、大きく耳に響いた。 ザザアァァァ・・・ 雨の音にも似ている。先程まで気にならなかった周囲の音が反響して、何故か結歌を包んだ。 それが不安感を与えた。 「余計なこと言わないでって・・・初めに言ったのにね」 「え?」 それとほぼ同時。使いは結歌の耳元にそっと囁いた。 「!」 結歌は目を丸くする。使いの顔を見ようとしたけど、使いは抱きついた手を離してくれなかった。 「・・・それが3つめの条件の答えだよ」 光。 その時、使いとの間合いが狭すぎて、結歌は使いの持つ錫杖に変化があったことに気が付かなかった。 音もなく、使いの錫杖に光が灯る。 「光る」という表現は正確ではない。錫杖が光源となっているわけではなく、錫杖のまわりに「光」が現れたという感じだ。陽の光とは全く異なる。 「使い・・・・?」 3つめの答えを聞いても、癖でそう呼んでしまう。 「ごめんね」 どうして謝るの? 結歌は寒気を感じた。先程の木擦れの音が警告にも聞こえた。 使いの低く押し殺した言葉が何を意味するのかもわからない。 何故、使いがこんなにも悲しそうな声を出すのかも。 「結歌のこと・・・智幸のことも、私、好きだった」 脈絡も前後のつながりも無い言葉に思考もついていけない。五分先の未来さえ、結歌の念頭には無かった。何が起ころうとしているのか想像もできない。 結歌は使いに何か、言わなければ・・・言っておかなければならない気がして、口を開こうとする。動作で使いがそれを制した。 そして。 使いの、残酷な明言。 「─────さよなら」 あふれる光。 金色の光。 使いの錫杖から放たれる。圧迫感があるのにそれは体を貫いた。 それが空間を支配した。 それが最期だった。 聖なる光。 それは生命の誕生と消滅を意味する。 生を司る者。 死を司る者。 その両者だけが所有する光。・・・・人はそれぞれの呼称を定めたかもしれない。 自然や人間の運命を支配し、超人的威力を示すとみなされる存在を人は神と呼ぶ。 人が知る由もないことだが、複数存在する「神」の頂点に立つものの名は『聖』といった。 三日月のように見えていたそれが、鋭利な刃をもつ大鎌に変化する。 中村結歌はその意識の最後の瞬間に、大鎌を持ち、黒いマントをなびかせた人影を、見たような気がした。 陽は完全に沈んでしまった。夜が来ようとしていた。 上空を浮かぶ黒い影は、空の色と保護色になり、個体を識別するのに目を懲らさなければならなかった。 「おい」 “こちら”で使いに声をかける人物など一人しかいない。 背後から突然呼ばれても驚きもせず、相手が何を言いたいのかも察して、使いは即答した。 「わかってる。だからこういう結果になってる」 「・・・」 ゆきのは軽く息をつく。次に何か言おうとしたが、使いのほうが一瞬早く口を開いた。 「ゆきの、これ」 バサッ、とボリュームのある、ところどころに紙が挟んであるノートを差し出す。言わなくなくても、それが何であるかはわかった。 ゆきのは無言でそれを受け取る。 「・・・・お前はどうする?」 「まだこっちにいる。・・・少ししたら戻るから」 使いの表情は見えない。ゆきのは同情しない程度に心中を察して、使いから少し離れた。 「・・・一応、忠告はしたつもりだ。早く処理しろと────── 深追いしないうちに」 「うん・・・」 ほとんど反射で答えている。ゆきのの言葉が果たして耳に入っているかも疑わしかった。 「こだち」 強い口調でゆきのが呼ぶ。 「なに?」 「ご苦労だったな。・・・・後は全て、2年後だ」 いつのまにか、空には新月が浮かんでいた。 こだちはゆきのの───思い上りかもしれないが──褒め言葉に聞こえた台詞に目を見開 き、微かに笑った。 「うん。・・・わかってる」 上空は風が強く、頭上を雲が音をたてて流れてゆく。 全身にその風を受けて、こだちは地上の、人工の光を優しい眼差しで見下ろした。 「消える」。 分かってしまった。 諦めとは違う。何故だかわからないけど。 (桔梗と仲直りしておけばよかった) 祈ってしまった。最期の瞬間に。 誰にだかわからないけれど。 ─── 三高祥子に理解者が現れればいい。 切実に。 それは私で在りたかった。けど。 哀願してもいい。願いが届いて欲しい。 近い未来。祥子と出会う、誰かへ。 そしてお父さん。 これが、あなたが恐れた結果・・・? |
■12. 終曲 1997年12月5日金曜日。 巳取あかねは本館4階の音楽室の教壇を踏んでいた。 「私が音楽を教えるのも、これが最後となりました」 2年3組の生徒を前に、別れの言葉を告げる。もともと産休をとった音楽教師の臨時として、ここにきていたのだ。次の職場はすでに教育委員会から告げられている。 名残惜しいのはいつも同じだ。ただ、この学校には特別な思いが残る。それは何年経っても消えない。そんな気がした。 「────最後に、どうしても聴いてもらいたい曲があります」 あかねは自分の手荷物の中から、ケースにすら入っていないカセットテープを手に取る。ラベルにはかすれた文字で、日付だけが書かれていた。 《1987/12/13》 あかねはそのテープを見て、懐かしがるように目を細めた。 「・・・・」 生徒達は、この曲をただの授業の一貫として聴くのだろう。そう思うと運命というものの残酷さを感じずにはいられない。この結末(もしくは未来)こそが、あの子の望んだものだったとしても。 「過去十年間・・・私が最も尊敬し、そして生涯愛し続けるでしょう音楽家の、最後の曲です」 テープをデッキに差し込み、再生のスイッチを。 押した。 名前が語り継がれることは無い。 十年前の、あの奇跡のような演奏を聴いた百数十人のうち、どれだけの人間が覚えているだろう。 あの「神童」を。そして演奏を。 歴史に刻まれること無く、一人の音楽家は消えた。あの時あの空間にいた者は全て、たった瞬間だけでも、その音に対する感動で拍手を送ったはずだ。あの、ステージの上の少女に。 そう。やはりあの中の数人は、忘れないまま死んでいくのだろう。 神の音楽を魂に刻み込んだまま。生まれ変わっても、忘れないために。 中村結歌の突然の死は、発見されてから72時間の間に、2年3組の全生徒に知れ渡った。夏休みであるにもかかわらず、葬儀には一人を除いて、全員が出席したという。その後、各々の休暇を過ごし、新たな学期を迎え、秋を越し冬が来た。 空は抜けるように青いのに、空気は切れるように冷たい。そんな季節になっていた。 テープからの少し音の悪い、悲しく優しいメロディと、巳取あかねの声は音楽室の真上、屋上に立つ三高祥子にも届いていた。 堂々とエスケープしているにもかかわらず、しっかりコートを身にまとっている。そして肩につかない長さのきれいなウエーブの髪は、首筋を冷たい空気にさらしていた。 「・・・・・」 事の顛末は納得のできるものではなかった。 中村結歌。 何が起こったのだろう。自分の行動は間違いだったのか。 あの時、何もいわなければこんなことにはならなかったのだろうか。 唇を噛み締めて遠い空を睨む。 《死に神に追われているって言ったら、あんたは笑うかな》 《聴いて欲しいの。三高に。テストの最終日の放課後、屋上に来て》 あの日、約束通りここに来ていれば、違う結果になっていたかもしれない。 胸からこみ上げる感情に、祥子は顔を歪ませた。 「・・・・くっ」 ガンッ。 渾身の力で、祥子はフェンスを蹴った。 冷たい風が祥子の髪を揺らす。髪で表情が見えないが、祥子の握った拳は、痛々しく震えていた。 「・・・・・何のっ・・・何の役にも立たないっ」 自分のちからなんて。 そのまま壁伝いに座り込み、祥子は頭を抱えた。そして泣いた。 テープからの曲は静かに流れ続ける。 それは終業のチャイムに掻き消されるまで、校舎内に響きわたっていた。 2001年。 歴史は21世紀を迎えた。 |
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